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【コロナと私の日常】 Day75

75日目 7月20日(月)

ブーンと低く鳴り響くパソコンのファンの音が煩くて、あまり寝付けなかった朝。眠さに負けそうになる自分を奮い立たせて、起き上がる。今日は朝からインターン。

銀座線と半蔵門線に揺られてインターン先へ向い、今日も高校生たちと向き合う。先生というのは、大変な仕事だよなあと他人事のように思う。それでもそれを分かっていてなろうとする人が一定数いるのだから、本当に凄い。尊敬している。私も向いていないわけではないと思うけれど、やはり先生方の姿を見ていると、私はインターンで十分だなと思ってしまう。身を削って働くってこういうことなのかもしれない。給料や待遇などが改善されれば、なりたい人ももっと増えるのだろうか。

無事にインターンを終え、ランチを求め歩き回るもどこも混んでいるため面倒になってマクドナルドに入る。最近行き過ぎである。健康に悪いし太るので控えないといけないが、楽なのでついきてしまう。今日以降はしばらく控えよう。そう思いつつ、塩の効いた細切りポテトを貪り、バーガーにかぶりつく。たまにはいいな、こういうのも。

夕方から歌のレッスンなので、それまで時間をつぶす。ダウンロードしておいたアニメ「BLEACH」を見進めつつ、先日亡くなってしまった三浦春馬に思いを馳せる。

別にすごくファンだったというわけではないのに、なぜこんなにも心にポッカリと穴が開いてしまったような気分になるのだろうか。不思議だ。一度も実際に会ったことはないし、いつもテレビという画面越しに眺めていただけであったし、見ない日も彼を思うほどのファンであったわけではないのに。なぜ、なぜだろう。爽やかな彼の笑顔が頭に過ぎる。あの笑顔は、内側の苦しさを隠していたのだろうか。生きづらさや辛さを精一杯腹の底に追いやって、30年間頑張ってきたのだろうか。そう思うと、彼の笑うと白く光る歯が、きゅっと上がる口角が、目尻に寄る皺が、全部切なくて儚くて心臓が居場所をなくす。

やっぱり人間、見えていることが全てではないのだなと思う。どんなに幸せで成功してハッピーに見えるような人でも、本当にそうだとは限らないのだ。見えない心の奥底で深い闇を抱えている可能性は十分にある。だから結局、人を羨むことなんてきっとあまり意味がないのだろう。人やモノの表面だけを見て羨んで嫉妬していくのは、もったいないエネルギーの使い方なのかもしれない。

なぜいつも、繊細で天才な人は早く逝ってしまうのだろう。太宰治然り、三浦春馬然り、マイケルジャクソン然り、リバーフェニックス然り。あまりにも悲しくて残酷でよくできた世界だ。繊細な人たちが十分に生きていけないこの世の中は、きっとどこか壊れているのだろう。そういう人たちがきちんと生きていける、居場所を見つけられる社会を作っていかなければいけないのだと思う。少しでも自死を選ぶ人たちを減らしていくために。少しでも多くの人がいきたいと思えるように。私たちは一人一人がまずは自分を大切にして、それから誰かと支え合っていかなければいけないのだ。たぶん、きっと、そうに違いない。

歌のレッスンをして、また1人で歌いたくなったのでワンカラで一人カラオケを堪能して帰る。初めて行ったけれど、意外とサラリーマン風の人が多くいて驚いた。みんな歌が好きなのか、それとも日頃のストレス発散だろうか。何はともあれストレスを溜め込むのはよくないし、良い運動になるよね、カラオケって。

家に帰ってレポートをやろうと思いつつYouTubeを見ながら晩酌していたら全然進まなかった。明日がんばろう。

ああ。今日も、生きている。ありがとう。

おやすみ。





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