日本料理の本質を理解すること しっかりとした技術を持つこと その土地のものを最大限使うこと 日本料理が海外で人気というのは今や当たり前なことになっているが、最近少し違和感を感じることがある。 それは 人気なのは日本の料理であって、決して日本料理ではないということ。 居酒屋や寿司、ラーメンはそれは抜群の人気を誇る。 外国の方からすると日本料理cuisine japonaisになるのだろう。 けど、 日本料理人の自分からすると決して日本料理ではないということ。 日本料理 日
夕暮れ時、陽が落ちていくのを感じながら電車でパリに向かっている。 青空から、赤空になり次期に漆黒な景色がやってくる。 パリまでの3時間、自分だけの時間が待っている。 本を読んだり、Noteを書いたり(下書きばかり増えるが)、音楽聴いたり、勉強したり、仕事したり、YouTube見たり。 いづれにせよ、1週間を振り返り自分の今の状態を確認する事ができる。 これはなかなか大事な事だ。 僕は今、パリと南仏の2重生活を送っている。 家庭の問題であり、自分で選んだ事なので別にいい
今、僕は南フランスで新たに出来る日本料理店のシェフとして準備を進めている。スタッフは料理人、サービス含め今の所フランス人のみ。歳は20代。実際に日本料理店で働いたことがあるスタッフはいない。 しかし、彼らは、 やる気があり、真面目で、勉強熱心。 優しくて、他人へのリスペクトがある。 技術や知識は後から覚えればいい。 まずは気持ち。それがやっぱり大切に感じてしまう。 後は自分自身が彼らにとって本当の意味でリスペクトに値する人間で倣うべき料理人なのかになってくると思う。 人を
久しく時間があいてしまった。 今僕は南仏、Aix en Provenceというところにいる。 理由は日本料理をこの地でやる為。 この一年は多くのものを失った気もするし、 逆に多くのものを得た気もする。 また、多くの事の側面を見ることができたと思っている。 自分という人間の弱さと強さ。仕事の在り方。
出会いというのは不思議だと思う。 きっと、日常に溢れているのに、そうは"出会い"には出会わない。 タイミングか。 それはある意味運命か。 タイミングが合わない人にはどうあっても会えない。 けど、気付かないといけない。 そして、行動しないといけない。 それがないと出会っても本当の意味で出会えないから。 そう言う意味では"出会い"は 運命であり 作り出すものかもしれない。
小学生の頃、お腹が空くとおばあちゃんが特大の丸い味噌おにぎりを作ってくれた。 今でもその時のことは鮮明に覚えている。 決して綺麗とは言えない台所。 物に溢れているちゃぶ台。 残り物の入った鍋。 そこで、おにぎりを握ってくれるおばあちゃん。 ”美味しい” という記憶しかない。 そして、その想いが僕を料理に向かわせたと言っても過言ではない。 (誤解の無いように言っておくが、母親も最高に料理上手だ) * 今、僕はプロの料理人となった。 良い食材を使い、
コロナが見つかって以降、飲食業界は先の見えない世界へと突入した。 ここフランスではレストラン営業が数ヶ月禁止になり、現在も100%の営業はできていない。 国が保証をしてくれているので従業員はどうにかなっているが、、 経営者は厳しい日々を過ごしている。 年内までは続くと言われているので、今後どうなっていくのだろうか。 保証が出る間はゆっくりすれば良いなんて声も聞こえてくるが。。 ー最近とあるお客さんに言われた事がある。 「よい食材とかじゃなくて、面白い料理を作って欲しい」と
久しぶりに浴衣を着てみた。 なんとも心地良い。 着心地も気持ちも。 こんな時日本人で良かったと思ってしまう。 その反面、不便さも感じる。下駄は歩きづらいし、大股では歩けない。靴擦れもする。上手く着ないと着崩れるし、動きも制限される。 着慣れた人からするとそれは慣れてないからだよと言われそうだが。 けど、そんな不自由さも心地良かったりする。 自分が生まれた時には和装は何かある時の特別なものになっていた。 お祭りや結婚式に成人式。京都に行った時も来たりする。笑 そんな時ぐらいし
はじめまして。野田一成と申します。 パリで料理人をやっています。 フランス料理ではなく日本料理です。 なぜ日本料理なのに海外なのか? それは、『日本料理を世界に』を合言葉にしていた師匠の影響は大きいところだと思います。日本料理というのは単に料理だけではありません。器はもちろん、料理人が使う道具、調理の仕方、食材への向き合い方、しつらえに決まり事。そういった様々な事が重なって出来上がっている物です。大きく言ってしまうと、日本という国の縮小図みたいな物だと思っています。 料理が
料理バカと言われることがある。これはきっと褒め言葉だろう。自分もそう捉えている。しかし、だからと言って人様より料理が出来るわけではない。いや、残念ながらその逆だ。。だから天才に憧れてきた。そうなりたいと思っていた。 料理が好きで料理人。 料理人をはじめてもう13年が経った。『 龍吟』に始まり、様々な国で料理を文化を学び、フランス パリにやってきた。