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【体験談】ストレスで病気になった

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ストレスで体調不良に。はじめてのメンタルクリニック受診。適応障害、うつの診断→休職→復職→退職。ストレスの根本原因って、なんだろう?わたしの体験談です。
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【体験談】ストレスで病気になった①【きっかけ】

わたしは仕事のストレスで体調を崩して、会社を辞めることになりました。その経緯を7回に分けて書きたいと思います。記事は下記マガジンにまとめています。▼ 発病のきっかけは部署異動仕事もプライベートも充実していたころ、突然わたしに異動が言い渡されました。晴天の霹靂。ちょっと何言ってるか分からないです状態。先輩もビックリ。 会社員としての宿命、部署異動。今回の異動について、わたしは心の底では納得していませんでした。 適材適所の配置じゃないし、わたしのキャリアアップのためでもなさ

自分の障害、特性をオープンにする訓練中

元気に就職活動中。パジャマで暮らしたいです。履歴書、職務経歴書を書いちゃ直しちゃ書いちゃ… そんな日々です。 1回転職した経験があるんで、その時の記憶で書類は完成させまして。よっしゃ、できたわ! って、寝かせてたんです。 数日経って、なんかモヤモヤしてきて。この違和感は何だろうかと、再度書類を見直して、あー… これは、病気する前の感覚で書いてるなって気づいたんです。私は障害を開示していく、オープン就労用の書類は書いたことがないんだなあ。 いやはや、自覚が足りないです。

適応障害になった私が、それでも組織へ戻ろうと思うのは

就職口を探しています。「自分、組織人向いてないってわかったのに、またそこへ戻ろうとしてんのかい!なんでやねん!」という声が聞こえてきそうです。パジャマで暮らしたいと名乗ってるのにね。 そりゃ、できることなら家の中で仕事してたいですわ。世の中全部に不安と恐怖を無意識で感じている人間ですから。部屋から一歩も出たくねえ。 でも、前職の出来事を思い返すと、ちょっと待てよと。適応障害を発症するに至るまでに手元に集まってきたカードの1つに「家でも休日でも仕事をしてしまう」ってのがあり

体を壊すような忍耐強さは要らない

掃除してたら古いお薬手帳が出てきた。東京でひとり暮らしを始めた頃からの記録。花粉症がひどくて、春と秋に耳鼻科に通っている記録が多い中、内科へ行って胃薬をもらっている様子が残っていた。最初の胃薬処方の記録から数年ごとに、胃や腸の不調を訴えている。 今ならわかる。それはストレス反応だ。 記録をさらに見直す。胃腸の不調は定期的に起こるので、内視鏡検査をしようと初めて思った。調べたら、胃炎の痕がたくさんあった。ストレスが溜まっている状態と自覚しない当時の私は、医者の言葉に「へえ」

カウンセリングで少し前進した気がする

カウンセリングを始めて約半年。 最初のうちは過去をさかのぼって、その時の自分はどう感じていたのか「感情」にフォーカスする練習をしました。 すると、自分がいかに感情を抑えて無理をしていたかが見えてきました。 理性で状況を整理して理解するばかりの「~であるべき」頭でっかちさんがいました。 そうしないと私は生きていけなかったのかもしれなくて。 それはなぜかというと… 自分に自信がないからなんだなとカウンセリングで核心部にせまっていきました。 仄暗い底のコンプレックスを眼

過剰適応の原因を考えてみる。私はアダルトチルドレン?

過剰適応しようとする心理はどこからきたのか、カウンセリングを受けながら考えています。育った環境と、もともとの気質との合わせ技だろうと思うのですが・・・ 過去記事で、私は母との関係性についてをチラッと書きました。しかし、最近は母だけではなく、父との関係性にも要因はあったのだろうなと感じています。私の頭の中のおっさん(過去記事)は、威圧的な男性へのトラウマのようなものなのかもしれないと、最近感じるようになりました。また、両親の期待に応えられない自分は無価値だと本気で信じていたん

思考と感情の間で

カウンセリングを再開してから、しばらく経つ。私のカウンセリングの目的は、適応障害を繰り返さないため。自分らしく生きたいの。今のところの課題は、過去から現在までの出来事を思い出して、その時々の私の本音、裏の、奥底の、本当の願望を見つけて受け入れること。そして、過剰に適応してしまう条件を見つけること。 話をしながら驚くのは、つくづく私は「思考」で生きているという点。裏側の「感情」を抑えて理性的な私のみを認識し、それが本来の自分である、そうあるべきと思いこんでいたみたいです。カウ

【体験談】ストレスで病気になった③と④の間【休職~復職時の記録、買った本】

体験談③と体験談④の間の記録を最近見つけました。数年前のことでさっぱり忘れていたことばかりで、自分でも驚きながら読みました。 記録から、時系列で簡単にまとめてみます。 1回目の休職(1か月) 上司から仕事用のパソコンを渡される。休んでいても、いつでも連絡がとれるようにしたほうがいいでしょ? とのこと(汗)適応障害による休職を理解していないなあと残念に思った。私は私で断らなければいけなかったし、周りも止めなければいけなかったよなと思う。このパソコンが部屋にあるために仕事の

私、HSS型HSPなの?

先日、適応障害を繰り返さないようにしたいなーって記事を書きました。頭と心と体が別々になってる感じ、自分自身がよくわからないモヤモヤがあって、カウンセリングを受け始めたって内容でした。 で、過去記事を読み直していて、ちょっと引っ掛かってたHSPのことを改めて調べてみようと思い立ちました。記事を書いた当時、自分はHSPの中〜強程度、HSP”っぽい”のであって、そこまで気にすることはないのかなあと感じました。HSPの本を読んでも、自分に当てはまるのは半分の印象。すごく納得ってとこ

適応障害を繰り返さないようにしたいので

社会という世間から離れて、もうすぐ3年が経ちます。最近、再就職を少しずつ視界に入れながら街を歩くようになって、困ったことが増えました。いや、増えたというより、考えないようにしていたことに向き合い始めたってだけなんですけどね。 さかのぼれば、心療内科にかかってから7年になりますが、本腰を入れてやってなかったことがあります。それは、自分に向き合うことです。 なぜ私は適応障害になったのか。これから先、同じことを繰り返さないようにするには、どうしたらいいのか。しっかり自分の中の答

コーヒーと私

コーヒーは、いつから飲んでたんだろう。 思い出すのは高校生のころ、祖父母の家。毎日15時に祖父が入れてくれるコーヒー。コーヒーメーカーで作ったものを、家族分 コップに注ぎ分けて、お盆で持ってきてくれました。お菓子と一緒に。私の舌は、まだコーヒーの苦みには慣れていませんでした。 いつからミルクなしで飲んでたんだろう。 思い出すのは駅前の純喫茶。黒茶色の木がレトロな店内に、たまごサンドとフルーツサンドの色が鮮やか。ジャズが流れる大人の雰囲気にコーヒーの香ばしいかおりが溶けて

ストレスを感じる場面と周囲へのお願いを整理しておこう

私は適応障害と身体表現性障害(今だと身体症状症って言うのかな?)から、抑うつ状態になって、薬物療法をとっていました。 休職・復職を経て、回復傾向にあったのですが、減薬過程において離脱症状がひどく(それにより うつ病とも言われ)就労不可能な状態になり、会社の勧めで退職をしました(半分クビですね。) 現在は療養しながら減薬~断薬し、就労可能な状態にやっとたどり着いたところです。初回の診断名が出てから約6年経ちました。今、たくさんの人たちの力を借りて、よっこいしょと立ち上がろう

雑記(ストレス対処法を考えながら)

ストレスコーピング。 自分のストレス解決策を具体的に挙げて、 効果測定して、確立しておく。 実際にそれで ストレスコントロールできたらいいし、 対処法がたくさんあると安心する。 小さなストレスをお手軽に解消するには、 私だったら例えば・・・ 好きな音楽を聴く あたたかい飲み物を飲む ひとりきりになる ラジオ体操をする 笑顔をつくる 散歩 掃除 舞台を観に行く DVDを観る などなど。 大きめ、たまってしまったストレスには・・・ 人に相談する

やりたいことが明確にあることが逆に苦しかった

新卒で入った会社で、責任重大ではあるけど、私にとってはとてもやりがいを感じられる仕事を与えていただきました。その仕事を、手に職がついたと言える状態にまで持っていって、その会社の売りにできるところまでに鍛えていただいたのですが。 ある日あっさりと、その仕事は無くなりました。理由は、採算が合わないから。資本主義では避けて通れない部分です。経営陣が撤退を決めたということ。 私は燃え尽き症候群になっていたのでしょう。ルーティーンワークをこなしているとき、「仕事辞めよう」と上から降