哲学:芸術の哲学
「芸術的だ!」という言い方をされることがある。芸術を理解しているということなのだろう。
しかし、一般的には「芸術って何?」と問われることの方が多い。
美術館に行ってきて「どうやった?」「うん、良かったよ」といった会話は芸術がわかっているに違いないと思うのだが、聞いてみると「好み」の話なのだ。
芸術は評価の定まったものを鑑賞することがほとんどだ。
「これが芸術作品ですよー」とナビゲートしてもらわないと芸術だと気づかないものだ。
また、職人芸を見て「芸術的やなぁ」というが職人技である。
「きれいなもの」がよく芸術的だと言われるが、写真による風景の一瞬の切り取りは芸術なのだろうか。
それは「きれいな景色」でしかない。芸術というには物足らないように思われる。
ぼくは、芸術は、人間のこれまでの思い込みを変化させるものではないかと思う。
ゴッホの絵には「きれい」というよりも、これまでの様式を変化させたことに価値がある。
印象派といわれるモネの作品にもそれはある。
岡本太郎の作品は、抽象と具象を合わせてみせた。
芸術には、そういったこれまでになかったモノを表し、新たな可能性に気づかせるものだ。
評価の定まってしまったものは、もはや芸術としての力はないのかも知れない。
陶芸は、食器には道具としての価値はあるが芸術的な価値はない。しかし、造形的な作品には価値があるものもある。
それは今まで誰も表さなかった説得力のある形を表したからだ。
そういったモノが芸術と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。
「ここから何が言えるか」と問うていくことは芸術も哲学も同じだ。答えは自分で見つけるものだ。
その問いかけこそが芸術の意味ではないかと思うのだ。その答えは、おそらくこれまでの自分を変更させる力があると思う。
芸術には、人間の「現状を押し広げようとする性質」を刺激する力があるのではないだろうか。その力を感じて「芸術的だ」と表現するのかもしれない。
芸術についてはもっと言いたいことはあるけれど、少ない文字数に収めようとすると、この程度の話しか出来ない。また挑戦してみよう。