「人に合わせられない」と批判されたHSPなOLの密かな復讐
ある時一番仲良いと当時思っていた、友人が「人に合わせられないさむに意見なんて言われたくない」と言った。
もう5年以上も経つのに私はその言葉が忘れられなかった。
思うに彼女はとても友達作りのうまく、周囲を味方につけることに長けていたし、実際人見知りな私に、多くの友達を紹介してくれたのも彼女なのだった。
彼女から私に対して「もっとサムはこうしたらいいと思う」と助言を受けることもあり、私は自然に受け入れていた。
しかし私から彼女へ、指摘することは「なんでこんな奴に言われなきゃいけないの?」という気持ちが入り混じっているようだった。
彼女が自分の方が上だ、だから格下から指摘されるのはおかしい。そう感じるのはおかしいことではない、と当時の私は思った。
学校・会社などの組織、コミュニティではいつも「明るく」「友達作りのうまく」「大声の人」が正しいとされていて、肯定されているからだ。
単なるひがみではなく、彼女を冷静に数年間見ていて思ったことだが、彼女のような人は確かに対人能力や情報収集に優れていることも確かな事実なのだ。
だから私は「あんな人ばかり評価されて」「声が大きいだけで実は伴ってない」などのひがみや愚痴も口の出しようがなかった。
実際に能力があるからだ。
そんな学生生活を送れば自分に対する自信はどん底まで落ちていたように思う。「会社員として生活を送れるわけがない」「偶然就職できたとしてもその中で私のような奴が評価されるわけがない」
私は自信がないからこそ、就活では別人を装うことでデジタルマーケティングの会社へ就職することになった。
そこではうまく行った。
しばらくの間は。
就活で「対人関係が得意なわたし」を演じて成功したため、そのまま会社でも演じ続けることを継続してしまったのだ。
その結果、連続で昇給する・上司先輩から可愛がってもらえる、と言ったおよそ「人間関係が得意」な彼女たち側が受けられるであろうメリットを余すことなく受け取った。
対人関係に明るい(風)だけでこんなに周囲の反応が変わるのか、と驚いた。
しかし演じている自分が評価されることは、内面にある「内気で」「人と接するのが苦痛」な自分をだんだん苦しめていく。
評価されているのは自分ではない、という感覚が強くなっていき、ありのままの私では誰にも好かれない、仕事もうまくいかないという自己否定の思いが数年前よりも強くなってしまったのだ。
だけどふと思った。
「いつも自分をたりないと思っている状態」
「改善しなければいけないと思っている状態」
「自分を責めてしまう状態」
これは普通のことなのか?
このままでいいのか、彼女の「あなたは人に合わせられない」という呪縛から解き放たれることはないのか。
いや、そうじゃないはずだ。
人生をかけて私でもできることがあると証明したい。
彼女に密かな復讐がしたい
本当に彼女をこらしめたいという意味ではなく、いつまでも私を縛る心の中の彼女に大きく「NO」を突き付けたかったのだ。
そう思ってからは人生が大きく開けていった。
ひとりで仕事を始めるようになって、
・営業 → 文章の営業なら他の人よりも反応がいい。もしかして自分は話すのは苦手だけど文章で言葉を表現するのは得意なのかも・・・
・カウンセラーの仕事 → いきなり顧客がたくさんついた。苦しんでいた時期が長く人に認められない日々を送っていた自分だからこそ人の気持ちに共感できるのかも・・・
こんな風に少しずつ、「彼女にはおそよできないだろうけど自分にはできること」が増えていった。
色んなことが肯定的に見えてくると、当時のことも幅広い視点で見ることができた。
例えば、彼女はしきりに私のことを「多彩だ」とか「なんでもできていいね」だとか言っていた。しかも友達は多数いるのになぜか私のことを「信頼できる」とそばに置いていた。
当時は自分の心が歪んでいて受け入れるものも受け入れられなかったのかもしれない。
もしかすれば「あなたなんかに言われたくない」という意味で彼女は行ったのではなく、単純に指摘されたこと自体に腹が立っていたのかもしれない。
真実はわからないけれど、彼女なりに、私に対しても「自分にないもの」を見ていたのかもしれない。
今では疎遠になってしまったけど、一人になり自分を認めることによって新たな記憶と出会うことができた。
また彼女に会いたい、社会人になって初めてそう思えた。
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