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高度経済成長のルーツは戦時体制?~「役に立った戦争」を読む~

一般に日本は太平洋戦争でほとんどすべてを失い、戦後に経済大国として復活したのは奇跡だと思われている。確かに日本は戦前の軍国主義・全体主義を否定し、平和主義・民主主義の「新生日本」として再スタートしたことで復活を遂げたかのようにみえる。
しかし戦前と戦後には連続性があると主張する歴史家がいる。再三紹介しているジョン・ダワーである。彼の論文「役に立った戦争」を整理すると、戦後日本の復活には、次のような要因があった。

①    戦前・戦時の組織の多くが温存された
追放パージもあったが限定的で、将校は別として、官界では数百人の旧内務省官僚が一時的に追放されただけで、大蔵省、日本銀行が温存されたのはもちろん、経済企画庁、通商産業省、通産省はむしろ戦時に強化された組織からの継続性がある。経団連、日経新聞社などの民間団体も同様である。

②    1930年代からの経済成長の継続性
大恐慌からいち早く立ち直った日本は真珠湾前夜には世界で最も急速な経済成長を遂げていた。軍需産業もそれに寄与し、「第二次産業革命」を成し遂げた。戦後は軍需から民需への切り替えも早く、野村證券、トヨタ、日産、東芝、電通なども戦時体制の中で強化された企業である。

③    戦時体制での工業・科学・工学の発展
戦艦大和などの造船技術をはじめ、カメラ、双眼鏡、腕時計、ミシンなどは軍需技術の継続あるいは転用である。戦後製造業の合言葉であった「QC」(品質管理)も軍閥政府による指針がルーツである。

④    財閥・銀行が健在だった
財閥による資本の集中、大銀行による潤沢な間接資金の調達も経済成長に寄与した。資本が集中しなかった部門でも、中小企業が革新的エネルギーを生み出していった。

⑤    戦時体制から日本型雇用システムが誕生した
労使関係は儒教および儒教を超えた家族的価値観が反映されており、戦時体制において根を張った。

⑥    戦前から農地改革が企図されていた
1941年に農業生産と出荷の促進を意図した「食糧管理制度」により地主が弱体化され、戦後の農地改革につながった。

⑦ 戦時の優秀な官僚が経済官僚として活躍
戦後日本経済の指針を担った「経済産業本部」である経済官僚も、戦時の官僚たちの転向だった。

――7つも挙げて混乱するかもしれないが、要は戦時における農業、工業、科学技術、官僚制度、財閥、銀行などの集中・統制が、戦後の経済発展を促したという理屈である。

本土を焦土にし何百万人の犠牲者を出した太平洋戦争を「役に立った戦争」と名付けるのは不穏である。しかし日本の復興のために一丸となった日本国民に、全体主義的な影が潜んでいたのは否定できないように私も思う。全体主義は、まったく民主主義とは相いれないけれども、かつてはもっとも効率のよい経済体制だったといえるかもしれない。しかし近年の日本経済においては、「社畜」とも嘲笑される自己否定の精神は、足かせに過ぎないといえるかもしれない。

参考文献
ジョン・W・ダワー『昭和』

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