おわり

冷凍睡眠のあと、だれが起こしてくれるの?

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冷凍睡眠のあと、だれが起こしてくれるの?

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あなたの好きな煙草じゃなくて あなたが好き

好きな少女が吸っていたのは 確か赤と白のパッケージの煙草で わたしは煙草を吸う友人に これって何て煙草なの?と尋ねて それが赤マルなんだと知った わたしは呼吸器系が強くないし いっしょにいることができないだろうからと 煙草を吸う男の人を好きになれそうになかった だから一昨年までは1本も口にしたことがなかった おじいちゃんとおばあちゃんも わたしが喘息持ちだったからと煙草をやめた 避けてきたから煙の匂いがすごく苦手だったし からだに良くない良くないと言われてきたので 嫌悪感

    • 大好き愛してるが白けたのはきっと絶望のせい。

      20万を正社員でなくてつくることは わたしには難しいみたい 体が強くない体力がない だからバイトを詰めすぎても体調を崩すし 病院に毎月通っていて毎日薬を飲んでいる 気を使う体はお金もかかる 代わりにもらえるものと言えば思いやりくらい しんどい人のしんどいが どれくらいかは分からなくても しんどいことを分かることはできるから 出来ないことがあるって、わたしもそう思うよ 自分の力で生きることが出来ないわたしに 何年先とかの未来はなくなった 会社員を辞めたとき 社会にはもう戻

      • 今日もわがまま

        聞き分けのいいこになったら あのひとにとって都合のいいこになれたら ごめんね、ぱぱ まま 今日もだれにとってのいいひとにもなれなかったよ 思いやりをもたせてくれたのに、わたしやっぱり 勝手に生きたいなって思ってしまうの わたしに振り回される世界じゃなきゃつまらないよ ねえきっとわたし もうお母さんだったはずなんだけど おかしいな 未来を決める年齢をどんどん追い抜いて もっと大人なはずのわたしを どんどん置いてけぼりにしていくの、もうやめてよ わたし 大人になれなかった

        • ださいモノマネ

          きみがカメラをやっていたから わたしは写るを安易にはじめて 結果的に、写るにどっぷりはまってしまった きみの カメラに写したい にはなれないだろうけど 私をみつけてくれた写すひとや写るひとたちが たくさんの素敵な表現に出会わせてくれた わたしの頭の中をずるずると引き出してくれた でもきっといつまでもきみの 撮りたい にはなれないし、もうなろうとしないと思う ⁡ きみは写るのをやめてと言うけれど 私はもう絵を描くのと同じように 歌うのと同じように ことばを並べるのと同じように

        あなたの好きな煙草じゃなくて あなたが好き

          つづきはまた今度

          ありきたりな愛 かなりヘビーなベイベー どこもかしこも かしましいや きみのことばは魔法なんかじゃない 法律なんだよ わたしを独裁して 分かってる分かってる わかってないのはわたしだけ ああ生きたいな この際 期待してないけど 足りない ここももう安全じゃないや きみのことばは魔法なんかじゃない 安心させてよ かなりハードなお願い

          つづきはまた今度

          満たされない つぎの味は?って

          わたしは終わりたい。 この、やけに わたしのことを追い回す もやもやの正体とお別れがしたい。 終わりたいという願望は、しにたいだとかそういうのじゃない。 嫌いと好きと、その間に興味が無いがあるみたいに 関心がないことがいちばん健全なんだと思う。 わたしは死どころかあの世のことばかり考えている。 俗世でのあれこれなんかは、自分の頭を悩ませるばかりで、わたしの決して多くない考える余地を奪ってしまうから、だんだんと気持ちを不健康にさせる。 この世には余白が足りない気がしている。

          満たされない つぎの味は?って

          何度しんでもいいから

          わたしは髪は明るいし今なんかはピアスもいくつか開いているけれど、ひとに怖がられた試しがない。 あんまりにもたれ目で、圧がないからかもしれない。 道や電車を尋ねられるし、席がいっぱいでなくても隣にお年寄りも座る。それで知らないひとといつのまにか話してしまうところがある。自分の存在を脅かすかもしれない、という気配が少しもしないんだろう。 だれかとの競争心をほとんどなくし、まえの自分と比較するのみ。ひとと比較することで、きっと成長させてくれることもあるんだろうけれど。ひとと比較

          何度しんでもいいから

          まさに今すれ違って行くいま

          なんでなんでって、本当になんでも理由を知りたがる子供だった。周りの大人たちに用意できるこたえのものならよかった。親戚に教師や博士がいるわけでもない。特別な回答がある訳じゃないけれど、親しい人から聞いた言葉は私にとっての答えにもなった。分からないことはなんでも分かりたいし、分かることが出来るようになる、そう思えた。簡単に答えをくれる大人たちが側にいたから、簡単に賢くなれた気がした。 なんでも不思議に思うわたしの質問に、 お母さんはある日「なんでだろうね」と、わたしに"なんで"

          まさに今すれ違って行くいま

          終わらせたいわけじゃなかった

          わたし自身は特になんてことない宗教観の持ち主だ。神道と仏教とをつまみ食いする、どこにでもいる日本人 母はよく、なんちゃらの神様、みたいに 場所やものの神様をたくさん私に言った "〜の神様ごめんなさい、〜の神様ありがとう、 って心の中で言うんよ?" よく使う場面としては、ごはんを残してしまったとき、服を処分するとき。 そう教わった私は、無意識にいまでもそれをやっているし、心の中で言う分にはひとに驚かれることもない ゆるゆるの宗教観で生きてきている でも私にも信仰に近いもの

          終わらせたいわけじゃなかった