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酒に破れた人間の末路

 大阪という街に平穏と呼べる日は存在しない。この街に住んでみておよそ10年の月日が経つが常々日本が銃社会でなくてよかったと本気で思っているし、引っ越してきて2日目にして街でおっさんとおっさんが自転車を投げ合っているのを見たときにはこの街に来たことを心より後悔した。ただそういった目に見える恐怖に関してはなんとか対策がとれるもののそうはいかない人たちもいる。酔っ払いだ。

 以外と思われるが私は酒を一滴も呑めない。そもそも魂が苔むしているような私がかろうじて人間の姿を保てているのは酒とギャンブルに手を出していないからであるし、仮に手を出してしまえば神速の転落が待っているだろうことは間違いないだろう。

 そのため私は酔っ払いの気持ちが微塵も理解できない。酔っぱらえばその者の持つ蛮勇な部分を肥大化させるという酒気がまとう効力は理解しているがその後に待ち受ける苦痛のほどは把握しかねるし、かつて酔った知り合いが言っていた「こめかみなんかいらない」という魂の叫びに対しても「いるだろ」と言ってしまいその場を北極圏のような空気にしてしまった。

 そんな交友関係が皆無で酒とは無縁の生活を送る私だったが久しぶりに間近で酔っ払いと呼べる人と接触することとなってしまった。

 その男は私に努める立ち食いそば屋に客としてやってきたのだが入ってきた瞬間に嫌な空気を感じた。なぜならその男は近所でたびたび目撃されている得体の知れない街中徘徊おっさん4人衆のうちの1人であった。残りの3名は今もなお何者か不明である。

 ずんぐりむっくりな体系でモアイ像から手足が生えたようなその男は入ってから5分ほど熟考を始めた。速さを売りにする立ち食いそば屋にとって熟考とは愚の骨頂であり冒涜である。ようやく注文したと思ったら一人では到底食べきれないほどの料理を注文しおまけにビールまで頼んだ。このとき私は注文を聞きながら男から発される言葉からふしぶしに感じる頭がくらくらする匂いを感じようやくこの男が酔っ払いであると認識した。

 これが酔っ払いか・・・私はその男を60年代のセドリックを見るような珍しいものを見る目でじっと観察をしてみた。目は虚ろであり時折壁の何もないスペースを見て微笑むさまは酒の快楽を知らぬ私からすればまるでエドワード・ゴーリーの絵本の世界に迷い込んだかのようでむしろ恐怖に感じた。男はさきほど頼んだ大量の料理を満腹などという言葉が存在しないかのようにペロリと平らげた。そして・・・寝た。

 私はそのあと他の従業員たちとともに男を取り囲み「帰れ」「邪魔」の2つの言葉をオブラートで幾重にも包み込み様々な似た優しめの言葉に変換させて交渉しなんとか帰らせたあと、共に交渉を試みた従業員と人生でおよそ20年ぶりにハイタッチをした。手と手がふれあいパチーンと気持ちのいい音が店内に響いた瞬間に私は背中に羽が生えたような高揚感を抱くとともにこう思った。酒は絶対にやめよう。

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