見出し画像

パリで板前しております

はじめまして。野田一成と申します。
パリで料理人をやっています。
フランス料理ではなく日本料理です。
なぜ日本料理なのに海外なのか?
それは、『日本料理を世界に』を合言葉にしていた師匠の影響は大きいところだと思います。日本料理というのは単に料理だけではありません。器はもちろん、料理人が使う道具、調理の仕方、食材への向き合い方、しつらえに決まり事。そういった様々な事が重なって出来上がっている物です。大きく言ってしまうと、日本という国の縮小図みたいな物だと思っています。
料理が好きで料理人。日本が好き。本当に素晴らしい国だと思います。
だからこそ海外に出る事にしました。


今から9年前、海外に出た。
ニューヨーク、韓国、イタリア、スペイン、シンガポール、フランス
色々な国で本当に色々な事と出会って来た。
人種に文化、生活に考え方。様々であるけれど、別に当たり前の事。
関東と関西で言葉や食生活が違うように。
言葉は確かにネックではあったけど、そこまで重要でない事に海外に出て気が付いた。

そんな中でも考えることはやっぱり料理の事。
海外にでて常に頭の中にある事があった。

”美味しさって何だろう?”

文化も食材も調理法も違う。そんな中で共通の美味しさってあるのか?
地元の人が絶賛する料理でも日本人の自分には合わないものもある。その逆も然り。
志向の違いか? 文化の違いか?
結論から言うと、それは育ってきた環境の味。言い換えれば『おふくろの味』と言う考えに至った。 
小さい頃に食べ慣れた味に美味しさを感じる。
味覚といえば分かりやすくなる。
日本料理を海外でやる自分にとって、これは大きな課題となった。
お客さんが食べ慣れた食材、調理法、味付け、そういったものを意識して料理をする。
その国でしか食べれない料理 を考えるようになった。 
流行りの料理を作ろうとしている自分もいた。
何か人と違う事をやらなければと思っていた。
やればやる程深みにハマる感じ。。
変化するべき部分と、変えてはいけない部分がわからない時期もあった。
30代前半はそんな日々を過ごしていた。

結婚して子供が出来て、フランスに拠点を移してから本当に様々な事が変わった。 生活はもちろん家族中心。その点はフランスは子連れに優しかったが。仕事はシェフとして働く事が決まっていたが日本人が一人もいない店でフランス語が全く話せない自分。普通に考えればあり得ないことだろうが、それはそれで意外とどうにかなっていた。
外国人全般に言えることだが、フランス人は特に自己主張が激しい。
あまり自己主張のない日本人からすると羨ましい部分でもある。
しかし、実際一緒に働くとなると話は変わってくる。
まじで喧嘩が絶えなかった。仕事中は毎日と言って良いほど何かしらもめる日々。筋が通っていればいのだが、そんな事はない。。
この野郎と思う事も幾度となくあった。笑
ただ、仕事が終わればそんな話は忘れ飲みに行く。日本人的なネチネチ感はない。その点はだいぶ楽だった。そして疲れた。。
そんな彼らと働くにつれて考える事があった。
真面目に黙々と日々料理に向き合う事。
素晴らしい事だと思うが、それだけで今後の世界は生きていけるのか。
野田一成という人間はそれで良いのか?
自分のあり方を今一度考えていた。



この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?