2023年4月 - 今月のスナップとエッセイ
時候の挨拶
緑の香りが、街に溢れる。紫陽花の葉が大きくなり、蕾が膨らんでいた。
ツバメが、去年の巣にやってきた。はるばる南の島からやってきた。自分たちが育った地で、また新しく命を繋ぐ。今年も彼らの成長を見るのが楽しみである。
久しぶりに、空を見た。今月は、空を見る余裕もなかった。
淡い青はふんわりとしている。季節は、春から初夏へと向かう。
クロちゃんとのお別れ
4月4日。実家で暮らす愛猫クロが、旅立った。桜と一緒に、最後の日々を駆け抜けていった。全ては、上記のエッセイに綴った。半ば、殴り書きのように、溢れる感情を書き尽くした。
出来事を文章として綴るには、タイミングがある。内から溢れる思いを言葉にし、伝えたいと思ったときだ。
それは、すぐ訪れるかもしれないし、数年後かもしれない。
わたしにもわからない。
今回は、すぐだった。今書かなかったら、一生書けないと思った。書くには、膨大なエネルギーが必要だった。
大好きなクロの生きた証を残さないと。その一心で書き上げた。
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エッセイでは、気丈に振舞っていた。しかし、喪失感は想像以上である。
食欲もあるし、よく眠れている。しかし、ふとした時に、クロのことを考えては、涙を瞳に溜め込む。エッセイを書き、写真を整理し、メモリアルスペースを作った。クロが安らかに眠れるように、今日も祈りを捧げている。
毎晩、クロが夢に会いに来る。毛並みを撫でる感触は鮮明だ。眠りにつく瞬間、鳴き声や足音が聞こえる日もある。記憶は、身体に染みついている。
離れて暮らしていたため、日常に戻れば戻るほど、失ったことがぼんやりと霞んでいく。不思議な感覚だ。
ゆっくりと受け入れていく。焦る必要はないと思っている。
わたしが生きている限り、クロもこの胸に生きている。わたしが誰かに伝えれば、クロの生きた証を残せる。
ありがとう、クロちゃん。
また会う日まで、ゆっくり休んでね。
声が出なくなった
文字通りである。声が出なくなった。喉頭炎だ。
先のエッセイを書き終えた翌日だった。39℃を超える熱が出た。熱が下がると、なんと声が出なくなっていた。びっくり!
どうやら、張り詰めた糸がプツンと切れたようだ。疲れも溜まっていたのだろう。
耳鼻咽喉科にて、喉頭ファイバー検査を受けた。ドクターが「いやあ、こんなに腫れてるのも珍しいよ」と言った。わたしは「そうですか」と答えた。出たのは、スカスカの空気だった。看護師が「声帯に炎症があるので、しゃべらないでください」と制した。わたしは、頷いた。
全く声が出なくなった。人生初体験である。
今まで、手が使えなくなったことがある。とても不便だった。声が出なくなった。これはまた、別の不便さがある。
100均でホワイトボードとマーカーを買った。
声が出るようになるまで、夫と筆談した。新鮮だった。
現在、声が出ても、まだ喉は腫れているらしい。
もう少し、おとなしくしていよう。
人生について考える
愛猫の死があり、自分も体調を崩した。
「生きていると、いろんなことがあるよ。」
ひとり旅で出逢ったご老人に掛けられた言葉だ。あれは、夏の山陰だった。太平洋戦争も経験したお爺さまの言葉には、重みがあった。
生きていると、いろんなことがある。
その言葉を胸に、今月を乗り切った。
必ず訪れる死に向かって、歩いている。人間は、それを知っている。
生きる意味の答えを探していた時期があった。こんなにも生きるのは大変なのに、なぜ生き続けるのだろうか。10代の頃から長い間、その問いを自らに投げ続けた。
しかし今、その答えを探すのを辞めた。強いて言えば「生まれてきたから」が答えなのかもしれない。
生きる意味などなくてもいい。それは決してネガティブな発言ではない。今を大切に生きる。それに尽きるのだ。やりたいことをやること、愛する者に愛を伝えること。他者から学び、他者に与える。
その積み重ねが、わたしの人生になっていくのだから。
わたしには人生の目標がある。この終わりに「生まれてきて良かった」と思うことだ。この人生の意味は、その頃わかるのかもしれない。
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シン・雑草部で「葬儀で流したい曲リスト」のお題が出た。
わたしは、コブクロが好きだ。中学生の頃から彼らの歌を聞き続けている。両親も彼らの歌が好きで、父とは一緒にライブに行く仲である。そういえば、家のリビングでコブクロを流して、3人と1匹で一緒に聞いた。クロも音楽が好きな猫で、リズムに合わせてゆったりと尻尾を振っていた。
わたしは、彼らの歌とともに成長してきた。自身の結婚式でもBGMに使用したし、葬儀でも流してほしいものだ。
光/コブクロ:わたしの推し曲
ANSWER/コブクロ:父の推し曲
風見鶏/コブクロ:母の推し曲
桜/コブクロ:桜の季節に逝ったクロの曲
我ながら良い選曲である。
そして、この曲も、ぜひ流してほしい。
ココロの羽/コブクロ
PHOTOGRAPHY_202304
今月は、SNSに流れる写真をほとんど見なかった。カメラ界隈のトレンドもほとんど見なかった。愛猫を失ってからは、写真も碌に撮れなかった。メモリーカードに残った最後の日々。そこに、新しい日々を写す気持ちになれなかった。
しかし、写真から遠ざかっていたわけではない。
愛猫の写真を見返して1冊の本にした。写真を撮っていて良かった。これほどに思ったことはなかった。
写真を撮る理由は、至ってシンプル。
生きた証を残すため。
それだけで良い。それだけで良いのだ。
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月末、ようやくカメラを持ち出した。
街を撮った。晴れた気持ちの良い夕暮れだった。
わたしの人生は続く。
弱くてもいいから、強く生きたい。おかしな話だ。
それでは、良い写真生活を。
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