考察:愚痴と批判と悪口と…
巷では、愚痴や悪口は当たり前に使われる。批判が使われることは少ない。この三つは似ているけれど違うのだが、良いか悪いかは別として、共通点は「自分の正当性」だ。
愚痴は、「なんであの人は…」と自分の正当性を述べ、うっぷんばらしの効果がある。
悪口は、やっかみや差別することで自分の優位性、正当性を示そうとする。
批判は、自分と他人の意見との違いを表し、自分の意見を正しいとし、よりよい建設的なものにしようとする。
おそらく、自分の立ち位置を、推論によって把握し、その正しさを示そうとする働きに因るものだろう。
また、「脳の栄養は刺激である」という脳の代謝の働きが関連していると想像することもできる。
しかし、現実は、環境や状況によって自分が正しいかどうかは変動する。
愚痴や悪口は、何かを生み出すということは考え難いが、批判なら何かを生み出すことができるはずだ。
間違えてはいけないのは、「こんなことがあって…」という話は、愚痴や悪口ではない。状況説明をしているだけなので悪口でも愚痴でもない。エピソードだ。
たまに状況説明のことを「愚痴ってごめん」と言われるので訂正することがある。念のために知っておいてほしい。
「愚痴や悪口を聞くのは嫌!」とみんな言うが、みんな言っている。自分が言うのはいいらしい。
ぼくは「このことから何がいえるか」ということばかり考えているので気にならないが、できることなら、問題解決にまで達する話になると嬉しいが、なかなかそんな人はいない。
批判することはいいことだと思うが、自分に甘く他人に厳しい話はダメだ。それは批判ではなく悪口になる。
自分を変えることの大変さを知っている人はそんなことは言わない。他人が変わることの大変さも知っているからだ。
健全な批判から生まれるものが建設的なものになるように思う。
心の使い方は自分次第なのだが「思う」と「考える」をうまく使い分けないと、貴重な時間をどうでもいい時間に変えてしまうことになる。 注意しないと。