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哲学の探究に終わりはない

学問としての哲学に終わりがあるとしても、哲学の探究には終わりがない。それどころか一人の人間の哲学はほとんど始まってもいないのだ。

哲学研究者の言う「哲学」と、哲学の探究者の言う「哲学」は違うものだと気づかされることは多い。

学術的な成果と、実践による成果は違うものだ。

哲学は「不満」から始まるものだが、学問的な終わりを告げられようとも人間個人の哲学は終わらない。人間がいる限り続くだろう。

哲学が「不満」から始まり「満足」で終わる話は何度も繰り返しているが、それでも「哲学は何の役に立つの?」と言われる。満足すればそれで良しとはならないのだ。

心理学は心理傾向を学ぶことでビジネスに応用できる。儲かるということだ。しかし、そのカモになることを回避するのは哲学なのだ。

脳科学は心の場所を示してくれる。しかし、何をどう変化させるかは示してくれない。それを示すのは哲学なのだ。

哲学は能動的な意思を必要とする。
心理学は損得からの心理傾向を示すが能動的な意思を必要としないことがほとんどだ。本能的であり、誰にでもありがちな心の働きを示すのだ。

哲学は実践向きであるが故に知識として記憶するには不向きなのではないだろか。

常に「ここから何がいえるか」「どう考えるか」という質問にさらされるからだ。

「〇〇ではね」という知識は役に立たない。まだ答えはないからだ。

「人間は現状を拡張しようとする」と言われるが、どう拡張するかを考えるのは哲学だ。

未知のものに挑む時に哲学は役に立つはずだ。自分の哲学の正しさを示す機会にもなるだろう。

学問としての哲学が終わりを告げても、人間個人の哲学は終わらない。

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