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日常と非日常どちらもあっていい理由

Bonjour!

みなさんこんにちは!pariskeitoです!

日常と非日常どちらが大切ですか?毎日旅行することに憧れますか?それとも毎日豪遊したいですか?どんなものが幸せですか?心地いいですか?

何が日常で何が非日常なのかという定義さえも、私たち人間は1人1人違うものだと感じます。

日常とはいつも普通にある自分にとっての当たりまえの生活のこと。

非日常は感動したり感化されたり当たりまえではないことが起こる生活のこと。

という自分が基本ベースになっています。

日常生活への感謝

私が20代前半だったとき、何者かになりたかったです。なので当たり前への感謝なんて微塵もなくただ自分の成功とかお金とかそういうものに固執していました。

両親がいてサポートがあって、当たり前のように好きなことができて我慢なんてしたことがなかった私には当たり前の生活はむしろ苦痛だったようです。

そんな日本での生活に終止符を打ち、パリでの生活に移ったことで今までの自分の考え方や感謝のない姿勢を大きく見直すことになりました。

私には時々何もない方がいいと思うときがあります。原点に戻るきっかけのような、時々全て0からまた始めたいという心のリセット時期がきます。何かを手に入れることは素晴らしいことかもしれないけれど、その手にしたものを手放せる勇気がある方がずっとずっとかっこいいと思ってしまうからでしょうか。

でもそれは1つのものを大切にし続けることができない私の弱さでもありました。

当たり前とは『そうあるべきこと、当然であること、普段と同じであること、一般的、当然であること。』と辞書には書いてますがこのことに気付けないことが一番の不幸だと私は思います。

現に当たり前の日常を幸せだと思えなかった20代前半の頃の私の心の中はとても不幸でした。そこにあるのに気付けない。私の幸せはどこにあるんだろうって常にもがいていました。

両親がいるとか、大学に行けてるとか、毎日ご飯が食べられるとか、話を聞いてくれる友達がいるとかそれって日常だけどすごく幸せなことだと今になって思います。

ちゃんと考えればすぐそばにあるのに、、、と今では思うのに人は成長しないと日常の大切さにすら気が付けないのですから私はバカだったなと思います。

非日常生活への憧れ

若い頃の自分はこれが非常に強く、こっちを日常にするためにはどうすればいいのかということばかり考えていました(笑)

非日常の生活はきっととても憧れますよね。

毎日違うホテルに泊まったりとか、ノマドワーカーと呼ばれるものだったりとか、多分素性がよくわからないものに人は憧れるのかな?と今となっては思います。

でもいざホテル暮らしなどをしてみると思います。(※個人的意見です)

その場所に愛着がわかない。つまらない。飽きてくる。移動が大変。そんなに毎日違う場所を訪れることに感動がなくなる。

あれ?それなら日常の方が幸せだったんじゃないか?ってふと思うのです。

パリのアパート生活は狭い空間での彼との二人暮らしですが、大好きな人が横でいる幸せだったり、土日は美味しいパンオショコラとクロワッサンを一緒に食べられる幸せだったり、お金をそんなにかけなくても幸せって感じることができるものだなと思えたのは間違いなく彼のおかげです。

でもそんな彼との非日常のバカンスはとても楽しいものです。と言いますか、、、自分の大切な人との非日常はとても素敵な時間です。サロンメンバー旅も本当に楽しかったです。

1人で過ごす非日常もいいけれど、誰か大切な人と過ごす非日常はまた格別ですよね。

非日常が教えてくれるものは日常の大切さ、感性を豊かにする気持ち、新しい発見、行動力などで人生にはこっちもこっちで必要なものだと感じます。

まとめ

私たちはうまく日常と非日常の間で生きています。そしてそれをうまくコントロールし、両方の時間に感謝できたときに初めて本当に幸せだと感じることができます。

日本にいるときに美味しいお米を毎日食べられる幸せは私にとって日常なのか非日常なのかは今となってはわかりませんが、毎日当たり前に起こっていることはとても幸せなことだと思うのでした。




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