見出し画像

終わらせたいわけじゃなかった

わたし自身は特になんてことない宗教観の持ち主だ。神道と仏教とをつまみ食いする、どこにでもいる日本人

母はよく、なんちゃらの神様、みたいに
場所やものの神様をたくさん私に言った
"〜の神様ごめんなさい、〜の神様ありがとう、
って心の中で言うんよ?"
よく使う場面としては、ごはんを残してしまったとき、服を処分するとき。

そう教わった私は、無意識にいまでもそれをやっているし、心の中で言う分にはひとに驚かれることもない
ゆるゆるの宗教観で生きてきている

でも私にも信仰に近いものがあって、
それは運命だったり終末理論だったりする

世界が滅びる予言、平気で通り過ぎるその日に、世界を初めて嘘つきだと思った。恐怖の大王には勿論会いたくなかったけれど。

1999年のこと。もちろん0と1の世界線の騒ぎだって、ほとんど何事もなく未来の2000を示した。

2001年 アメリカ同時多発テロ、大きな建物がいとも容易く崩れていくのをブラウン管越しにみた。

この時代のなか人格形成されてゆくわたしは
不安感や揺らぎ、悲壮感を感じ取りやすくなった。

生まれ落ちる前に起きた出来事、
生まれてからメディアに見てきた出来事、
苦しさでいっぱいじゃん

宗教や思想の対立で起きる戦争、
救われて幸せになるためにある宗教じゃなかったっけ

ふとしたときに想像する

高速道路にいる。
いま地震が起きたらこの地面は、豆腐みたいにぐずぐずに割れてしまうんだろうなあ
水たまりの中を歩く。
いま電柱が倒れてきたら感電してあの世行きかあ

恋愛だって例外じゃない。
考えるのはいつも終わるときのことで
いつも終わりから始まりの方角をみている

終わりに近づくひとたちが羨ましい
契約を交わすひとたちが憎らしい

好き、のことばに、いまは好きなんだねを呑み込む、それなのに
私のずっとは、いのちが終わるまでのずっとだ。かなり重い。

タロットカードにおける THE WORLD
正位置だと、完成を指すらしい。
そして終わる。
新しい終わりに向かってはじまる。
私の思う終点は、この 世界 のカードにたぶん近い

別にいつも、終わりたいわけじゃなかった
わたしはいつも、入れ替わると思う

必要なひとが目の前にやって来てくれる
必要なくなればいなくなる
次に必要なひとがやって来る、それを繰り返す。
最後に必要なひとが、運命のひとだと思う
お互いさまに。

ものがなくなるとき、壊れるときも同じように思う。悔やまれることはきっとない。

いつもいつも心の中でお祈りする。
いつか、ちゃんと終われますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?