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日本の歴史

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記事一覧

日帰り兵庫県の旅

今まで生真面目に歴史エッセイを書いてきましたが、今後はブログ的にnoteを使おうかなと思いま…

みつやま
10か月前
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東京・水戸「尊王攘夷の旅」3日目(最終回)

(2日目後編から続きます) 3日目は昼食会と飲み会を元同僚のみなさんと開く予定だったので…

みつやま
1年前
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東京・水戸「尊王攘夷の旅」2日目後編

(前編より続きます) 水戸駅まで戻ってきて、北口から「水戸学の道」を歩く。1周2.5キロの…

みつやま
1年前
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東京・水戸「尊王攘夷の旅」2日目前編

(1日目から続きます)。 2日目はついに水戸へと旅立ちました。といっても上野駅から特急で1…

みつやま
1年前
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東京・水戸「尊王攘夷の旅」1日目

いきなり物騒なタイトルですが、2023年3月8日から12日まで、東京と水戸に旅行に行きました。東…

みつやま
1年前
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【歴史小話】江戸の屋敷面積

江戸の都市構成 江戸時代、江戸の土地の約70%は武家地であり、残りの30%に寺社地、町地と百姓…

不二考匠
1年前
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佐賀市歴史探訪(2023.2.26)

今日、ふと思い立って、佐賀に行くことにした(司馬遼太郎風) というわけで、福岡市・天神から高速バスで1時間半、佐賀県佐賀市にやってきたよ。 佐賀駅から佐賀城公園まで徒歩20分くらい、のんびりと歩く。昔、佐賀県印刷工業組合の理事長に、うっかり「やはり(地方の)佐賀は元気ないですねえ」なんて話したら、「いや、そう見えてみんな、田畑や海苔の養殖場なんかを昔から持っていて、のんびりとしたもんですよ」なんて返されてしまって、すっかり恐縮してしまった。失言から得られる言説というものも

「佐賀の大砲」の真実――幕末維新と佐賀藩

江戸湾を封鎖すれば、江戸は10日で干上がる――それが当時からの見立てであった。 ペリー提督…

みつやま
1年前
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高度経済成長のルーツは戦時体制?~「役に立った戦争」を読む~

一般に日本は太平洋戦争でほとんどすべてを失い、戦後に経済大国として復活したのは奇跡だと思…

みつやま
1年前
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光格天皇と民衆

『幕末の天皇』を著した藤田覚は、王政復古(1868)は3人の天皇により成しえたのではないかと…

みつやま
1年前
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栗林忠道中将と硫黄島の戦い

それは見捨てられた島だった。 硫黄島は東京から南へ約1000キロ、東京都北区ほどの面積しかな…

みつやま
1年前
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「小田原評定」と「敵国降伏」、そして意外な「KYキャラ」について

「小田原評定」の真の意味私は城めぐりが趣味の一つなもので、東京に住んでいたころはときどき…

みつやま
3年前

コンスタンチノ・ドラードという日本人

日本の「近代活版印刷の父」は本木昌造(1824‐1875)という人物である。長崎の通詞(通訳)の…

みつやま
1年前
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鎮懐石八幡宮の石~神功皇后伝説をひもとく~

今日は糸島市(福岡市の西隣)での仕事のついでに神功皇后伝説で知られる「鎮懐石八幡宮」に行ってきたよ。 神功皇后は日本武尊の息子である仲哀天皇の后ですが、特に九州北部には神功皇后にまつわる伝説が数多い。 ざっくり説明してしまうと、仲哀天皇と神功皇后は熊襲を討つために樫井宮(香椎宮=福岡市東区)に駐屯するのですが、そこで「熊襲を討つより海を渡って新羅を征服せよ」との神託を得ます。ところが仲哀天皇はそれを無視して熊襲征伐に出たため敗走、神罰が下って死去します。皇后は天皇の遺