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人身御供(ひとみごくう)って風習が日本にあったのですか?
草津市下笠(しもがさ)に老杉(おいすぎ)神社があります。この神社に古くから伝わる頭屋(とうや)行事がありまして、その主要部分が絵で示されています。「解説」によりますと、⑤は「御供」です。御供(ごくう)とは神様へのお供えです。絵にあるように、駕籠に人間1人とヤギ3頭が載せられています。日本には人間とヤギを神様に供えるという風習があったのでしょうか。どなたかご存じの方がいらっしゃたらご教示くださいま
もっとみる「見えないホームレス」―家族から暴力
2024年7月20日、朝日新聞で、表記の見出し(一部略)の記事を読んだ。「家族からの暴力などで、安心して暮らせる住まいがない、広義の『ホームレス』状態の若者が増えている」と。
こういう若者のなかには、孤独・孤立・無援で、生きるすべを見つけられず、ヤケになって非行社会に飛び込んだり、苦し紛れに盗みを働いたり、絶望して自死を選んだり、少女ならば売春に足を踏み入れる者が出てくる可能性がある。
広義
草津・下笠城にかかわる情報
ChatGPTを通じて下笠城に関わる次の情報を得ました。
この城についての詳細な記録は少ないですが、一般的な小規模な平城の特徴を踏まえて説明します。
下笠城の概要
位置: 滋賀県草津市下笠町
築城主: 不明(複数の説があり、明確な築城主は確認されていません)
使用期間: 戦国時代
構造: 小規模な平城
構造の特徴
本丸:
中心部分にあたる本丸が設けられており、城主やその家族の居住
「大久保相模守忠隣公之𦾔趾」碑秘録
おおくぼ ただちか
大久保 忠隣(おおくぼ ただちか)
ブログ執筆の動機
体力維持のために毎日午後、1時間ほどウォーキングしています。そのコース上の「上笠一丁目27周辺」(下記注1参照)に「大久保相模之守忠隣公𦾔趾」の石碑があります。ここを通るごとに、碑上の人物はいったい誰なのか、という疑問を持ちましたが、いつも疑問止まりで終わっていました。あるときその疑問に深入りする
草津歴史の道ウォーキング
つぎの名所旧跡をネットで検索し、ウォーキングで汗を流そう。日頃のストレス解消のために。
起点の芦浦観音寺へのバス時刻表は
草津駅西口 ⇒ 芦浦観音寺 バス時刻表<https://www.navitime.co.jp/bus/diagram/timelist?departure=00193804&arrival=00616066&line=00093369&date=2024-06-01>
中世城跡の宝庫・草津市(滋賀県)
滋賀県草津市は中世城址の宝庫です。
寺内孝は独立研究者です。研究対象は二件あります。第一は、英国19世紀の国民的作家Charles Dickensの研究を中心に英国19世紀の文学・社会の研究です。第二は、キリスト教研究です。英国はキリスト教を国教とする国だからです。
毎日、体力維持のウォーキングをしています。そのコースに下笠(シモガサ)いちご園があり、毎年ここでイチゴを買っています。ある
寺内孝の経歴と業績
経 歴 大阪府立北野高等学校定時制の課程卒業 / 神戸大学教育学部英語科卒業 / 大阪教育大学大学院修士課程(英語教育英語第二講座)修了 / 高校教員のかたわら研究に従事。定年退職後無職
業績(ホームページhttps://tera-u-chi.sakura.ne.jpも参照してください)
論文等
1.Charles Dickensの小説は大抵が扉のつぎに‘Characters’(登場人物表)
自己紹介、そして定時制の会
自己紹介を兼ねて、われら定時制の会発足の経緯を紹介します。
寺内孝は太平洋戦争(1941-1945)の勃発前に生まれました。先祖は醍醐寺三宝院の寺侍でした。祖父は明治から大正期にかけて国鉄の車掌をしていました。そういう関係で、九州に行った時には当地で大量に炭を仕入れ、京都で販売して一定の財をなしました。大正時代の初期に、京都で5階建てのビルを建設する計画がありましたが、1,2の理由で、話が進