見出し画像

⭐️心の学び:生きることに悩む人へ

生きることは大変なこともある。なんの苦労もなく、全てがお膳立てされた人生であれば大した煩悶もないのかもしれない。

また、全てが順風満帆で暮らしている人には、ぼくの話はなんの面白みも興味もないに違いない。そんな人はそもそも縁もゆかりもないので、お話しすることもないので構わないが、生きることについて真剣に考える機会は必ず訪れることだけは言っておきたい。

ぼくが心について学ぶことが面白いと思うのは、「だからこうなるのか」といった謎が解けるからだ。迷わなくなるのだ。予期できることは対処しやすい。

「柳の木も幽霊」と言われるように不安や恐怖、心配は当たり前のことを異常ととらえることもある。

かつて自分がそうであったように人生に迷う人は多いように思う。それを克服していくには学ぶことが必須である。

若い時には想像し難いかもしれないが、ある時を境に能力は右肩下がりになってくる。右肩上がりではなく右肩下がりだ。そこから「どうするか」を問われるのだ。

今日は生きることについての条件について書こうと思う。
ニーチェの話を題材にして、そこから「どう考えるか」は面白いと思う。

ぼくも生きることを学んでいる途中なので、断言できることは多くないが考える機会としてとらえてほしい。

はっきりわかっていることは、人生は自分が創り上げていくものだ。

また、二つの人生はなく、自分の人生を誰かが代わりに生きることはできない。

この現実から「どう考えるか」「どうするべきか」は哲学の課題となる。

ニーチェは、
「何びともお前のために、まさにお前が生の河を渡ってゆくべき橋を架けることはできない。それができるのは、お前ひとりのほか誰もいないのである。」
と述べた。

この話が真実だとして、あなたならどう考えるだろうか。記憶してはだめだ。考えなければならない。

あなたが生きるにあたってこういった条件がある。
「お前は自己を抵当にし、そして失うであろう。この世にはお前以外の誰も歩んでゆくことのできない、ただひとつの道がある。」
ニーチェのこの世界観は人間の条件でもある。

あなたはきっと不安になり迷い始めるだろう。

そんな時、ニーチェはこう言う。
「その道はどこに通じているのであろうか。そんなことは問うな、その道を行け!」

こう言われて気持ちを奮い立たせて前に進まなければならない。
それを実践していると、人間は苦しみはじめる。
そして、こう問うのだ。
「何のために生きているのだろう」
「生きる意味は何なのか」

しかし、ニーチェは、
「われわれはまこと束の間の今日を持つのみであり、その今日のうちに、なにゆえに、そしてなんのために、われわれはまさに今という時に生まれたかということを示さねばならぬということである。」
といった答えを用意する。

人間の特徴は言葉を持つことである。こういった昔ながらの知恵や知識が、一人のためではなく人間全体のためにあることがわかる。

このことが真実だとしたら、自分が何をするべきか、何を課題にし、何に悩むか、どう考えるか、どうするべきかの答えが見出せるのではないだろうか。

その答えを見出すことが生きることだといえば、自分の人生がどんなものになるかわかるのではないだろうか。