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2023年9月 - 今月のスナップとエッセイ


時候の挨拶

「ここ最近は、夏が長くなりましたね」
 そう友人に言われたとき、わたしは思わずハッとした。

  地球温暖化を超え、地球沸騰化の時代。ずっと、夏の広がりは、縦方向だと思っていた。要するに、気温である。そうか、夏の広がりは横方向でもあるのか。

 頭の中で、夏のイメージが、緩やかに横へと広がっていく。
 ゴールデンウィークあたりから、じりじりと日差しを感じた。そして迎えたクソ蒸し暑い夏は、今月末ようやく終わりを迎えようとしている。

 ようやく涼しくなった朝、空を見上げた。
 秋の空は透き通るような青色をしていた。

 久々に、空を見上げた気がした。夏の青空は見上げるには眩しく、日傘の下で日陰を探して歩いていた。
 空って、こんなに広かったんだなあ。秋風が、半袖のワンピースを揺らす。少しばかりの肌寒さに短い秋の訪れを感じた。

「こうやって、いずれは春や秋がなくなっていくんでしょうね」

 友人の言葉を思い出す。暑さ寒さも彼岸まで、なんていつの間にか過去の言葉になってしまうのだろうか。それは、とても寂しいものだ。

 さて、ようやく涼しくなってきた日本、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

目をつぶると感じる愛

 目をつぶる。
 シャカシャカシャカシャカ。ふわふわの泡が、髪の間に増えていく。
 シャカシャカシャカシャカ。ふわふわの泡は、もくもくの泡になる。

「痒いところはありませんか?」 
 おどけた声に、わたしは笑う。わたしの髪を洗っているのは、夫だ。

 また、右手が使えなくなった。正確に言うと、右肘の尺骨神経を傷めた。もう何度目かもわからない肘部管症候群の再燃である。数年前に手術してあるため、再燃には内服薬や湿布で凌ぐしかないようだ。
 前回の再燃より、指の麻痺は少ない。しかし、感覚異常と神経痛がつらい。動かせる分、無理をしてしまう。すると、次第に耐え難い疼痛に襲われて、何もできなくなる。

 これを繰り返して、3週間。
 昼もつらいが夜もつらい。もともと寝つきは良いためスッと眠れるが、夜中に目が覚めた時が大変である。ジンジンとした痛みに耐え、再び眠れるまで1時間。眠れないと、そのまま起きている。
 おかげで、ひどい寝不足だ。しかも、鎮痛薬の影響で昼間はフラフラである。

 その中で、夫はわたしの世話を甲斐甲斐しくしてくれる。こうなるのも、彼にとっては2回目。実に慣れた手つきだ。正直、甘えすぎていると思う節もある。
 そこで、わたしが何かやろうとすると「座ってて、やってほしいことは全部言って」と言われる。故に、甘えまくっている。

 目をうっすら開ける。夫の顔が見えた。

「ごめんね」
「なんで謝るの、急に」
「だって、仕事で疲れているのに。わたしの世話までしてくれて」
「当たり前、夫婦だから。結婚式の時に誓い合ったでしょ」

「流すよ」
 目をつぶると、愛を感じる。
 泡がそっと流れていく。日常の小さな幸せを噛みしめる。

まだ見ぬ街を撮り歩く

 街ごとに光の入り方があり、影の落ち方がある。その街独特の、夜の煌めきや雰囲気がある。その美しさに心を奪われる。日常は、美しさを秘めている。

 所要のため、仙台へ行った。仙台には、ここ数年何度か訪れている。
 ここに来るたびに思う。「スナップがしたい」と。どうしようもないくらい、わたしの心が叫んでいた。

 しかし、なかなか実現しなかった。タイミングが合わない時は、何をしても難しい。「次こそは撮るぞ!」と意気込みながら、帰りの新幹線に乗る。これを繰り返していた。

 そして、ついにチャンスが訪れた。手は痛かった。しかし、そうそう来られる場所ではない。手に深く謝る。すまん、許してくれ。そしてカメラを持った。痛いが撮れないことはない。短時間なら大丈夫だろう。

 そしてわたしは、仙台の街へ繰り出した。

 シャッターを押すたびに、痛くても楽しかった。心が生き返った。
 わたしは、スナップが好きだ。好きなのだ。
 これが体調万全だったら、もっともっとじっくり撮り歩けたのだろう。元気になったらまた行きたいなあ。もうそんなことを考えている。人間は、欲深い生き物だ。

 遠出すると、カメラを2台持っていく。ひとつはコンデジのFUJIFILM X100F、もうひとつはミラーレスのNikon Z6。今回、手の事情で重たいレンズが持てなかったため、Z6にはAF-S NIKKOR 20mm f/1.8G EDのみつけた。大変写りの良い広角レンズである。

 久しぶりに、広角レンズを使った。ファインダーからの景色は、見慣れなくて面白い。だからこそ、今しか撮れない写真があった。
 どんなに苦しくても、何かの繋がりで新しい出逢いも生まれる。物は捉えようだ。

PHOTOGRAPHY_202309

 手が痛すぎて、萎える。
 仕事も趣味も、思うように出来ないのが萎える。

 それでも何とか働けて撮れて書けるだけ、わたしは幸せなのだ。騙し騙しで生きていくしかない。そう思い込むことにする。

 ああ、カメラのシャッターは、なぜ右側についているのだろう。
 疑問に思い、左手側にシャッターのあるカメラはあるのかと、調べてみた。

 あった。コンパクトデジタルカメラ Canon PowerShot N2。正確に言えば、左側にシャッターがついているのではなく、レンズ周りのリングがシャッターリングとなっているそうだ。すなわち360度どこでもシャッターが切れる。これは、素晴らしすぎないか?欲しい。

 探してみると、右腕の機能を失っても、試行錯誤してカメラを使っている方がいる。熱意があれば、きっと方法はある。大切なのは、撮りたい気持ちか。

 指先ひとつ思うように動かなかったり、強い痛みを感じるだけで、何もしたくなくなる。生老病死は我々の通る道と思う反面、なんでこんな苦痛を感じなければならないのかと悩むこともある。
 しかし、少し前向きな時は、新しい方法を模索したい。わたしたちには、あるものしかないのだ。これが自分の身体との付き合う方法だろう。

 きっとわたしは、まだまだ写真が撮れる。
 だって、撮りたい気持ちがあるから。

 2023年9月末現在、わたしはドロドロで生きている。
 それでも救いなのが、タイピングは出来ることだろう。文字を書くより、文字を打つ方が、肘と指先への負担が圧倒的に少ない。

 そして、書きたい。
 やはり、わたしは言葉にしたいのだと思う。

 頭の中で、ずっと自分が喋っている。すると時々、良いなと感じるフレーズが浮かぶ。しかし、その言葉は泡のように消えてしまう。
 書き留められないのが惜しい。頭にチューブをつけて、思った言葉を一字一句残してくれる装置があればいいのに、と思う。

 しかし、そんなことを夢見ても仕方がない。それより、そろそろ左手で文字を書く練習をした方がいいかもしれない。

 それでは、良い写真生活を。

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