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私の理解者は「私」 黒歴史落書き日記 vol.10

向かうべき道はどこだろうか。
私の将来、生き方、展望、軸。
なぜそれが見当たらないのか。

満足のいく道があって、そこをただ進む。
なぜ、そんな人生が送れていないのか。

では、その道は自分で作り出すべきか。
むしろ、なぜ作り出せていないのか、自分は。
その労力を避ける、軟弱な精神が原因か。
それとも、完璧な道を求める愚かな主義こそを排除すべきか。

では、その精神や主義は、排除されるべきものか。
答えは否だ。だって、それこそが自分であるから。

だとしたら。
理想はあるけれども
そのために疲れたくないというクズの場合。
私はどう生きることで満足できるか。

ここで、気づく。
一つ欠けていることがある。

「そんな自分が通ってきた道は、どんな道だったか?」
そんな惰弱な自分、だが愛すべき自分。
私はどう生きてきただろうか。
これが欠けている。
本能的に答えが、そこにある気がする。

だって、少なからず
私を理解する上で最も重要な「私」が通ってきた道だから。
私の足跡、轍を辿ってみてはどうだろう。

先人に習うより、自分に習う。
自分の一番の理解者である、
自分に問いを投げかけてみてはどうだろう。

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