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【長編小説】陽炎、稲妻、月の影 #30

第4話 天秤に掛けるもの――(11)

 放課後、アサカゲさんから第四資料室に来るように言われ、早めに行って待機していたところ、不敵な笑みを浮かべたアサカゲさんがやって来た。
「テスト、全部返ってきたぜ。見ろよ、ろむ」
 その自信満々な口ぶりからして、補習回避は確定したのだろう。
 俺も内心ほくそ笑みながら、アサカゲさんが鞄から取り出し机に並べていく答案用紙を眺める。しかし枚数が増えていくにつれ、その予想を遥かに上回った結果に、俺は驚嘆の声を上げるほかなかった。
 なにせ、苦手だと言っていた化学、英語、数学はもちろんのこと、全教科とも八十点以上だったのである。
 彼女に勉強を教えていた身としては、赤点回避はほぼ確実、基礎はできているのだから平均点は堅いだろう程度の手応えだったが故に、ここまで目を見張る結果を出すとは、予想だにしていなかった。
「すごい、すごいよアサカゲさん! 頑張ったもんねえ」
 感極まって、俺は思わずアサカゲさんの頭を撫でた。
 基本的に、幽霊から人間への接触は叶わない。よほどその場の霊力が高くない限り、全てすり抜けていってしまう。だから俺がアサカゲさんの頭を撫でようとしても、それはほとんど空振りで終わる。いくら霊能力のあるアサカゲさんといえど、俺の手が触れる感触はないに等しいだろう。
 あくまで、撫でたふりのつもりだった。
 けれど、アサカゲさんがあまりにもそれを凝視してきたものだから、俺は我に返って手を離した。
「ご、ごめん、子ども扱いするわけじゃなくて……」
 どう言語化すべきか、適切な言葉が見つからない。
 頑張ったのだから、褒めたかった。
 けれど、どうして手が伸びたのかまではわからない。
 ほとんど条件反射のようなものだった。
 身体に染みついた動作が、考えるよりも先に行動に出ていた。
 それじゃあ、その条件とはなんだったのだろう。
「む。なんで止めんだよ。もっと撫でろ。もっと褒めろ」
 オレはそれだけ頑張っただろ。
 そう言ってアサカゲさんは、俺の右手首に巻かれたリストバンドに軽く触れた。
 途端、右手に感覚が通っていくのがわかった。実体を持つほどではないが、一時的に物理干渉可能になったのだと、頭よりも先に感覚で理解する。
「そ、それじゃあ、失礼シマス……!」
「おう」
 ずいっと迫ってきたアサカゲさんの頭部に、恐る恐る触れる。
 温かい。人間の体温だ。
 どこか懐かしい感覚に襲われつつ、俺はアサカゲさんの頭を撫で続ける。アサカゲさんは目を閉じ、口角を上げ、頭部の感覚に集中している。表情は誰が見たって上機嫌のそれだ。
 それを見ながら、俺は心の中でぼんやりと、背の高い人は頭を撫でられる経験が少ないんだっけ、なんてことを思い出していた。特にアサカゲさんの場合、女子の中では高身長だし、実家を離れお寺に預けられ幼少期を過ごしたという経歴では、誰かから頭を撫でられる経験なんてなかったのかもしれない。
「――あ! 朝陰さん、こんなところに居たっ!」
 と。
 廊下からアサカゲさんを呼ぶ大きな声がして、俺は反射的にアサカゲさんから手を離し、アサカゲさんは俺から一歩距離を取った。
 声の主であるタカハシさんは、特段俺たちの挙動を気にすることなく、やっと見つけたよお、と言いながら、部屋に入って来る。見れば、額には汗が滲んでいる。かなり校内を歩き回ったのかもしれない。
「朝陰さん、今ちょっと良いかな? 相談したいことがあって」
「ああ、良いぜ」
 すっかりいつもの落ち着いた表情に戻ったアサカゲさんは、手早く答案用紙を回収しつつ頷いた。
「さっき、クラスのみんなと、夏休みに学校で肝試しをしないかって話が出てね。一応、そういうの詳しい朝陰さんに、やっても大丈夫か確認したくって」
「そんなの、駄目に決まってんだろ」
「クラスの交流会って名目で旧校舎の使用許可を取って、暗幕とか借りて昼間のうちにやるからさ」
「時間帯は関係ねえ。この間、中庭でやべえ奴が出たのは知ってんだろ。そういうのは、遊園地にでも行ってやりゃ良いじゃねえか」
「そうなんだけど、そうじゃなくってさあ~! あ、それじゃあ、朝陰さんの巡回に着いていくっていうのは――」
「無理」
 アサカゲさんとタカハシさんの押し問答は、見事平行線となってしまった。
 しかしまた、どうして急にそんな話になったのだろうかと、俺は首を傾げる。タカハシさんは今まで、アサカゲさんを怖がっている側の人間ではなかっただろうか。
「でもさあ、それこそ、この間の中庭での朝陰さんの活躍、直接は見てないからさあ。めっちゃ格好良かったって噂でもちきりだよ? 肝試しやった後の打ち上げで、その話とか聞いてみたいんだよ~」
 タカハシさんのその言葉で、霧が一気に晴れるように、俺は彼女の意図が理解できてしまった。
 ――そのひと押しっていうのは、案外もう起きてるんじゃない?
 イチギくんの言う通りだった。
 きっかけなんて、俺が画策するまでもなく、既にそこに散らばっていたんだ。
 だから肝試しなんだ。
 そうじゃなきゃ、アサカゲさんに話さえ聞いてもらえないかもしれなかったから。
 そう、これは恐らく、最初に無茶な要求をして断らせてから、本命の要求を承諾させる――所謂、ドアインザフェイスと呼ばれる交渉術だ。
「無理だっつってんだろ。こっちは夏休み中も忙しいんだ。なあ、ろむ」
「うん。肝試しは難しいけど、そのあとの打ち上げくらいなら良いんじゃない?」
「だよな。ほら、こいつも無理って――は?」
 見事なノリツッコミを決めたアサカゲさんは、お前オレを裏切るつもりか、とでも言いたげに、俺を強く睨んでくる。さっきまで和やかな雰囲気で頭を撫でられていた子と同一人物とは思えないと内心怯えつつ、俺は口を開く。
「アサカゲさんが心配してるのは、肝試し中に危険な霊が集まっちゃうことでしょ? それは俺も同意だよ。だから肝試しを中止して、そのあとの打ち上げをメインにしちゃえば、問題はないんじゃない?」
「……まあ、確かにそうだな」
 頷くアサカゲさんに相反し。
 なに余計なこと言ってくれちゃったの、と言わんばかりのタカハシさん。
 俺はタカハシさんを宥めつつ、口を開く。
「とはいえ、俺らが口先だけで駄目って言ったところで、隠れて肝試しをされても困るじゃん? ねえタカハシさん、それってクラスの全員に声を掛けるのなら、実施候補日って自然と限られてくるよね?」
「え? う、うん、そうだね?」
 俺の意図を掴みきれていないらしいタカハシさんは、曖昧ながらに首肯した。
 よしよし、順調だぞ。
 心の中でほくそ笑みつつ、俺は続ける。
「だからアサカゲさん、候補日にはいつもより校内の様子に目を光らせておいて、実施日はそこに参加することで、みんなが肝試しをしないように見張っておけば良いと思わない?」
「……なるほど?」
 半分頷いたアサカゲさんを見て、ようやく俺の意図を察したらしいタカハシさんは、にやりと悪どい笑みを浮かべる。
「わ、わあー、ろむ君ってば、それ言っちゃう? 駄目って言われても、内緒で準備して決行しちゃおうと思ってたのにー」
「だってほら、俺も校内は平穏であるべきだと思うからさー。みんながどれだけ肝試しを熱望していても、それを止める責任があるっていうかー」
「……」
 アサカゲさんはしばしの間、なにか物言いたげな目を俺とタカハシさんに向けていた。が、自身の中で決着が着いたのか、
「わかった、オレも打ち上げに参加する。これで良いか?」
と、肩を竦ませて言った。
 これはどうやら、こちらの魂胆は筒抜けになっていたようだが、承諾は承諾である。
「やったあ!」
 タカハシさんは、そのまま天井まで手が届きそうなくらいに勢い良く勝鬨を上げた。
 そんなタカハシさんに釘を刺すように、アサカゲさんは言う。
「オレに声をかけてきたのは、そっちだからな。場の空気が悪くなっても、オレの所為にするんじゃねえぞ」
「そんなことはしないよ、大丈夫! っていうか、むしろあたしたちのほうが朝陰さんのこと誤解してたみたいだし。だからさ、いっぱいお喋りしよ。いつなら都合良いかな。てか、連絡先教えて欲しい!」
 アサカゲさんの牽制をものともせず、タカハシさんはぐいぐい距離を詰めていく。
 その光景を見ているだけで、なんだか万感の思いがした。
「おい、ろむ。他人事みたいに保護者面してんじゃねえぞ。お前も来いよ、打ち上げ」
「え? でもそういうのって、どこかのお店でやるもんじゃないの?」
 アサカゲさんがどうしてそんな無理難題を言うのかわからなくて、俺は首を傾げた。学校の外に出られない地縛霊にとっては、どうしたって他人事じゃないか。
「お前……前提というか、建前を忘れんなよ。隙を突いて肝試しをしようとしてる連中だぞ? 場所は十中八九この校内に決まってるじゃねえか。なあ?」
 そう言って、アサカゲさんはタカハシさんに視線を送った。
「う、うん、そうだね。みんないろんなところからここに通ってるし、学校が一番都合良いと思う」
「……というわけだ。その日はろむも、オレと一緒に参加しろよ」
「い、いやいや、幽霊が参加するのは駄目でしょ……」
「えー? いいじゃん、境山高校サカコーらしくって。ろむ君なら大歓迎だよ!」
「……それなら、お邪魔させてもらうね」
「えへへ、良い日にしようね、二人とも!」
 そうして、まさかまさかの、地縛霊も参加する一年三組の打ち上げ開催が決定したのだった。
 日程調整の末、本当にクラスの大半が参加した打ち上げは、大盛り上がりの大成功だった。俺もアサカゲさんも、一年三組の面々とたくさん交流できたし、なにより、アサカゲさんも楽しそうにしていた。
 参加動機はさておき。
 アサカゲさんに高校生らしい日常と思い出ができて、本当に良かった。

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