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「小田原評定」と「敵国降伏」、そして意外な「KYキャラ」について

「小田原評定」の真の意味

私は城めぐりが趣味の一つなもので、東京に住んでいたころはときどき小田急の特急ロマンスカーに乗って小田原城に行っていました。城郭も当時を偲ばせるし天守閣も凛々しいですよね。

ところで小田原城といえば北条早雲の「火牛の計」と秀吉の城攻めにおける「小田原評定」ですよね(ですよねって…)。私はまあ子供のころから軍記物語が好きだったものですから、小田原というと、北条早雲が1000頭の牛の角に松明を灯して夜襲を行い、大軍と見せかけて小田原城を落とした「火牛の計」の逸話と、なんといっても秀吉の大軍に包囲されているのに諸将が合議ばかり重ねていたずらに時を浪費した「小田原評定」を連想するのです。

「火牛の計」に関しては小田原駅前に馬鹿でかい(高さ5・7メートル、日本最大級だそうです)北条早雲と「火牛」をモチーフにした銅像があるからいいのです。小田原市民の誇りですよね。

ところが「小田原評定」に関しては、天守閣内の展示スペースにはどこにも説明が見つからない。うーん、と思っていたら、ありました。場内の「小田原城歴史見聞館」。小田原評定が、私の記憶ではボードで説明されていました(今はシアターかもしれません)。
ところが、その説明では無駄な会議のことではなく、『本来は「小田原評定」は民主的な合議政治を行ったことがルーツである』ということが強調されているのです。
江戸時代にはもう「小田原評定」といえばだらだら協議を重ねるネガティブな意味でつかわれていたわけで、この説明が正しいのかは、ちょっと私にはわかりません。
ただ思ったのは、小田原市のみなさんは、小田原(と北条氏)を愛しているんだなあ。ということです。

私見で、やや乱暴ですが、軍記物語や故事ことわざが地元の方々にとって不名誉ならば、無視したり、反論したってまあ許されるのではないかと。

福岡・筥崎宮には「敵国降伏」の文字が

ここまで書いてきて思い出しました。私の地元・福岡の筥崎宮の社には「敵国降伏」との文字ががっちり書いているのです。ちょっとびっくりします。

おそらく歴史的には、元寇や朝鮮出兵などを経てきた福岡の人々の、真のメッセージだったと思うのですね。「敵国降伏」。父の世代の地元の人たちは、みんな知っています。
ところが、社の横には但し書きが置いてあって、なんでも『「敵国降伏」の真の意味は、武力によって敵を降伏させる(覇道)ではなく徳の力をもって導き、相手が自ら靡き降伏する(王道)という、我が国のあり方を説いている』のだそうです。

ひょっとしたら、こじつけかもしれません。太平洋戦争では「敵国降伏」を願うそのままの意味で使われていたわけですから。でも「小田原評定」と同じく、その但し書きは、アジアの方々の心をいくぶんかは納得させ、地元の人も落ち着かせ、穏便にことを済ますことができるのではないでしょうか。
というわけで、地元ひいき、アリです。

江藤新平はKYキャラか

ところがですね。オチなんですが、お隣の佐賀県佐賀市の佐賀城址に行くと、地元の英君・鍋島直正公の銅像はでっかく建っているのですが、佐賀の乱を起こした江藤新平については「KYキャラ」呼ばわりしているのです。確かに佐賀城を襲った叛乱者かもしれませんが、明治維新の地元の英傑にそれはないでしょう、と思うのでした。

――結論ですか?とくにないですけれども、われわれの知っている歴史と、郷土の人の歴史は異なっているし、異なっていていいのではないかということですかね。そして、そして、佐賀の人はちょっと自虐的なんじゃないかと思った次第です。

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