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「生き様」は背中で語るな、不器用でも伝えることで得られることとは?

こんばんは、キズキ屋です。

お盆ですね。皆さんはどこかお出かけするんでしょうか?

もちろん暑いです。異常に暑いです。
熱中症警戒アラートって毎日出ることを想定して作られている制度なのかわかりませんが、ちょっとアラート見直した方がいいんじゃないかレベルで暑いです。

そんなこと言ったって夏は暑いんですから、今を満喫するのが一番です。
どうせ冬になったら今度は「寒い、寒い」って言い出すんですから。
人間ってほんとワガママだから、僕は夏が怒ってるんだと思うんです。


さてさて、冒頭のお話の続きですが

お盆でお墓参りってしますか?
もしくはしましたか?

自分の先祖に手を合わせて、
今自分がここにあることを感謝するって意味があります。
先祖がいなかったら、自分はここにいないって考えるのは、よくある話です。先祖と今、話すことはありません。

どんな人だったのか?想像もつかないほどです。
おばあさんやおじいさんに聞いたらそれとなく「どんな人だったか」わかることもあるかもしれませんが、それが真実であるかはわかりません。

そんなことを考えながら、フッと思ったことがあります。
それは「手を合わせている自分もいずれ、誰かに手を合わせられる側になる」ってことです。

簡単にいえば「いずれ死ぬ」ですが
そんな重苦しい感じで今日はお話するつもりはありません。


そうです、遅かれ早かれ、人間は「死」に向かって人生を歩んでいます。
どんな人生でも、そのてっぺんは「この世からいなくなる」ことなんです。

生きていると大変なことや辛いことなんてたくさんあります。
その経験はみんな同じなんてことはありません。

そしてその辛い経験で出会えた人や手に入れられたものもたくさんあります。
たとえ「今この瞬間」が辛く苦しかったとしても
その出来事がこの先の人生で「あれがあったから今の自分があるんだ」と言えるようになるかもしれないのです。

それを「生き様」って言います。

その生き様ってのは、一昔前まで語ることは恥ずかしいことって風潮があったり、男は黙って背中で語るがかっこいいとされている時代がありました。

僕の父親も、自分のことは話たがらないですし
僕の前職の仕事での上司も、仕事以外の話はしないって人が多くいました。

そんな人たちを見て、僕はいつも
「何考えてるか、全くわからない」と思っていましたね。


「若い頃の苦労は勝手でもしろ」って言葉があるのに
その苦労は「背中で語れ」はおかしいと思うのです。

口下手だとしても、恥ずかしいとしても、失敗だったと思うことだとしても
その経験を「伝えようと」しないと
せっかくの苦労が「何も活かされない」ことになります。

もちろん、自分の人生には何かしらの影響を与えていて
活かされているのかもしれませんが、自覚しているかもわかりません。
人間の記憶なんてそんなものです。

親だとしても、仕事の上司だとしても、
時代が変わったとて、自分の失敗談、経験談は
「次の世代」に伝えることが望ましい使い方だと思うのです。

そこから次の世代が「なにを感じるか」は相手に任せてください。
そこまでお節介を焼く必要はありません。
ただただ、失敗談を語ることこそ「役に立つ」ことだと思います。

中にはバカにする人もいるのかもしれませんが
同じような「挑戦」も「失敗」もしたことがない人に笑われても
「話す人間違えたな」くらいで失敗談がまた1つ増えるだけなので大丈夫です。


その生き様はもしかしたら、あなたにとって「弱さ」かもしれません。
しかし、弱さこそ個性であり強さになり、なんなら「愛される」理由にもなります。

全知全能で完璧な神様を信仰する人はいるかもしれませんが
愛する人はなかなかいません。

漫画の主人公も弱さがあるから応援したくなるのであって
なんの苦労もしない主人公の漫画はスッキリする部分はあっても、共感しづらいと思います。

大丈夫です。
背中で「何考えてるかわからない」から伝わらないし、むしろ
寡黙で「突然怒る時があるから言うこと聞くしなかない人」よりも

下手でも恥ずかしくても、生きてきて得た苦労や挫折や悔しかったことや情けなかったこと、葛藤などの「人間味」を出すメリットは
とても大きいことを忘れないでください。

きっとあなたがこの世からいなくなっても
その語られた「生き様」は相手の心にずっと残り続けることになるでしょう。

それでは、、、また。


こちらでうちの妻が「生き様」を語っています。
ぜひ、みてください!



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