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私のキャリアはわらしべ長者⑦風土改善と評価制度導入に挑む

【いったん最終回】
40までに7回転職、50前で独立した私のキャリアをたどっています。
展開は「わらしべ長者」のようですが
成功者の物語ではありません。
悩み、さまよい、助けてもらいながら、目の前の仕事や相手、自分自身と向き合った私の足跡です。

前回は、最後の転職先・8社目で管理部長に抜擢され、これまで得てきたことが伏線回収のように活きた、というお話でした。

今回、何年もかけて何社も渡り歩いた末にたどりついた「やりたかったこと」に取り組みます。

トップ画像「ライフラインチャート※」赤で囲った部分になります。
※キャリアの充実度。詳しくはコチラ

風土が悪い・評価制度がない

前回書いたように、会社の風土がよくない。

設立して数年で業績が伸びなくなり頭打ち。
部署間でいがみあい、押し付け合う。
幹部はよけいなことに手を出さない。
社員には無力感のあきらめムードが漂っています。

私は入社3年目で管理部長となり、業務改善を進めて社内のさまざまな課題を解消。管理部門のメンバーが社員のサポートをするようになり、少しは部署間のいがみ合いや押し付け合いは解消されてきました。
でも、みんなで協力して目標に向かっている実感はまだありませんでした。

まず、親会社から出向してきた幹部。
戻る場所がないのを悟り、自分の立場やプライドを守ろうとしているのか。
成熟した会社から設立間もない会社に来て、どうしたらいいか分からないのを悟られたくないのか。
縄張り意識を持ち、保身ばかり。

そんな幹部の下で働くプロパー社員は、
言ってもムダだと思ったのか、
自分から行動せず目の前の仕事をこなすだけで、伸び盛りの30代なのに成長が止まっている。

これは、幹部の影響だけではないようです。

というのも、
評価制度がなかったのです。
がんばっても評価されず、
給料は変わらない。

入社したときは
「立ち上げ間もない会社を大きくする」
という夢や希望、やりがいに支えられているものの、
報われなければ、気持ちはやがて萎えてきます。

現に、20代のイキのいい子が何人か辞めてしまいました。
明るい未来が見えないのなら当然でしょう。
また、小さい子どもがいる社員は将来に不安を感じ、転職を考えていてもおかしくない。

こんな状態で、業績がよくなるわけがない。

なぜ評価制度をやらないのか専務に訊ねると
「昇給分や賞与を払う原資がないから」
とのことでした。

業績が頭打ちになって数年たち、成長に向けた資金を投入できなくなった。
昇給や賞与を払うには、業績をあげて利益を確保するしかない。
でも、約束できないから、やれないーーー
というのです。

それは順番が違う。
がんばって業績を上げて、報酬を上げる。
それができるようにするのが
経営幹部の役割じゃないか。

評価制度をつくろう。
がんばったら報われるようにしよう。

いや、制度だけではない。
よくない風土を改善しよう。
幹部も社員も協力して業績アップを目指し、
楽しく前向きに働き、みんなでよろこび合う。
そんな会社にしよう。

そう決心した私は、
「風土改善」と「評価制度の構築」に挑むことにしました。

風土改善に取り組む

「風土が悪いから変えましょう」
と提案しても、批判されているように思われてしまいます。

まずは、専務と社員の様子や社内の状況について話をする機会を毎週つくり、少しずつ必要性を植え付けていくことにしました。
関心が強まり前向きになってきたところで、専務と一緒に幹部会へ提案。
取り組みをスタートさせました。

最初にやったのは

●ビジョン研修会

  1. 会社が目指すもの、描く未来(ビジョン)を示す

  2. 現在の経営状況を包み隠さず共有し、
    描く未来と現状には大きなギャップがあることを示す

  3. いがみ合い押し付け合っている場合ではなく、
    全員が協力する必要があることを伝える

  4. そのために、どんな行動があったらいいかを考え合う

2.の経営状況の共有=情報公開はインパクトがあったようです。
これまで部分的にしか知らされていなかった社員は
「ウチの会社、どうなってるの?」
「都合が悪いことを隠しているのではないか」
と疑心暗鬼になっていました。
今回公開したことで

本気で変えようとしていることが伝わった

という反応がありました。

また、会の冒頭では
私がこれまで感じてきたことや
どんな思いで改善に取り組んできたか、
「いい会社にしたい」
「みんなでよろこび合いたい」
という願いを、飾ることなく本音で話しました。
これもよかったようです。

「思っていても言えないことを言ってくれた」という声。
泣いてくれる子。

社員の心を動かし、言いたいことを言う勇気や取り組む意欲をかき立てた手応えがありました。

その続きとして実施したのが

●オフサイトミーティング

業務を離れ、日頃感じている課題と解決策について、部署や担当の関係なく自由に出し合う、という場です。

  • 個人攻撃をしない。追求をしない

  • 深く考え込まず、思い浮かんだことはどんどん出す

  • 痛いところを突かれても、反論や言い訳をしない

  • 突拍子もない提案があっても、反対や否定をせず、できない理由を探さない

こんなルールの元、広くて陽当たりのよい場所で、お菓子を食べながらワイワイやりました。

話し合った内容は模造紙に書いてオフィスに貼り出し、眺めたり書き足したりできるようにします。

ミーティング以降、ビジョン研修会でスイッチが入った社員を中心に、前向きな行動が目立つようになってきました。


他にもさまざまな企画を打ち、みんなの様子を発信・共有し続けていきました。
たとえばこんな企画。

●自分ごとクイズ

協力関係をつくるには、
「他の部署や社員は何を考えていて、どんな悩みを抱えているのか?」
興味を持ち、知る必要がある。
そこで、楽しみながら他者を理解したり興味を持てるように、自分や部署の仕事に関することをクイズにして出し合う、という企画を考えました。

毎朝の朝礼で実施して、一周したところで正答数を集計、優秀者を表彰します。

これを始めたところ、出題されそうな情報を調べたり、クイズをきっかけに興味を持ったことについて詳しく話を聞きに行ったりと、部門間・社員間での交流が始まったのです。
幹部もつられるようにして、その輪の中に入っていきました。

協力してビジョン実現に向かっていこうというムードが、少しずつ社内に醸成され始めました。

課長の育成に着手する

次は評価制度です。
ただ、制度だけ作っても意味がない。

社員が成長し、会社の業績がよくなる。
社員は報われ、さらなる成長の原動力となる。
会社も社員も成長する。
そんなサイクルを支えるものにならないと。

制度の構想を練ると共に、どう進めようか思案していたところ、専務からこんな指示が。
「課長会やって」

幹部が各部署に幹部会議の内容を落とし込めていないので、私が課長を集めて話をしろ、というのです。
要は、専務は幹部たちを信頼していないんですね。

これはチャンス。
課長会を課長育成の場にしよう。
課長がマネジャーとして成長すれば、業績の向上につながる。
社員の成長に関与することで、評価者としての視点が身につき、評価制度が運用しやすくなる。

そしてあわよくば、今の幹部を追い抜いて部長になって欲しい。
プロパー社員で部長は私だけ。他にもプロパーから幹部が生まれれば、会社が大きく変わるかもしれない。

ということで始めたのが

●課長会

私がファシリテーターをつとめ、会社全体・各部署が抱える課題を出し合って解決方法をディスカッション。ときにはぶつかり合いながら、対話をして解決する体験を重ねることで、自分の部署を「成果に向って取り組むチーム」に育てるプロセスを身につける場にしました。

また、気になる社員への対応やサポート方法を考え合いました。
アプローチの手段として、私がカウンセラー講座で学んだ傾聴技法を土台にした

●面談(今でいう1on1)

の手法を伝授。
課長たちは、育成や個別の問題解決など、メンバーに積極的に関与する場として面談を活用するようになりました。

評価制度を導入する

  • 風土改善・ビジョン実現に向けた行動

  • 課長会を通じた課長の成長

  • 面談による社員育成

といった取り組みが進み、徐々に変化が目につき始めてきました。

私は、満を持して幹部会にこう提案します。

みんなのがんばりが成果となって実を結び、業績が向上したら、報われるようにしませんか。
そのために、評価制度をつくりましょう

最初、専務は制度の導入を渋ったものの、課長はじめ社員たちの変化やがんばりを伝え、
「利益がいくら出たら、そのうち何割かを報酬に反映する」
という約束を取り付けることに成功しました。

このとき後押しをしてくれたのが、監査役です。
親会社と共同出資している別会社の方で、業績が上がらない私たちを「監視」するために、幹部会に毎回参加していました。
風土改善や課長育成の話をするたびに、こう言ってくれていました。

おざわさんだけは、いつも前向きに取り組んでくれるので、それが希望です

その監査役が提案に強く賛成してくれることで、制度の導入が決定したのです。
がんばっていれば、見てくれる人、味方になってくれる人がいるんだ。
そう実感しました。

制度の内容は、これまで触れてきた他社事例などを参考にしつつも、風土改善や課長会、面談での様子を見ながら、自社に合うように自分で考えました。

●評価制度

  • 全員共通の評価項目として、ビジョン実現に向けて必要な行動を設定

  • 個人目標は、まず部署目標を元に各自で考え、上長と面談して決定

  • 評価は、自己評価→課長評価→部長評価→評価者会議で確定
    評価者会議は、幹部会と課長会を合体

  • 結果を面談でフィードバック
    課長会で取り組んだ面談をそのまま活用

続いて、評価に連動した給与体系です。

給与には大きな問題がありました。
採用時の責任者の感覚で給与が決められ、責任者が何度か変わっていたので、入社時期によって水準がバラバラだったのです。
パフォーマンスがどうであろうと、給料は入社したタイミングしだいで、その後は上がらない・・・。
不公平感が渦巻いていたため、今回、基準を明確に提示しました。

●給料体系

  • 業績給・職務給を設定し、給与テーブルにして公表

  • 業績給は、期末利益の一定割合を配分

  • 職務給は、評価点数に応じた金額に
    役職と部署で配点ウエイトに傾斜をかけ、求める役割や成果を強調

  • 役職手当を導入
    部長・課長に加え、マネジメントしない主任を新設

評価通り給与を算出すると、下がる人も出てきます。
いきなり下げるのは、労働基準法、生活面、モチベーションとあらゆる観点から好ましくないので、2年間は「調整手当」を出して差分を埋め、今の給与をキープすることにしました。
提示した体系が「2年以内に改善できるよう努力してね」というメッセージとなりました。

●みなし残業の廃止

給与に関するもうひとつの問題が「みなし残業」。
いびつなしくみで、なんと給料の実質2割を占めていたのです。
で、残業代は出さない、残業時間も記録しない、という・・・。
これを廃止して、残業代を1分から出すことにしました(当然ですが)。

コストが増える要因となるため、これまで手をつけてこなかった、とのこと。
でも実態を調査したところ、残業を申請制にすることで抑制できると判断して、実施しました。
実際、残業は減り、社員の働き方は効果的になっていきました。
それでも残業が減らないものは、仕事のやり方や分担を検討する材料としてあぶり出されることとなりました。

社員を支える会社にする

給与体系を変えるには、就業規則の改訂が必要です。
同時に勤務体系の規定にも手をつけ、働きやすい環境を整備する機会にしました。

●勤務体系・休日

  • シフト制の導入
    家庭の事情や本人の状態によって、出勤・退勤時間を選べるように

  • 年始に1年間の公休を明確化
    これまで夏冬やGWの直前にあわてて決めていた(!)のを改め、帰省や旅行などの計画を立てやすく

  • 半休制度の導入
    有給は、半日より取得可能に

  • 子どもの送迎等による遅刻は不問に
    たとえば保育園に預けるのに手間取るなどして、遅刻したり有休を使わざるを得なくなる事態を解消

特に下の2つは、小さい子どもを抱え苦労している社員が何人もいて、少しでも安心して仕事に集中できる環境にしたい、という私のこだわりでした。

いま(2023年)は子育て世代の支援体制を整備する会社が増えてきたようですが、当時はまだ少数、しかも中小企業。
時代を先取りした自負があります。
とても感謝されましたね。
そして、これまで以上にがんばるようになってくれました。

偶然かもしれませんが、小さな子どもがいる人ほど、仕事がよくできる。視野が広く、気が回る。行動が早い。
確実に、業績の向上に貢献してくれました。


社員の成長を支え、促進するしくみも整えていきます。
資金が逼迫してからの数年間、社員研修には何と1円も使っていませんでした。
少ないながらも研修予算を確保し、制度として導入しました。
それをより効果的にするために始めたのが

●10分講座

研修は、R社が提供する、多様なカリキュラムから自分で選べるサービスを導入。
受けたい講座を自分で選び、学んだことを10分にまとめてプレゼン、社員にシェアする、という取り組みを始めました。
プレゼンや学びのシェアをした経験がなく、どうまとめたらいいか分からない社員もいたので、全員と面談して、学んだことの整理とプレゼンづくりを伴走。

全員がすぐにうまくできたわけではないものの、知り得たことをすぐ活かそうとするようになりました。
また、他者のプレゼンを聞いて、社員どうし互いの興味関心や学んだことを知り、刺激し合う機会となりました。

また、お金をかけない手段として

●朝活

という勉強会を立ち上げました。
学びたいことのニーズを元にテーマを設定、希望者どうしで学び合うものです。
毎週火曜の朝、参加者が持ち回りで調べたことを発表して、ディスカッション。
これも、学びを深め合い、刺激し合う場となりました。

共に、目指したのは
「社員が自ら成長していくきっかけ」づくりでした。
社員が成長し、会社の業績がよくなる、そのエンジンとして。

私のキャリアは「わらしべ長者」

こうして、風土改善と評価制度の導入を手始めに、社員の成長、働きやすさを支えるしくみと環境を整えていきました。

これは、私がこれまで何年もかけて何社も渡り歩き、回り道をしながらたどり着いた「やりたかったこと」でした。

  • コンビニ店長時代、仕事の楽しさを味わってもらおうと志す

  • コンサルに転職し、仕事の楽しさを味わえない環境があることを知る

  • 苦しむ人の助けになりたいと思うものの、次の転職先で自分が苦しむ環境に陥ってしまう

  • しかし今回は、楽しく働ける環境を自分でつくるチャンスを得て、実現した

私のキャリアは
「わらしべ長者」

***

数年後、会社は、外部から招聘した営業経験豊富な役員の人のおかげもあって、成長曲線を描けるようになりました。

私はやり切った気持ちになり、
「これまでの経験を活かして、自分でやってみたい」
と思い始めます。

そして、
入社して10年たったのを区切りに
会社を卒業することにしました。
転職7回の「ジョブホッパー」としては
最長の在籍期間です。

***

独立して間もなく、感染症で世界が一変。
人に会えない状況に陥りました。

でも、これまでのつながりやご縁で、
経験やスキルを活かせる仕事を紹介いただいて、
困っていることの手助けをさせてもらう機会に恵まれました。

最初は、直近の経験を元に
管理業務のサポートや、管理職向けの相談活動・研修などをやろうとしていましたが、
今は相手のニーズや要望に合わせて、様々な仕事をしています。

「これをやる」というより
「この人の役に立つ」

そうやって
目の前のことに一生懸命打ち込んでいれば
どこかにつながっていくだろう、
と思っています。

「わらしべ長者」のように。

さて、これからいったい
どこに向かっていくのか・・・
不安でもあるけれど、
楽しみでもある。

いったんおわり。



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