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人間にとっての情報の価値

時代とともに人間が保存できる情報量は増えています。

文字ができるまでは、人間の記憶力に情報の保存量は依存していました。容量も少ない上に、その人が生きている間しか情報は保存できませんでした(大事なことは次世代に語り継がれますが)。かなり短期で少量です。


文字などをはじめとして、概念を記号化することが発明されてから、事実上人間の記憶量と保存期間は大幅に増えました。文字などの記号を紙などに記すことで、外付けHDDのように記憶容量を拡大でき、自分の死後も残りますから。

しかし、保存した情報の管理は難しく、結局扱える情報量は有限でした。例えば、情報が物質として存在する以上、紛失や破損の恐れは高く、検索機能もないため目的の情報を取り出すことは容易ではありませんでした。


それからコンピュータが誕生して、人間は空間的制約を逃れ、無限ともいえるほどに情報を蓄えることができるようになりました。

また情報の形も多岐に渡ります。コンピュータ上の単純な0・1(二進法での表現)という情報は、文字だけでなく、画像、動画、音声、あらゆる形に変換されます。

多分人間が遺伝子的に賢くなったわけではありませんが、記憶力は無限になったとも考えることができます。保存できる情報量についての問題はあらかた解決し、次に人間は、大量に貯められた情報の使い方を工夫するようになりました。具体的には、人間の記憶を助けるものとして人間の外部に拡張された情報を使うだけでなく、その外部の大量の情報から、人の様に振る舞う知能(AI)を作ろうとしています。

AIは、高性能の計算機を用いて、データを適切に加工し学ばせることで使用されるシステムです。AIの発展には目を見張るものがありますが、現状AIには苦手なところ(例えば、人間の常識のような、定量化できないことをAIに学ばせることは難しい)があり、シンギュラリティはまだまだのようです。

まだまだAIには課題も残っているものの、現在、情報自体が石油のように価値を生む存在になっています。実際、世界の時価総額ランキングでトップに躍り出ている企業は、ほとんどビッグデータを活用している企業です。


今後の教育では、遅かれ早かれ、記憶力を試すようなものよりも、情報の調べ方や個人の発想に重きを置かれていくのではないかなと思っています。

もう教育を受ける立場ではなくなる私も他人事ではいけませんが。

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