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東京のコロナ感染者数が「1日で1000人」になりそうな件

▼そろそろ尾身茂氏ーー日本国政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会会長ーーが、東京都知事の小池百合子氏と会うのではないか、と思っていたら、小池氏がきょう「年末年始コロナ特別警報」を出した。東京新聞の記事から。

東京都の小池知事「年末年始コロナ特別警報」発出…感染者は過去最多を大幅更新、医療ひっ迫で〉2020年12月17日 20時18分

〈新型コロナウイルスの新規感染者が過去最多の822人となるなど東京都内で感染拡大に歯止めがかからない状況を受け、小池百合子知事は17日、臨時の記者会見を開き、「年末年始コロナ特別警報を発出いたします」と宣言した。(デジタル編集部・三輪喜人)〉

▼見出しに使われている「ひっ迫」という読んでも意味の取りにくい日本語は、本来は「逼迫」と書くが、なんらかの理由で意味を取りにくくしている。

▼感染増加は、このペースだと、東京の1日あたりの感染者数が1000人を超えるのは時間の問題だ。

コロナ禍はとても科学的に進み、そして科学的に退いていくだろう。

▼これまでの経験から、「ステイホーム」一辺倒ではかえって健康を損ねることがわかってきたし、とにかく、ふだん会わない人との「飲食」が危険であることがわかってきた。マスクをしていると、人に感染させる可能性をかなり低くできることもわかってきた。

これらのことを意識して、年末年始の帰省は、やはり慎重にせざるをえない。

▼1年に1回のお正月、なのだが、言うまでもなく、365日、どの日も1年に1回しかない。筆者は特段、正月にこだわりがないので、たとえば「来年のわが家の正月は旧正月! いったん旧暦で考える!」と方針転換するのがいいかもしれない、と思うが、感覚がずれているのかもしれない。読者の皆さんはどうだろうか。

▼最近、「働く」ということの意味について、反省した件がある。

「8割おじさん」として広く知られるようになった西浦博氏が、「なにも対策をとらなければ、40万人が死ぬ」という記者会見をしたことを、筆者は肯定的に紹介したことがある。必要な情報を広く共有するのは必要だ、と思ったからだが、これは間違いだったと今、感じている。

▼押谷仁氏が、西浦氏らとともに導き出した「クラスター」対策にしぼる日本独自の作戦、そして「3密」や「接触8割減」などの効果は、とても大きかった。西浦氏がコロナ対策の功労者であることは間違いない。

しかし、「40万人が死ぬ」という話を、客観的には公私の境がつかない状況で会見し、「リスク・インフォームド・ディシジョン」をつきつけたのは、間違いだったと、今にして考える。

▼この西浦氏の行動に、押谷仁氏は反対していたことを、数カ月前の「文藝春秋」のルポで知った。数字が大きすぎるし、政治家が発表すべきことだ、というのが、反対の理由である。筆者も、押谷氏と同じ意見だ。

▼11月22日の日曜日、東名高速で車を運転している最中に、FⅯのJ-WAVEにチャンネルを合わせたら、「Mercedes-Benz THE EXPERIENCE」という番組が流れていた。スガシカオ氏がナビゲーターで、ゲストにスガシカオ氏の熱烈なファンだという西浦氏が出演していた。

この番組は、〈時代を越えて、国境を越えて、ナビゲーターのスガ シカオが旅好き・音楽好きのゲストと共に音楽談義を繰り広げる、空想型ドライブプログラム〉なのだが、 11月22日といえば、コロナ第3波がすでに到来している時期であり、ラジオを聴きながら「これはダメだ」と感じた。「あんな重大な記者会見をした人物が、こんな重要な時期に、なにを呑気に公共の電波で音楽談義をしているのか」と残念に思った。

▼西浦氏が「なにも対策をとらなければ、40万人が死ぬ」と会見したのは2020年4月15日だった。

安倍晋三総理が緊急事態宣言を発表したのは2020年4月7日である。

▼緊急事態宣言の最中に、本来は総理が発表するべき重要な情報を、おそらくは政治家が聞く耳を持たなかったのだろう、厚労省も乗り気ではなかったのだろう、公的な立場ではないという留保をつけたうえで、西浦氏は会見した。

しかし、その報道を知った人からすれば、西浦氏は決して私人ではない。ほぼ公人である。「8割おじさん」こと西浦氏の存在を知っている人の大半は、西浦氏に公人としてのイメージを抱いている。

▼あの時のコロナ禍が、今もまだ続いており、緊急事態宣言の時よりもはるかに大きな感染の波に日本列島が浸(おか)されている最中に、なぜFⅯラジオに出演して、楽しそうに音楽談義をして、自分の近刊本の宣伝ができるのか。筆者は残念に思った。

彼は私人である。公人ではない。だから自由に動けるし、動いて構わないのだが、これほど自由に動くのなら、「40万人が死ぬ」会見は絶対にすべきではなかった。政治の領分に一専門家が踏み込んだ、明らかな暴走である。

▼あのラジオを聴けば、「8割おじさんがこんなに寛(くつろ)いでいるのなら、大丈夫じゃないか。もしかして、コロナ禍は過去のことなんじゃないか」と、リスナーの緊張感が弛緩(しかん)してしまう可能性がある。

もちろん、あの番組を聴いていた人の数は多くはないだろう。影響力もそれほどないかもしれない。

しかし、リスナーの数の大小や、影響力の大小と、ここで取り上げている問題とは、関係がない。

筆者が気になったのは、国の一大事に、ある国策に携わり、必死に働いた人間が、まだその国策が遂行中であり、かつ、不幸なことにその国策が極めて不十分であるにもかかわらず、そしてそのことを西浦氏は身をもって知っているにもかかわらず、なぜあんな不用意な言動をとってしまったのか、その道義の問題である。

やはり、道理を尽くして、相手の「文法」を理解して、「何もしなければ40万人が死ぬ」という情報を、総理でなくても、誰か政府の要職に就く人間が発信するように、粘って粘って交渉を続けるべきだったと思う。

▼「リスク・インフォームド・ディシジョン」の重要性は、西浦氏よりも、押谷氏のほうが、はるかに深く知っているだろう。その押谷氏は、自分の言うことをきかず会見した西浦氏を、それでも守り続けた。世界の危機に際して、ともに戦う戦友だからだろう。

押谷氏がこの1年近く背負ってきた心労を考えると、胸が痛む。

このメモを書いていて、押谷氏がたしかNHKスペシャルで、何度も自粛を繰り返し、経済や社会がボロボロになり、若者が未来に希望を持てなくなるのが最悪のパターンだ、という意味のことを、珍しく語気を強めて語っていたシーンを思い出した。

日本社会は今、そのパターンにはまりつつある。

しかし、まだできることは多い。

(2020年12月17日)


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