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友達が 1人もいない 家庭事情 ~先輩が後輩に威張るのは動物的な本能~

 私には友達が1人もいない。長年に渡りいないため今更友達を作り、ライスペーパーぐらいペラペラな友情に生春巻かれるくらいならばずっと孤独でかまわないという悟りの境地に達してからというもの無理して人に好かれようとするという努力に一切のエネルギーを注ぐことがなくなった。

 そのため職場では可愛げが灰燼に帰した面倒な後輩としての地位を確立しとある先輩には確実に他の後輩よりもキツイあたりをされるも後輩の立場上なにも言えず奥歯の形が変わるほどに無力を噛み締めてきたものの「現実と霊柩車は見るな」という私の座右の銘の名のもとに私の奥底に潜むチャーミング性に気づくことのできない先輩の懐が足湯の如く浅いだけであるとの持論を展開し無視を決め込んでいる。

 ただその先輩の私に対するイニシアティブは決して渡さないと言わんばかりの横暴さにはなにか秘められた理由があって元来はそこまで悪い人間ではないのじゃないかと懐がケルマデック海溝ぐらい深い私は考えた。そしてある一つの可能性を導きだすことに成功した。

 その先輩のその日の私への態度のレベルは先輩の出勤と同時に分かる。幼少よりあらゆるカーストの最下層で生きてきた私はその人間がどのくらい危険であるかを瞬時に判断できるスラム街の子供たちと同じような力が備わっているため先輩の出勤時の挨拶によってその日の機嫌がすぐに分かるのだった。普通の挨拶ならば機嫌がいい。小声の挨拶ならば機嫌が悪い。そして挨拶すらしない場合は絶望の前哨として虫唾が100m12秒台で走り抜けることを覚悟しなければならない。

 ではなぜ先輩は機嫌が悪いまま出勤しているのか。それは家庭の問題があるからだ。他の従業員とその先輩の会話の中で漏れ聞こえてくる話によるとどうやら旦那や姑、および親戚との関係性は良好ではないらしい。そんなざまあみ・・・大変な環境は同情に値するがなぜそれを職場に持ち込むのだろうか?その答えは私の推論ではあるけれど自分のナワバリを守りたいからだ。

 動物が同族と争う理由の多くはナワバリの争いだ。話を聞く限りその先輩は家庭では母親としての役割や介護などに追われ自由で気が休まる場所がないらしい。その先輩にとって先輩の威厳を使って自由にふるまえるナワバリと言える場所ががおそらく職場なのだと思う。

 そのため常に群れのボスでいたがる先輩からすれば苦渋難渋なんのそので案山子のように飄々としている私のことが気に喰わず、家庭での体内で鎮静化できなかったいら立ちやストレスのエネルギーの余波私にぶつけるのだろう。

 そんな実に人間味のあるバックボーンを勝手に想像してみるとあの理不尽の極みだった恐ろしい先輩も間近で見たサメの目くらい可愛げがあるのだが私は絶対に許さない。

 ・・・申し訳ない。その人の人となりを知れば理解しあえると思っていたのだけれど先輩から受けた過去の仕打ちをダイジェストで思い返してみたところ価値観の抜本的改革には至らなかった。とりあえず先輩には私以外の新しいストレスのはけ口を見つけてきてもらわないと・・・noteでも薦めるか。


 

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