尾崎豊と私のCD
ある日姉に「あんた、尾崎豊と同じ誕生日よ」と教えてもらいました。誰しも1度は自分と同じ誕生日の芸能人を調べることはあると思います。しかし、私は自分の好きなアーティストが同じ誕生日とは気付いていませんでした。嬉しいと同時に、少し尾崎豊について調べてみようと思いました。
すると、尾崎豊が亡くなった翌月に僕が生まれていることが分かりました。
誕生日が同じ、亡くなった年と生まれた年が同じ。
この2つの事実から導き出されるのは、「俺って尾崎豊の生まれ変わり?」
この話をある後輩にしてみました。
後輩「うわ!!痛い( TДT)小さい頃に言うならまだしも、大人になってそんなこと言います?」
俺「いや、半分冗談よ笑」
後輩「いや、半分マジなんすか?ひくわ~」
ここまでが約10年前の話。
そして、最近もう1つの共通項を発見しました。それは、尾崎豊も双極性障害を患っていたということ(一説によると)です。
3つの共通項。俺は音楽やっていた方が良かったんじゃないかと思ったり…いや…一回やりました。というか、タイトルにある通りCDを作りました。前置きが長くなりましたが、今回はそのCDにまつわる話を書いてみようと思います。
いつ、なぜCDを作ろうと思ったのかから書いていきます。
大学時代、僕の通う大学・学部では3割がゼミから漏れることになっていました。どのゼミにも所属しない。すなわち、卒論も書かない大学生。その3割の中の1人が僕でした。
卒論も書かないとなると、大学在学時で形に残せるものが何もない。それが嫌だった私は、高校からやっていたギター片手に卒業CDを作ることにしました。
それが、後に呪いのCDとなることも知らずに…
約2ヶ月間誰とも話さず、家に引きこもり、MDにマイクを繋いで録音をする。途中で何度も面倒くさくなったり、曲が書けなかったり(アーティスト気取りか笑)して、紆余曲折ありましたが、なんとかかんとか録音は終了。
出来たCDを一言で形容するなら、魂の抜けきった歌。それでも、歌詞カードは手書きし、友人にお願いしてジャケットも作成してもらいました。
卒業間際ギリギリで完成し、友人たちに配りました。
ここから呪いの話をします。とは言っても呪いは2つだけです。
①呪いその1
CDを配ってしばらくして、後輩から言われました。「わしさんのCD、一度コンポで聴いたら、CDトレイから出せなくなってしまったんですよ。」
俺「え?💦それじゃあ、俺のCDしか聴けないコンポになっちゃったってこと?」
後輩「そうです」
俺「沢山…聴いてくれ…」
②呪いその2
小学校時代からの旧友が私のCDを絶賛してくれました。
「いいよ!!お前のCDめちゃくちゃ良いよ!!!」
歌詞についての質問も色々としてくれて、かなり聴き込んでくれているのが分かりました。
「この曲のこの歌詞は、こういった心境に繋がってるのか?」
「これは歌詞カードに記されてないけど、何て言ってるんだ?」
誉めてくれる友人も結構おりましたが、ここまで絶賛してくれたのは旧友だけだったので、正直すごく嬉しかったのを覚えています。しかし、その後の一言で、少しその旧友のことが心配になりました。
「いや~、毎日、営業車の中で聴いてるよ~」
彼は不動産の営業をしていて、入社1年目でした。あんな魂の抜けた歌を聴いて営業に支障きたさないかな?と僕は思いました。
心配は的中。俺の曲を聴き続けた旧友は、約1年間、家が一件も売れずに退職しました。や、やっぱり、呪われている…
さて、最近部屋の整理をしていたら、配りきれなかったこのCDが数枚出てきました。興味を持たれた方、どうですか?
勿論無料です。あっ、特典で呪いが付いてくるかもしれません。
尾崎豊とは月とスッポンだな。
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