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神経性疼痛記録│忘れゆく生き物として書くエッセイ

 あの朝、春先に亡くなった愛猫・クロの鳴き声が聞こえた。「アーオ!」それは、何か要求があったり、なんとなくつまらなかったり、わたしたちを呼びつけるときに出す声だった。

 その声が、耳の中ではっきりと聞こえた。
 一説によると、人間は、聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚の順で記憶が薄れていくそうだ。

 ふと、あれだけ愛していたクロの声が、記憶から離れているのに気がついた。だから、またその声が聞こえて嬉しかった。それは幻聴でも、霊的なものでも、何でも良かった。
 と同時に「何か言いたいことでもあるのかなあ」と不思議に思った。

 その日、わたしの肘部管症候群は再燃した。それは、いつも突然やってくる。焼け付くような痛みが右肘から指先まで襲った。
 痛みに悶えながら、「クロはこれを伝えたかったのかな…」とぼんやり思った。

 肘部管症候群は、肘の内側にある尺骨神経が圧迫されることで起こる神経障害の一種である。主な症状には、肘から手にかけての痛み、しびれ、手の力の低下だ。治療には、安静、物理療法、時には手術が必要となる。

 わたしの場合、これとの付き合いは高校生の頃からだ。原因はosborn靭帯の形成不全と先天的なものであった。(この原因を特定できる医師に巡り会えたことに感謝している。)その後、再燃と寛解を繰り返し、20代半ばで手術をした。
 しかし、一度傷んだ神経は、身体の中で弱いのだろう。昨年、再燃してしまった。それでも、半年ほど経てばだいぶ楽になる。最近は本当に調子が良くて、快適に生活ができていた。

 そんな矢先の出来事だ。
 また痺れ出した。薬指と小指が動かず、ふにゃっと曲がっている。そしてとにかく、痛みがひどい。

 なんで神経の痛みは、こんなにも辛いのだろうか。再燃直後は、肘を内側からひねり潰されるような痛みで、ポロポロと涙が出た。今、2週間と少し経った。今は、正座直後の痺れと、こむら返りの痛みが同時に起こる感覚が、肘から指先まで広がっている。特に、指先に症状が強く、火傷のように痛い。時折、ボン・ボン・ボンと内部から火花が弾けるような疼痛は、何とも煩い。
 感覚異常だろうか。紙に触るだけでも灼熱の痛みを感じて、文字を書くのがとにかくしんどいのだ。

 しかし、幸いなことに、運動系は比較的保たれている。尺骨神経が傷み、薬指と小指がうまく機能しなくなると、親指と人差し指で行う動作に力が入らなくなる。
 爪切り、点眼、洗濯ばさみやクリップを広げるなどがその例だ。
 過去の再燃直後は、これらが全く出来なくなった。今回は、ゆっくりなら出来る。
 
 しかし生きていると、驚くほどに何事にも手を使う。痛むたび、この動きは、こんな感じて手を使っているのだなと感じる。手は偉大だ。

 この生活が24時間である。
 夜中目覚めて痛いと、再び眠れるまで時間がかかる。何をするにも一苦労。日常生活も仕事もお出掛けも、全て精神をすり減らして行わねばならない。趣味のカメラも、出来なくはない。しかし、楽しめない。

 また安静時には、碌でもない思いに悩まされる。これも厄介だ。
「きっと半年の辛抱だから」と自分自身を励ます思いと「今回もだんだん良くなるかな?」「毎年こんなイベントが起こるのかな?」などと落ち込む思いが、波打ち際のようにやってくる。
 痛みに集中してしまうと、精神状態が悪くなる。なるべく外に出たほうが気持ち的に楽なのだが、安静が必要なのがもどかしい。

 現在は、消炎鎮痛剤と神経性疼痛治療剤、末梢性神経障害治療剤のビタミンB12を内服している。そして、湿布。お決まりセットだ。
 しかし鎮痛剤が、痛みにどれだけ効いているのか、疑問ではある。
 生理痛ならば鎮痛剤を飲めば緩和されるが、神経性の痛みは、何をしても緩和されている気配がない。しかし、薬を使用しない時の疼痛レベルは、今よりさらに強いものかと思うと、身震いする。

 神経性疼痛治療剤の副作用のひとつに、ふらつきがある。飲み始めは、身体が薬に慣れるまで、頭がぼうっとするのだ。
 わたしの場合、自分の前に一枚の膜がかかり、その先に相手がいるような感覚になる。もしくは、一歩引いたところで、自分を見ているような感覚にも近い。

 まるで、夢の中を歩いているようだ。

 ああ、この痛み、全部夢だったらいいのになあ。
 ああ、またクロの声が聞きたいなあ。
 朧気にそんなことを思う。

 今、殴り書きのように、文字打ち込んでいる。朝4時に目が覚めて、眠れなくなったため、筆を執った。手の状態は、筆を持つよりマシだが、だいぶ力を使ってしまったようだ。  
 しかし今回の記録を残すことは必ず未来の自分の役に立つ。
 なぜなら、痛みがなくなれば、忘れてしまうのだ。痛みも出来事も忘れてしまう。それをわたしは知っている。思い出したいときに、このリアルを何も思い出せない。

 忘れたいほど痛いのに、忘れぬように書き残すのは、矛盾している気もする。しかし残すと同時に伝えたいことがあるのだ。それは、同じように痛みに苦しんでいる人たちに、「ひとりじゃないよ」と、伝えたいのだ。

 神経性疼痛は、原因および痛みの表現や程度が様々である。そして、見た目ではわからないことが多い。それ故に、他人への説明が難しく、なかなか理解を得られない場面もある。
 だから、あなたの痛みをわたしの身体で感じることはできないけれど、あなたの苦しみにはちょっぴり寄り添えると思って書いている。

 人間は、忘れてしまう生き物。
 それを、わたしは知っている。
 だから、書き続ける。
 残すために。伝えるために。

 あーーー。それにしても痛えな…。
 今日も頑張ろう、ぼちぼちね。

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