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お金のない世界を考えてみる。

昨晩何となくつけていたテレビ番組で、前澤友作さんがこんなことを言っていた。


「世界からお金をなくしたい」


わたしはこの言葉を聞いて、これが現実になって欲しいと思った。なって欲しいは人任せかもしれないけれど、そういう世界でわたしも生きたいと思う。



人はなぜ働くのか。この問いの答えをずっと探している。
大抵の人の答えは、「食べていくため」だろうか。食べていく、つまり生きていくために人は働く。生きていくために、今の世の中ではお金が必要だ。食べるもの、着るもの、遊ぶことにもお金がかかる。毎日何かにお金を払い、それと引き換えにわたしたちは何かを得る。それが世界の当たり前で、社会のルールだ。ルールを破れば罰を与えられる。だから、わたしたちは当たり前のように世界のルールを守って生きる。


お金は大切だ。お金がなければ、食べたいものも食べられないし、欲しいものも買えない。一時期のわたしは、本当にお金に困っていた。どのくらい困っていたかと言うと、月末が近づくと通帳の残金が二桁になるくらい。光熱費の督促状はよく届いたし、恥ずかしいけれど自動販売機のおつりにお金がないか探したこともある。頭の中はお金がない不安と焦りでいっぱいで、それが病気の症状につながり、負のスパイラルにはまっていった。


物を盗むことを、考えなかったわけではない。でもわたしには、今の社会のルールに逆らうことができなかった。それをすれば犯罪者となり、自分がもっと苦しくなるとどこかで思っていたからだと思う。
お金がない世界を望んでいるからと言って、窃盗が良いことだとは思っていない。社会のルールは、わたしたちの生活を守るためにある。わたしたちの生活はわたしたちで守るしかない。神様が直接守ってくれるわけではない。あの頃のようなお金への不安を感じる毎日ではなくなっても、今が充分なわけではない。お金に対する不安はいつでも付きまとっている。それはわたしだけではないと思う。


ではお金があればあるほど人は幸せに生きられるのか。幸せだという人もいるだろう。でも、明日3億円の宝くじが当たっても、わたしの心は満たされないと思うのだ。お金に対する不安は消えても、それは生きづらさの根本的な解決にはならない。お金があることに人が一喜一憂するのは、今の世界がお金とともに回っているからだ。世の中にお金がなければ、お金について考えることはなくなる。そうなったら、今までお金について考えていた時間を、人は何に使うのだろう。何について考える時間が増えるのだろう。


少なくとも、今よりすこしは目の前の人のことを考えられるようになるのではないかと思う。お金という概念がなくなったとき、人は損得だけで動けなくなる。この世に「もの」がある限り、損得の考えはなくならないかもしれない。けれど、お金という人間にとって大きな「もの」がなくなったとき、人間が考えることは、何をしていたら自分が楽しく生きられるかということではないだろうか。そのときに、誰しも一度は考えることになると思う。人は何のために働くのかということを。

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お金について考える

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