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今だからこそ、偶然の可能性を信じたい

Zoomなどのオンラインツールや、コロナ禍による意識変化のおかげで、「現場」にいなくても必要十分なコミュニケーションが取れるようになりました。地方の、それも過疎地にいながら、各地に住む方とお話ししたり、イベントに参加できたりするので、便利な世の中になったなぁと思います。

一方で、偶然の出会いや余白といったものが失われていくことに、一抹の不安を感じるのも事実です。

自覚的な目的意識によって排除してしまうものの中には、多くの可能性を秘めたビックバンの素のようなものがあると私は思うのですが、それらに出会うための「偶然性」がなくなっていくことに、少し窮屈さを感じてしまうのです。

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先日、車で40分ほどかかる隣町の本屋さんへ行きました。雑誌の種類が豊富で、多くが立ち読みできたので、時間を忘れて楽しんでしまいました。

いろいろなジャンルのいろいろな出版物の間を歩き回っていた時、すごく自分の興味の扉が開いてるなと感じました。あー、とっても自由だなと。

旅の雑誌、カメラの雑誌、ロハス系の雑誌と、自分が興味あると“知っている”ジャンルの雑誌を立ち読みした後に、なんとなく隣にあったアイドル誌を開きました。そこに書かれていた新人アイドルのインタビューが、もうめちゃくちゃ面白くて、ちょっとファンになってしまいました。(雑誌はもちろん買いました)

また別の棚では、普段は読まないハイブランドのファッション誌がなんとなく気になったので手に取りました。編集長のコラムを読んだら、今までよくわからなかった「ファッション」という表現方法について、その面白さを少しですが理解することができました。ファッションカルチャーをきちんと知りたくなり、東京で服飾関係の仕事をしている友達に久しぶりに連絡してみることにしました。(この雑誌も買いました)

「目的を絞らずに選べるってすごい楽しいな」

検索しないでいいってこんなに自由なんだと、雑誌や書籍の間をうろうろしながら思いました。自覚している興味の外にあるものが偶然目に入ったことによる、境界線の拡大、それがすごく心地よかったのです。

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誰に聞いたか忘れましたが、同じ内容の本でも、電子書籍よりも紙の本の方が、インターネットよりも本屋で購入する方が、「一冊の読書体験から得られる総合的な情報量」は多いそうです。

本のサイズや手触り、紙の質感や「めくるページ」を想定されたレイアウトの妙などは、やはり紙の本でないと得られない「本の情報(体験)」です。

また、本屋さんで他の雑誌や書籍に目移りしながら見つけた一冊を買うことと、目的を絞って検索をかけた結果によるおすすめ本を買うことは、また別の行為のように感じます。

自分が必要と知っているもの以外のものに触れること。そこから、全く予期していなかった自分の興味を知り、アイデアや感情が生まれ、そしてそれがまた別の新しい出会いを産むこと。

「出会いの連鎖」と私は思うのですが、世の中の偶然や余白と呼ばれるものの中には、そんな素晴らしい可能性のようなものがあると思っています。

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そういう意味で、人との関係においても、デジタルのやりとりでは得られないものがやはりたくさんある気がしています。

私は普段、全国の自治体さんのサテライトオフィス 誘致支援などを行う会社で働いています。地方への進出を検討する企業や個人に届ける情報の中で、一番大切にしてきたのが「つながり」でした。

サテライトオフィス 進出は、何はともあれ、現地に足を運び、そこがどんな場所で、どんな人が住んでいて、どんな地域課題を抱えているのかを知ることから始まります。

企業と自治体が、お互いの人となりを理解し、「できること」と「足りないこと」を共有することで、例えば、人口減少といった地域課題から、新しいIoTサービスを生み出した事例がいくつもあります。

「しずる感」とでも言いますか、現地に行ったり、実際に会ったりするからこそ得られる情報や出会いが、「ワクワクするような新しい何か」を生むためには必要だと思うのです。

漁師さんがぽろっとこぼした愚痴や、役場職員さんが雑談の中で打ち明けてくれた夢、温かいと思っていた徳島の冬が意外と寒いことや、「海底まで見える透明な海」が実は漁師さんにとっては「栄養分の少ない枯れた海」であるという事実。

そんなことを、“たまたま”拾えることが「現場」で人に会う醍醐味ではないでしょうか。

積極的に知りたいと思っていたことではないけれど、興味深い話や景色に触れることで、それまでとは全く別の見方ができるようになる。そんなワクワクが「生身」のコミュニケーションにはあると思うのです。


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インターネットによりどんどん便利になる世の中。欲しいものは最短ルートで簡単に手に入るし、話したい人ともすぐに「会話」できるようになりました。

自分の興味や感情に自覚的になり、何が必要かを選んで、人生を能動的に生きることはとても素晴らしいことです。本当に。

でもだからこそ、「たまたま」や「なんとなく」といった余白も大切にしていきたい。コロナ禍で、人の往来や出会いがより制限される中では特に強く思うのです。

「イノベーション」というとなんだか大袈裟ですが、自分と世界の可能性を狭めないために、あえて寄り道をしていきたい。無駄だと思える時間も愛したい。だらだら、ふらふら、ぺちゃくちゃしたい。

そんな気持ちで、日々を生きたいなと思います。


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