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2022年4月 - 今月のスナップとエッセイ

 2022年の桜は、天気に恵まれなかった。
 毎年、晴れた日の風に舞う桜を楽しみにしている。麗らかな春の日。桜吹雪。その儚さに、春の到来を感じる。あの空気が、好きだ。
 しかし、今年の桜咲く頃は、どんよりとした曇りや雨が多かった。気温は乱高下して、夏日を迎えた日もあった。
 快晴の桜が見られなかったのは、わたしが外に出るタイミングと合わなかっただけかもしれない。それでも、残念だ。

 たくさんのひとがその花を見ようと外に出て、たくさんのひとがその花の名を歌う。それが桜。
 風に乗った桜の花びらを見るたびに、わたしは人生であと何回この花を見られるだろうと思う。タンポポだってスミレだって、目に入るたび、カウントダウンされている。しかし、この感情を抱くのは桜だけである。

 来年も見られるといいな、桜。
 出来れば、霞がかった淡い青空の日に。

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 今年も静岡まつりに足を運んだ。人混みは苦手だが、おまつりは楽しい。楽しいというより、わくわくする。
 人の波に揉まれながら歩く。おもちゃを持ってはしゃぐ子。大きな口で綿あめを頬張る子。
 わたしは、父や母に手をひかれて屋台を歩いた日を、思い出した。大人になっておまつりに行くと、あの感情が蘇る。あのときめきが蘇る。
 
 ビールと串焼きを買い、夫と乾杯した。ふたりで過ごす何度めかの静岡まつり。はじめて一緒に来たとき、わたしたちはまだ恋人にもなっていなかったし、皆がマスクをする時代ではなかった。
 しかし今は、このご時世だ。桜を見ながら、一緒にビールを飲める幸せを噛みしめる。

 当たり前を当たり前だと思わないこと。そのありがたさを感じること。“当たり前”の中で過ごしていると、そんなことすら考えない。しかし、ふとした瞬間、“当たり前”を大切に思えたら、きっとその“当たり前”は、幸せな時間であろう。

 わたしたちのお目当ては、手筒花火。
 毎年楽しみにしている。途中で雨が降り出したが、夢中でシャッターを切った。やはり、写真は楽しい。女性の花火師さんが、花火をあげたあと、深く礼をしている姿が、凛々しく素敵であった。

 また、来年も一緒に。
 雨に打たれた帰り道、繋いだ夫の手をぎゅっと握った。

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 そして、今月も来たよ、東京。わたしにとって東京は、第二の故郷みたいなものである。実際、大人になってからも会いたいと思うひとは、東京に多い。

 今回は、長い付き合いのある友人とそのパートナーにお会いした。

 彼女と初めて会ったのは、もう10年近くも前の話である。品川駅近くでパンケーキを食べ、プリクラを撮ったあの日から、わたしたちは馬鹿ばかりやって笑い転げ、時には将来の話を真剣に語り合あった。お互い学んでいる学問は違った。しかし、将来に対する熱意をぶつけあった。

 わたしが東京を離れても、彼女とは頻繁に遊んだ。わたしが「好きな人が出来たかもしれない」とはじめて胸の内を明かしたのも、彼女だった。
 深夜、狩野川のほとり。静かに流れる水の音。あの夜を今でも思い出す。その好きな人は、今では夫になった。

 彼女は、多くのことを語らない。むやみに人の心に手を伸ばしてこない。しかし、そっと隣にいてくれる安心感がある。親友だと思っている。

 そんな彼女が、お付き合いをはじめたひとがいると言ってきた。そして、そのひとが女性であることも、教えてくれた。それは、長年彼女自身がずっと言えなかったことを、わたしに打ち明けてくれた瞬間だった。
 わたしは、とても嬉しかった。彼女が心の中で大切にしているものを、そっと見せてくれたのだから。そして、彼女が共に生きたいと思える相手に出逢えたことが、心から嬉しかった。

 3年前の夏の終わり。わたしたちは会うことになった。
 彼女はくりっとした目が印象的な女性を連れてきた。素敵なひとだった。隣で笑う彼女の顔は、優しくて柔らかい。その笑顔は、馬鹿やって笑い転げていたあの頃とは違う。あの日から今日まで見る彼女の笑顔は、穏やかな幸せが溢れている。

 ああ、ひとは幸せだとこうも違う表情になるのか。
 そう、思ったのを覚えている。

 しばらくして、その幸せな表情を撮らせていただく機会があった。さらに、フォトウエディングとしての大きな撮影も任せてもらった。わたしには、ポートレートの経験も知識もない。しかし、ふたりはわたしに撮ってほしいと言ってくれた。自然な表情を撮ってほしい、と。嬉しかった。撮影は無事成功し、佳い日となった。

 その撮影ぶりに、ふたりと会った。元気そうで良かった。
 夜になり、3人で河川敷に駅弁を広げ、昔のことや今のことを語り合った。わたしは片手にビールを持って。ビール飲みすぎ?いやいや、そんなことはないよ。
 春の夜風と隅田川にうつるビル灯りのゆらぎを眺めた。わたしの記憶に、またひとつ、思い出が刻まれた。

 次の日、久しぶりに新宿を歩いた。夏のような陽射しだった。
 新宿にはよく来ていた。懐かしい気もするし、懐かしくない気もする。新宿駅も様変わりしていた。改札の位置が変わり、わたしは変なタイミングでSuicaを出してしまった。まったく、癖というものは面白いものである。

 夕方、東京駅の改札で手を振るふたりに見送られ、わたしは静岡へ帰った。また来るよ、東京。わたしの第二の故郷よ。
 そして、元気で幸せに暮らしてね、親友よ。私はあなたの幸せを心から願っている。

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 今月の静岡は、雨が多く、蒸し暑かった。かと思えば急に寒くなった。これでは、風邪を引けと言われているようなものだ。それにしても、毎年4月ってこんなだっけ?
 最近は日がのびて、18時でもまだ明るい。外が見えない空調の効いた部屋で仕事をしていると、季節感覚がなくなる。余裕がある日は、街に出てスナップする。運動にもなるし、気分も良くなるし、一石二鳥だ。

 面白い瞬間を探してもいいし、かっこいい瞬間を探してもいいし、スナップは自由である。

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 季節を感じられるもののひとつに、花がある。

 今年、初めて藤のライトアップを見に行った。
 例年、藤の花が綺麗に咲くお宅がある。桜が散ると入れ替わりのように咲き乱れる。その風になびく紫が綺麗で、いつかライトアップされている藤も見てみたいと思っていた。

 藤も種類が多くあるそうだ。桜も種類がたくさんあると知ったのは、写真を撮るようになってからである。道端の花ひとつにも目を向けるようになったのは、カメラを持ち歩くようになってからである。
 まだまだ知らない世界がたくさんある。それをわたしの目とこのカメラが捉えていく。新しい視点に気がついたとき、カメラを、写真を好きになってよかったと感じる。

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 世間はゴールデンウィーク。
 わたしも先日、正月ぶりに実家に帰り、穏やかな夜を過ごした。愛猫は、玄関まで迎えに来て嬉しそうにしたと思えば、あとは好き勝手にしている。相変わらずだ。わたしもベッドにひっくり返ってゴロゴロしていた。相変わらずだ。相変わらず、それが幸せだろう。

 日本も世界も、胸が痛くなるようなニュースに溢れている。明るいニュースは埋もれてしまい、暗いニュースがより目立っていく。第三者でも苦しくなるのに、当事者の思いは計り知れない。

 生きている意味とは何か、常に問うている。答えは簡単に出ない。出なくても、生きている。
 わたしにできるのは、今を見つめながら、シャッターを切り、筆を執ることだ。今を確実に重ねていれば、生きている意味は、深く考えなくてもいいのかもしれない。

 来月は何を撮って、何を思うだろうか。
 それでは、良い写真生活を。


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