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4年前を思い出す

安倍首相が来るからって
司会頼まれたのって
4年前なんだ。

息子が劇症1型糖尿病と診断されたのはちょうど
その前日だったっけ。

頻繁にトイレに行き
大量に水分を摂取し、
「おなかが痛い」、
「医者に行く」と
珍しく訴えてきた息子。

車で2分位の近くのクリニックに行く途中も水分を欲しがり
いろはす(もも)を買ってきて
「糖尿病だと思うのになんで、
普通の水を買わないの?」と私がぐちぐち言い、
近くのクリニックに連れて行ったのは金曜日。

案の定、
「糖尿病でしょう」と言われ、
紹介状を用意しておくので月曜日に取りに来てと言われ、
帰宅した。

そして私は仕事に行き、帰宅。
帰ってきたら息子が居ない。
やっとの思いで動けるくらいの体力しかない息子が居ない!

中学の先生から電話が来て
息子が居なくなったことを伝えると
先生方も探してくださり
それでも見つからず。
「糖尿病がショックだったのかな」
と線路や川なども視野に探したものの
手ごたえなく、
警察にも捜索依頼。

すると、
近くのマックで確保。
これが金曜日。

週末は
いつものようにずっと部屋に籠ったまま。
随分痩せた。
相当具合が悪いらしく
私の声がけに対して
苛立つ感は感じられなかった。

月曜日、
クリニックに行って紹介状を持ってC病院に行く予定の日。

朝、
「準備しよう」と声をかけると
息子は骨と皮になっていた。
手足や肩のラインも顔も顎のラインも
皆、骨の形が浮き出ていた。

もう動けないどころか反応が無い。

子供って大きくなるものだと思っていたのに
小さく小さく、薄くなっている。

私は声を失った。

その日に、C病院に行ったが
「この数値ではうちでは診れない」と
S病院に救急搬送された。

救急車要請中に私は迷った。
司会の仕事の入り時間が迫っていたのだ。

私は
今から代役を探すのは無理だと思ったし
約束を守ることの大切さを息子にも教えていた私の意地を選んだ。

私は、母を呼び、
息子を頼んだ。

司会の仕事が終わり、
その日のヨガの仕事は休講にしてもらい
S病院に行った。

点滴に繋がれた息子の顔はふっくらしていた。
そして、いつも以上に機嫌が悪い。

「劇症1型糖尿病」と診断された息子は
医師と病気についての勉強を少し始めたとのこと。

手元には
指先を傷つけ血糖値を計る機器と
インスリンの針とポンプ、
自己管理ノートなどがある。

医師は私にも病気について教えてくれた。

・食事の度+その他に、
 一日に何度もインスリン注射をしなければ生きていけない病気。
・一生付き合っていかなければならない病気。
・合併症や癌の確立が高い病気。
・低血糖から昏睡状態になり死に至ることもある病気。
などと…。

「こんな生活していたら糖尿病になるよ!」と息子に言い、
「糖尿病にさせたいの?」と母に言っていた私は
1型糖尿病については無知だった。

しかも「劇症」って…。と。
医師の話を聞くほどに
気持ち悪くなって吐きそうだった。

医師は
「落ち着くまで病室に泊まっていていいですよ」
と言ってくれたが息子は拒否した。

「明日、いろいろ検査するので。
お母さんも一緒に~」と言われたが
息子は、明日安倍首相(当時)が来る仕事があることを知っていて
「安倍の所に行け」と言った。本意はわからないが、
いままでの私を見ていて
わかっていて先にそう言ったのかもしれない。

私は
「私のように、息子に経済的なことで将来を我慢させたくない」
「”リストラ始まったら俺が最初だな”などと
自信満々に言って、
朝、タイムカードを押しに出勤して即帰宅。
夕方までベッドで寝ている
息子の父のようになってほしくない」
「私が母親であり、父親でもある」って思いがすごく強かったから
息子はそんな私をわかっていたのだろう。

って、あれから4年。
未だに頼り方なんてわからない。

占い師からも
「あなた、本当に大変なのよ!
なのに、助けてくださいって感じが全然しない!
あなた、弱いのに、強いふりしている!」などと
嵐のように怒鳴られ、驚いて、
私は、さらに引いてしまい
余計に怒られたほど…。
ホント、「助けて」とか
どうしたらこのまま伝わるのか、わかっていない。

ただ、私ができるのは
経験から感じたことを伝える事。

家族の事、病気の事だから
大っぴらに発言しにくいのがもどかしいけど、
経験から感じたことや考えることはたくさんある。

私は、女性が活躍できる社会と
子育ての両立はそう安易なものだと思っていません。

それを叶えるには
子供を育てるのが母親や、親、家族と言う
小さな単位の概念を払拭しなければいけないと思っています。

生まれてくる場所は選べないのだから
社会でできるだけ平等に育てていき
生きていきたい、生まれてきてよかった、
と思える人が増える社会の仕組みにしていかないと
生きていくのが辛い人が増えるだけだと思います。

それは4年前のあの日も思っていた。
でも、
SP怖いし、
何より「仕事だし」って思ていた。

けど、今は、
私の仕事は、母親でもあったのだから
もっと伝えようとすべきだった、と思う。

民主主義は多勢優先だから
レア案件は気にしてもらえない確率が高いでしょうが
やるだけやってみないと、
伝わるわけがない。



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