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慣習の中に生きるという話


ある一頭のゾウがいる。
このゾウは大人で自由に草原を歩き回っている。
ある時事件が起きた。人間よって強制的に檻の中に入れられ、自由を失ったのだ。

片足にはチェーンがつけられ、少し歩き回れるほどの薄暗い部屋の中にいる。最初はかなり抵抗した。自由を求め、元の自然に帰りたい一心で。片足がもげてもいいと思いながら抵抗した。

徐々に痛みが増し、抵抗は減っていった。
ある時檻から出られた。
違う部屋に連れて行かれると人間に調教された動物たちがたくさんいた。そうここはサーカス団のようだ。

このゾウにもその日から調教が始まり、失敗すれば痛みが生じた。苦痛の日々。だが抵抗すれば叩かれる。エサももらえる。

2年が経ち、人前で芸ができるほどになった。
抵抗もほぼなくなり、慣れた様子だった。

サーカス団内でそのゾウは子ゾウを生んだ。
そしてその子ゾウもまた子ゾウ産み、サーカス団は何十年も何百年も活動した。

生まれた頃から親ゾウを見て育ち、当たり前のように檻の中で片足が繋がれて育った子ゾウ。

芸をして稼ぎ、その対価に飯をもらう。

最初の子ゾウからすでに“抵抗”という文字は存在せず、それが当たり前になっているのだ。
もちろん草原を自由に渡り歩くことも知らずに。ある意味敵から襲われることもなくエサが尽きることもない環境で子ゾウは「幸せ」に暮らしているのだ。


この話はゾウの話かどうか、考えてみてほしい。
自由にこの日本で暮らしていると思っている私たち。実は社会という檻の中で生まれた時から、何世代も前から不自由なく暮らせる程度に絶対的権力に搾取されているのかもしれない。

ある意味、檻の外を知らないことで敵を知らない幸せな生活を送れているのかも知れない。

最初抵抗していた祖先たちはもういない。
巨大なサーカス団を知っているようで知らない。

今の環境で生まれ育ったことで、その環境には何の疑問も生まれないのだ。
その疑問が生まれた時、あなたは新たな自由に出会えるかもしれない。

信じるか信じないかはあなた次第。


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