⭐️心の学び:承認欲求が気になる人へ
承認欲求はよく悪者にされがちだと思わないだろうか。「あの人は承認欲求が...」といった使い方 をされる。
自分には承認欲求がないかのような言い方だ。心理学的な用語を使うともっともらしく聞こえるので皆によく使われる。
これも承認欲求の表れなのだがそのことは認めない。
人間の心の使い方は、承認欲求も含めて同じ方向に向いている。それの何が悪いのだろう。
このnoteで出会うのは承認欲求や自己顕示欲ではないのだろうか。
「何のため?」とよく質問したがるのは、これらを満足できるかどうかを問うているのではないのだろうか。
成果は誰かが認めてくれてこそ成果だ。
成果を求めず承認も求めず行為する自己満足は、それはそれでバカにされがちだ。
自分の承認欲求は隠蔽するが、他人の承認欲求がちょっとでも現れると責め立てる傾向にある。
他人の承認欲求を牽制するのには理由がある。
人間の心が何に使われるかを学べば、揶揄する前に自分の承認欲求を抑制し他人のそれには寛容になるはずだ。
他人と自分と比較したがることは承認欲求の表れでもある。
たんなる心理傾向でしかないのに、もっともらしい心理学的な用語ぽく使わない方がいいのではないだろうか。
「あの人は目立ちたがりね」くらいにとどめておく方がいい。
誰にでもある心理傾向を自分にはないとはいえないからだ。
「自分は特別である」といったよくある心理傾向に振り回されていることに気づかされる時が必ず訪れる。
心は「何たら欲求」 で簡単に表せるものではないのだ。一部を切り取って全体を語ることは出来ないという意味でもある。
これからもしっかりと学んで、心の悪い面ではなく良い使い方を身につけたいと思う。
先ず大切なのは、他人と自分はほとんど同じだということである。