恐れの世界
2020年8月4日、今日は僕の39歳の誕生日。
僕は実は2008年から引き籠りで2009年からは生活保護を受けて生活しており、慢性的な鬱症状があり、アルコール依存症である。
でも去年から、訪問看護師さんとホームヘルパーさんと、週に2度、お外へ出ることが可能になってきた。
ものすごい変化だ。燃えるゴミだって、週に一度、夜明け頃か朝に起きて、捨てられる日が多くなってきた。
きっと天国にいる僕の母と父も、喜んでくれていることだろう。
僕は昨年10月に、11年半を共に生きてきた愛するパートナーであったうさぎを亡くした。
あと2ヶ月ちょっとで早くも一年が経とうとしている。
僕はまた、うさぎを飼う予定だ。
まだ、後悔の苦しみと悲しみが、癒えないうちに。
だれかが、いや、僕のなかで、僕自身が、だれよりも先に言う。
また、同じことを繰り返すのではないか?
十分に、僕は可愛がってやることができなかった。
世話も、ちゃんとできてはいなかった。
だから、彼は、本当に苦しみぬいて、死んで行った。
僕の父親の最期と、それはとてもよく似ていた。
母を四歳で亡くし、母の記憶がない僕は、父をだれよりも愛していた。
お父さんがすべてだったのに、僕のせいで、お父さんは絶望のなかに死んで行った。
僕が元気になれなかったから。
この鬱という精神疾患が僕からすべての喜びを奪い去っているのだと、かつては想えた。
でも、どうだろうか。僕は今まるで絶望の果てに立っているみたいだ。
絶望の絶壁に、独りで立っている。
そして、か細い声で言うんだ。
おい、どうなってるねん。絶望が、終わっとんど。
あれ?あれ?あれ?あれ?此処から先は何?闇?海?産み?神?波?其れ共、黄泉?
ぱっはっは。ぱっはっは。ぱっはっは。ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽい。
僕ははて、何を表現しようとしているのかしらん。
なんだか昨夜、奇妙で異次元を真に表しているかのような夢を見たが、ちょっと破廉恥な内容で、僕の貞操観念が、表現を許さない。
でも想ったんだ。それは僕の恐れていることだった。
カレイドスコープ(Kaleidoscope)状に、僕の秘密の恐れが、多面体の幾何学模様の集合的鏡像を作り上げていた。
だが、観る人のだれもが其処に気づくことはないはずだと僕は想った。
そうだ。鏡だ。
僕の鏡だけが、僕の秘密を観るだろう。
僕のMirorが、僕を責めるだろう。
君が本当に愛する存在は、だれなんだ。
僕が本当に愛する存在は、だれなんだ。
一匹の、アオドウガネが、僕に請う。
なぜ、わたしを、自由にさせてくれないのですか?
僕は、アオドに言う。
君がいなくなると、すごく寂しい。
アオドが、僕に訴える。
わたしを愛しているから、わたしを自由にさせないのですか。
そして言うんだ。
アオド(彼)は、僕に、涙を流し、
「あなたにとってわたしは、慰みに過ぎない。」
そう言って、死んでしまう。
僕の、恐れの世界のなかで。
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