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靴屋のおじさんと説得力

突然だが、私はボカロやアニメが好きだ。
しかも少々厄介なオタクの部類で、周囲の人にオススメの作品をプレゼンしたりしている。

そして、かれこれ10年は、このお金にならない営業活動を続けている。

そんな活動を通じて、1つだけ自分の中で確信していることがある。

それは、人を動かすためには「話し手の説得力」がとても大事ということだ。

ここで大切なのは、話の内容の説得力ではなく、あくまで話し手の説得力という点だ。

簡単に例えて言うならば、私がボカロをAさんに勧めるよりも、ジャスティンビーバーが同じAさんに勧めた方が説得力があるし、実際に聴いてみたいと思わせることができるという話だ。

さて、私とジャスティンで何が本質的に違うのか。知名度?顔?オーラ?

私の考えはこうである。

この人の言うことなら間違いない」「これだけ凄い人の勧めるモノだ。確実に素晴らしいモノなんだろう。」というような期待を持たせられるかどうか

「なるほど?」

いや、実際、顔もオーラも何もかも勝てないのだが、そんな話をしても何も生産性がない。

私がこの違いに注目したのは、これならある程度差を埋められると思うからである。

そう思ったキッカケが、この記事のタイトルにある、靴屋のおじさんとの出会いだった。


「安いよ安いよ!」
「ここは、製造元から直で卸してるんだ」
「だから安い!しかも質も良い!」
「見てみな全部本革だ。他のとは比べ物にならないよ!」

デパートの一区画
誰も客が居ないその店で、一人声を張り上げているおじさんがいた。

客は目を合わせると詰め寄られると察し、皆目を背けてその区画を過ぎ去っていく。

だが、私は違った。

丁度革靴が欲しかったのだ。
話しかけてくるタイプの店員は苦手なのだが、置いてある靴はどれも良さそうだったので少し手に取ってみた。

「うーん。どの靴が良いのか分からん」

そう思っていると、案の定店員のおじさんが近づいてきた。

「兄さん、うちは他の店とは違うよ」
「全部本革さ」
「しかも老舗だから流通ルートが他と違う!つまり安い!」

うわぁ。来たよ。
はやく場所移動したいな。

そう思っていたが、おじさんの口は止まらない。わんこそばみたいに止めどない。

仕方ない。ここは一つ試し履きして、「いいですね!この靴!他の店回ってもう一度来ます!」と言い、逃げ切ろう。

すみません!
この靴、履いてみていいですか?

「もちろんだよ!」
「それもいい靴さ」

私が27センチの靴を手に取った時、流れが変わった。(以後カギ括弧省略)

兄さん、恐らく25.5だね。

はい?
今履いてるの27なんですけど。

ああ。仕方ないよ。
日本人は革靴の選び方を知らない。
いいから一度25.5履いてみなさい。

言われるがままに履く。
少しキツイが、前にまだ少しゆとりはある。

どうだい?
横はピッタリで、つま先は少し余裕あるだろ。

おお。まさに今そう思ってたところだ。
流石靴屋。
どうやら知識や見抜く目は本物のようだ。

その後、聞いてもいないのに、歩き方や靴の選び方、合わない靴を履いた結果起こる症状まで、時に裏から新聞の切り抜きを取り出し説明してくれた。

親切だとは思わない。
買わせるという強い意志が見えるからだ。

しかし、「知識や経験、見る目は本物だ」と思わざるを得なかった。

その瞬間から、私にとってその靴屋のおじさんは、革靴に対してジャスティンビーバーと同等かそれ以上の説得力を持っていた。

おじさんは一通り靴の知識を話すと、自然と私から離れて行った。

結局その後、私は気にいるデザインの靴を偶然その店で見つけ、買うことに決めた。

もしかしたら、好き嫌いが分かれるデザインの、判断は客の自主性に任せ、それ以外の知識や質に関する情報は積極的に発信するという戦略だったのかもしれない。

だが、当時は掘り出し物を見つけた興奮で、そんなことを考える余裕はなかった。

結果、購入した靴には今でも満足しているし、おじさんの発言が正しいかどうか、ネットで調べたが全て本当のことだった。

モノを勧める際は、勧める側の人間がその分野においては本物だということをある程度アピールする必要があるのかもしれない。

エピローグ

これは本当の話なのだが、2021年度東京アニメアワードフェスティバルの、作品賞2作品を私は予想し的中させた。

実際はそれだけそれらの作品が素晴らしかっただけの話なので、私は全然凄くない。

しかしこの話、私が割と良い目を持っている証拠にはなりそうである。

そう思い、知り合いに上記の話をしたあと、1つ作品を勧めてみた。

すると彼は、そのタイトルをすぐスマホで調べ、アマプラのウォッチリストに追加してくれた。

やはり大事なのは、話のうまさではなく、付け焼き刃では手に入らない知識や経験。

そしてそれらを伝えることによる、伝え手のジャスティン化に他ならないと私は思う。

そして、すでに身の回りには沢山のジャスティンが存在している。

ナビを使わないタクシードライバー、ダサいダサくないを判断し口に出す古着屋の店員、競合他社の製品性能をフラットに語る営業マンなど。

彼らは商品を売る前に自身をブランディングし売り出すことで、放つ言葉の価値を底上げしているのかもしれない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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