フジファブリック熱再燃
2009年12月24日、志村正彦さんがこの世を去った。
もう11年も前のことだ。そんな2021年5月の今日、完全に僕の中のフジファブリック熱が再燃して朝からずっとYouTubeを漁る時間を過ごし、散歩していてもずっと聴いている。
僕がフジファブリックと出会ったのは大学生の時。
どこでどんな出会いだったっけな。大学生で知り合った知人から教えてもらったんだっけな。確かその時「虹」を始めて聴いた曲だったように思う。
当時僕が大学生だった頃は音楽を聴くとなるとTSUTAYAにCDレンタルだった。全てのアルバムを調べて、シングルもあるだけ、かき集めてまとめてレンタルして、あのレンタルして家に帰るまでワクワクした道中の幸福感。PCに取り込んで、iPodClassicに詰め込んでいくときの幸福感。過程に幸福は詰まっているのかもしれないな。
今の便利なサブスク時代から当時を思い返すとなかなかシュールな作業だけど。
僕は完全に志村さんの存在感に惹かれていた。志村さんの生み出すメロディー、絞り出す声、全てが不思議な存在だった。飄々とした近所のお兄ちゃんのような感じで歌詞は当時大学生だった僕に優しく寄り添ってくれるし、僕の心の中で言語化できずぐるぐると渦巻いていた思いを言葉にしてくれた。
普遍的な日常を歌ってくれること、時には衝動的な沸点に達し続けている激しいサウンドの時も、あらゆる状態のハタチそこらの僕には染み入ったし、とても救われた。
志村さんがロックを始めたエピソードとその後の話。
学生時代の志村少年は奥田民生さんのライブを見ることになる。奥田民生の影響でミュージシャンへの道に進むターニングポイントになったこと。そして、デビューして奥田民生と対談したりライブで共演したり、夢を叶えたこと。
そして志村さんが2009年に急逝したあと、奥田民生が「茜色の夕日」を声を震わせながらカバーされたこと。
以降も、藤井フミヤさん、槇原敬之さん、Bank Band、柴咲コウさん、藤井風さんなど、数々のアーティストがカバーしており全てに愛が溢れている。
どうやら僕は今、ちょっとした不安感に包まれている。
フジファブリックを聴いたから、大学生だった頃の僕が感じていた不安や期待が渦巻く感覚を思い出したとも言えるが、どうやら逆なように思う。僕は助けて欲しくてフジファブリックを聴きまくっているのだろう。歳を重ねて少しずつ色褪せていく当時の感覚を忘れたくなく、鮮明な感覚を再インストールするかのように。
フジファブリックを聴いたことなかった世代の方にも是非聴いていただきたい。
(ただのフジファブリックファンより)
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