「ケルト神話」の基礎知識:「ケルト神話」の分類

「ケルト神話」ってよく聞くけど何?という疑問をお持ちの方、よくぞいらっしゃいました。「ケルト神話」と呼ばれる伝承群にはどういったものがあるのか、その分類をここではお話しします。前置きは置いといて、早速本題に入りましょう。

「ケルト神話」と呼ばれるのは、アイルランドとウェールズ、スコットランドの――言い換えると、ブリテン諸島の、イングランド以外の幾つかの部分の――異教的伝承です。「異教的」というのは、「キリスト教的」ではないという意味です。量の面では、圧倒的にアイルランドのものが豊富です。


1. アイルランドとウェールズ、スコットランドの異教的伝承の分類

1.1.アイルランドの伝承

アイルランドの伝承のさらに内部ではどのような分類があるのかというと、近代以降ではいくつかの "Cycle"(「物語群」という語が充てられるので、以降はこれを使います)に分けられます。

1.1.1.「神話物語群」(mythological cycle)。

これは、聖書に語られる「ノアの洪水」から始まり、六つの部族が断続的にアイルランドに入植し、最後にゲール人(注:ケルト系アイルランド人)の祖先、ミール(Míl)の息子たち(注:Mac Míled、英語風にはMilesian)が
アイルランドを支配するまでの時代を扱うものです。いわゆる「ダーナ神族」ないし「トゥアサ・デー・ダナン」(Túatha Dé Danann)が登場するのも、主にこの物語群です。

最も有名な物語は、ダーナ神族と、悪鬼的な神々フォウォーレ族との戦いである「マグ・トゥレドの戦い」(Cath Maige Tuired)でしょう。

1.1.2.「アルスター物語群」(Ulster cycle)。

アイルランドの四つの国、北部のアルスター(En. Ulster, Ir. Ulad)における、コンホヴァル・マク・ネサ王の治世。英雄クー・フラン(Cú Chulainn; 「クランの犬」の意)が活躍する物語群です。(注:「クーフーリン」「クーフリン」と書かれることが多いですが、より原語に近いと思われる発音は「クー・フラン」です)

ライバル国であるコナハトの女王メーヴ(Medb)や、フェルグス・マク・ロイヒ等もいます。時代設定は、紀元0年ごろです。「クアルンゲの牛捕り」(Táin Bó Cuailnge)が最も有名です。「クー・フラン物語群」などとも呼ばれます。

1.1.3.「フィアナ物語群」(Fenian cycle)。

アルスター物語群より時代が下り、アイルランド東部のレンスターにおける、コルマク・マク・アルト王の治世、西暦300年ごろ。英雄フィン・マク・クウァルと、彼の率いる戦士団「フィアン」(Fian)が活躍します(注:「フィアナ」(Fianna)は複数形です)。有名どころではディルムッド・オ・ドゥヴニャもいます。

「若さの国のオシーン」等が有名です。「若さの国」、あるいは「ティル・ナ・ノーグ」(Tír na nÓg)としても知られる楽園が登場します。フィン物語群、フィニアンサイクルなどとも呼ばれます。

以上の三つの他に「歴史的物語群」あるいは「王の物語群」と呼ばれるものもあります。これはアイルランドの諸王(実在・非実在を問わず)の各伝説をひとまとめにする呼び方です。時代などもバラバラなので、あまり重要視されません。

あえて「神話」と呼ぶなら、「神話物語群」のみが当てはまりますが、かと言ってこれもまた、神話と言い切るには微妙なところがあります。とは言え、「神話物語群」に限らず、「アルスター物語群」や「フィアナ物語群」もまた神話的な色彩を帯びており、神話ではないとも言い難い節があります。

なので、強いて「アイルランドの神話」とは呼ばず、「アイルランドの伝承」と呼ぶことにしているわけです。

とりあえず、アイルランドの異教的伝承については、以上のことを覚えておけばさしあたりはよろしいかと思われます。次はウェールズの方です。


1.2.ウェールズの伝承

ウェールズの伝承は、「マビノギ」、あるいは「マビノギオン」が代表的です。「マビノギオン」という呼称は不正確だとか、いややっぱり不正確じゃないとかいう議論があります。

まず「マビノギオン」(Mabinogion) という伝承群があり、現在も残っているウェールズの異教的散文物語は全てこれに収まっているようです。それまで口承で伝わってきた物語が11世紀後半以降、ウェールズの修道僧により書き留められたもののようです。

この中には「マビノギの四つの枝」と呼ばれる四つの伝承があり、これが中核をなしています。その他には七つの伝承があり、『マビノギオン 中世ウェールズ幻想物語集』では、それぞれ「カムリ(ウェールズ)に伝わる四つの物語」と「アルスルの宮廷のロマンス」に分類しています(「カムリに伝わる四つの物語」には、「タリエシンの物語」が含まれることもあるようです)。「アルスル」とはアーサー王のことで、「アーサー王伝説はケルト神話に由来する!」という言説の根拠の一つはこの三つの伝承の存在です。

つまり『マビノギオン』は十一の物語からなり、そのうち中核をなす四つが「マビノギの四つの枝」であり、その他に「カムリに伝わる四つの物語」と三つの話から成る「アルスルの宮廷のロマンス」(アーサー王伝説のもととなった?)がある、と整理できるでしょう。


1.3.スコットランドの伝承「オシアン詩群」

スコットランドでは、「オシアン詩群」と呼ばれる伝承があり、18世紀にこれがマクファースンという人物によって発見され、ヨーロッパに紹介されると、たちまち「ケルトブーム」を巻き起こしました。例えばこの伝承の中のオスカー(オスカル)という名前が、子供の名前として流行しました。有名な例としては、かのナポレオンもオシアンを愛し、スウェーデン王オスカル一世にその名を与えたと言われています。

しかし「オシアン詩群」は原典が明確でなく、マクファースンがスコットランド・ゲール語から翻訳して発表したため、彼の偽作ではないかと長らく疑われています。しかし最近の議論では偽作説はほぼ否定される傾向にあるようです(野口英嗣、「『オシアンの詩』」木村正俊・中尾正史『スコットランド文化事典』、2006年、pp. 786-787)。

スコットランドはアイルランドと同じくゲール語圏であり、古くからアイルランドとつながりがありました。そのため「オシアン詩群」の内容や登場人物もアイルランドの伝承と類似している点が多く、例えばその名前に使われる「オシアン」という人物は、アイルランドのフィアナサイクルのフィン・マックールの息子のオシーンです。


2. 大陸ケルトの神々について

さて、いわゆる「ケルト神話」については以上ですが、ひとつ補足をしておきます。それは「大陸ケルト人」の神々についてです。「大陸ケルト人」というのは文字通りヨーロッパ大陸に住んでたケルト人のことで、つまりブリテン諸島を除くケルト人グループです。

上記の「ケルト神話」は全てブリテン諸島側の、ケルト人とされる人びとの伝承と考えられています。一方で、大陸側のケルト人は、神話を残しませんでした。しかし、彼らが信仰した神々の名前は残っています。資料は主に二つに分類でき、一つは碑文などに残されているものです。これらは恐らくは神々に捧げられたものと思われています。神像の台座などに刻まれていることもあります。ただし、このようなものが記され、また神像が作られるようになったのはローマにより支配されてからであり、それゆえに神の名前もまたローマのものを用いています。その名前に形容辞という形で現地語の名前と思われるものが付け加えられており、それが彼らの信じた神々の本当の名前ではないか、という話です。

もう一つの資料は、古典古代の著述家、即ち古代ギリシャと古代ローマの知識人が書き残した文章です。代表的なものを挙げると、ローマのカエサルは『ガリア戦記』を著していますし、ルカヌスの『内乱記』などにもガリア人の神々の記述があります。ただし、カエサルは頑なにガリア人の神名を用いず、全てローマの神に置き換えて記しているので(例えばガリア人はメリクリウスを最も篤く信仰した等)、そこに書かれている神が他の人の記述ではどの神に当たるのか、あるいはそもそも対応するものがあるかどうか、という点で極めて不明確です。

以上をまとめると、ローマ支配以降の現地人による神名の記述と思われるものと、古代ギリシャ・古代ローマ人による既述の二種類があり、どちらも信憑性の点では完璧ではない、ということになるでしょう。


3.ケルト神話はケルト神話じゃない?

以前、「アイルランドはケルトじゃない」という記事が話題になりました。それに応じて、ケルト神話と呼ばれているものは本当にケルト神話なのか?という意見が聞かれます。

これは未確定の議論であり、研究の進展を待つ必要があるでしょう。アイルランドのみならず、ブリテン諸島のケルト語を話す人々は、実は大陸ケルト人とは別の集団ではないか、という議論が、現在も行われています。そもそもこの議論は10年以上前からありますが(私が書いたnoteでも過去の議論を紹介しました)、少し前にtwitterなどで話題になったのは、分子遺伝子学による研究成果が上がってきたからのようです。それによると、アイルランド人はスペインをルーツとする可能性が濃厚とのことです。

実はアイルランドには「侵略の書」(Lebor Gabála) という偽史的伝承テクストがあり、それによればアイルランド人(ゲール人)の祖先は「スペインのミール (Míl Espáine)」という男なのですが、スペインから来たというのが本当だったかもしれない、という面白い一致の可能性があるわけです。

ただし、このテクストは中世に書かれたもので、当時の彼らがまさか先史時代のことを覚えていたわけはあるまい、という当然の指摘があります(田中美穂、「アイルランド人の起源をめぐる諸問題と「ケルト」問題」)。加えて、上述したようにこの議論はまだ決着がついていないため、断定的なことを語るのは避けた方が賢明かと思います。


4. 「ケルト神話」という呼称が孕む問題

4.1.ケルトか?

ところで、我々の目下の関心事である「ケルト神話」と呼ばれる伝承群は、どこの地域のものなのか、ご存知でしょうか。私は前々からこの名前に違和感を抱いていました。なぜかというと色々あるのですが、一つ目の理由は、歴史的なケルト地域と、いわゆる「ケルト神話」を残した地域とが、広さの点で大きく離れているからです。

ケルト人の居住地域については、原清『ケルトの水脈』(2016年)やWikipedia記事「ケルト人」などをご参照いただくのが良いと思いますが、大雑把に言えばアルプス以北のゲルマン人が住んでる場所以外はおおむねケルト人が住んでいたものとされています。かなり広いです。

一方で、一般に「ケルト神話」と認知されているのは、アイルランドとウェールズ、スコットランドの伝承です。量で言えばアイルランドの方が圧倒的に多いです。地図を見ればわかると思いますが、ケルト人が居住したとされる地域の端っこですね。それを以て「ケルト神話」と呼ぶのは、カテゴライズとして大丈夫なのだろうか?という疑問です。

二つ目の理由は、一括りの呼び名でしか認識されないと、個々の違いが無視されてしまうのではないか、という危惧です。アイルランドの伝承とウェールズの伝承では、当然違いがあるはずです。「ケルト神話」という目の大きな網では、そのようなやや細かい違いを捉えられないのではないでしょうか。例えば、「ケルト神話」をモチーフにしたと謳っている大人気オンラインゲーム「マビノギ」のゲームタイトルは、上記のウェールズの伝承ですが、一方で中身はほとんどアイルランドの伝承から採られています(私はプレイしたことがないので伝聞ですが)。「同じケルト神話だからいいじゃん」と片付けてしまってよい問題かどうかは、人によって異なるでしょう。

三つ目に、「ケルト神話」と言われたときに指されているのはほぼアイルランドのもののみで、ウェールズやスコットランドが無視されています。名前と実態がかい離しているので、それなら「アイルランド神話」とでも呼ぶべきではないか、と思ってしまうのです。

さらに、そもそもアイルランド(ゲール)人は本当に「ケルト人」なのか、という、上述の問題も以前からありました。なので、この「ケルト神話」という呼称はあまり適格ではないというのが私の意見です。


4.2.神話か?

次なる問題として、これらの物語は「神話」ではないのではないか?という議論もあり、こちらも大変ホットな話題です。

これらの物語が文字化されたのは、キリスト教の布教からだいぶ後です。アイルランドではキリスト教の布教が5世紀、一方で伝承の文字記録は早くても7世紀。ウェールズやスコットランドではローマ支配後にキリスト教が到来し、ウェールズの「マビノギオン」は早くても12世紀に文字化。「オシアン詩群」の方は、1760年にマクファースンが発表しました。どれも元々は口承の伝承であり、彼らの信じていた宗教の影響を受けていないと言い切るのはかなり難しいでしょう。

その上、これらの伝承の成立自体がキリスト教化の後であるため、「そもそも彼らが古来から伝えていた話ではないのではないか?」という疑問もあるのです。


以上の二つの疑問を踏まえて見直すと、「ケルト神話」は「ケルト」でも「神話」でもないのではないか、という問題が、無視できないのです。私は一般に膾炙したこの表現を、注意しながら使っていますが、このような議論があることをどうか知っておいてほしいのです。もちろん、これもまだ議論の真っ最中であり、何ら確定的なことは言えませんので、あまり早まらないでください。それに、これはもっと大事なことですが、例えこれらの物語が「ケルト神話」でなかったとしても、その価値が変わるわけではないのです。


主要参照文献:

マイルズ・ディロン、『古代アイルランド文学』、青木義明訳、1987年[1948]
プロインシァス・マッカーナ、『ケルト神話』、松田幸雄訳、1991年[1970]
松村一男、鶴岡真弓、『図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ』、1999年
中野節子訳、『マビノギオン』、2000年
ユリウス・カエサル、『ガリア戦記』、近山金次訳、岩波文庫、1941年
ルカヌス、『内乱記』、大西英文訳、岩波文庫、2012年
Wikipedia s.v. ケルト人、Mabinogion, Ossian

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