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time~時間=命の世界~

先日、映画「time」を鑑賞。あまりの衝撃に書き残さずにはいられなかったことを残しておきたいと思います。

今日が最後の日なら、どう生きるのか」と。

もすべての人間は25歳で成長が止まる。
貨幣(お金)はなくなり、代わりに時間ですべての支払いをする世界
富裕層は潤沢に時間を持っているため、500歳にもなる人間がいる中
貧困層はその日を生きるために労働・盗みのなかでその日暮らしだ。
時間が無くなってしまえば、(誰であろうと)心臓が停止する。病気で死ぬことはない。自分の時間を消費しきるとそこで死ぬ。    (time)


time is moneyを真に実現させた世界(『time』の世界観)

 「時は金なり」ということわざがありますが、作中の世界では「金=時間」。右腕に、時をかける少女のような00:00:11:25という記号が現れ、自身の寿命を常に把握することができる・・・・

 貧しい人は、労働でも盗みでも行わなければ、確実に死ぬ世界。

 逆に、富浴槽の人々は収入があり、収入はそのまま時間になるため死ぬことがない。望めばいつまででも生きることができる。労働者から時間を搾取することで富裕層は何年でも生きることができる。

明日があるという幻想

 ぼくら日本人は、アルバイトや派遣社員などと雇用を探せばいくらでも仕事が見つかり、失業しても、例え障害を抱えていても、働けなくなっても、それらが「死」に直結することはないかもしれない。

 もし、命が為1日限りで、明日の生が補償されていなかったら、ぼくは何をするのだろうかと深く考えさせられた。

 すると、「当たり前の日常」が「二度とない日常」に変わる。明日になればもう何かを食べることも、誰かと話すことも、なにもできない。「明日も生きていける」という前提にどれほど依存して毎日生きてるんだろう。

 本当はそんな前提なんかない。明日「交通事故」に会うかもしれない。あした「大震災にあう」かもしれない。日常に転がっている「かもしれない」を無視することで不安なく生活してるだけだ。「あしたを迎えられる補償」なんて本当はないのに。

今の価値

 100年生きるとしたら人生長いと感じるのだろうか。人生100年時代とあらゆる人が謡う。老後の生活・貯金・介護。予め人生の時間が決まっているなんて設定にいつも疑問を感じる。100年も生きられると思うから、今の価値が下がる。

 思わず徒然草を読み返して

生命あるものをよく見ると、人間ほど長く生きるものはない。かげろうのように朝に生まれても優夕方には死ぬ運命にあったり、
蝉のように夏だけの命で春も秋も知らな生き物もあるではないか。    人間がたとえ一年間つくねんと過ごすだけでも、それはこの上なく長くて安楽な生と言えるではないか。
それでも寿命に満足せず名残惜しいと思うならば、たとえ千年を過ごしても、一夜の夢のようにはいかないない気持ちがするだろう。  『徒然草』

 「命」の「時間」の価値は、自分でコントロールできるのではないかと思う。「いつか死ぬ」からこそ、「今日」を幸せに感じることができる。気づけるチャンスなら、日常にたくさん転がっている。「明日」が当たり前でない気づきと共に。

 


                                                                  言葉が人を癒す  taiti







 


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