子宮全摘手術を経て「人は人 自分は自分」という思考が持てたことからいえること
幼少期から人並みのことができない人生を歩んでしまったことによって、家族以外の者との人間構築をすべく、
家庭内で話せる機会を失い、自分の気持ちを受け入れたく理解して欲しいと言わんばかりの会話をして疎外されたことを受け、相手側の嗜好に合わせて行動したことがあった。
根底には、
「仲間外れ」にされたことを恐れてやったことであり、特に #雇い止め された前職で私だけ「 #非正規社員 」であったことを受け、扱いは勿論、理由をつけて露骨に断られたことから特有のデメリットを理解されていなかった為に、同形態の者でしか話す機会がないことを間接的に教えてくれた。
普段は家族以外の者と面会することを制限された影響で、一日の大半を会社で過ごしている為に、
その分を雇用形態と無関係に分け隔てなく接することを心がけたどころか、 #結婚 • #出産 、及び昇進に係るライブイベントの話題となるとデリケートに感じる部分があり、合わせるのに無理があった。
来月で50歳を迎える私としては、めでたいライブイベントのフルコースを経験しないまま歳をとってしまい、卑下してしまうことは勿論、
#雇い止め による #失業 、親友の自死に関連する友人らの別れ、子宮全摘手術をした影響で出産不能を経てそのまま #毒親 #介護 に至り、このままこの世を去るのではないかと感じる日々が続く。
そんな感情を持ったまま、めでたいライブイベント未経験の話題を控えて欲しいという断りをしたら「大人気ない」と見做されがちだと感じるのは勿論、
それなりに経験した者でもある部分現在の私同様に制限されていることがあるので、完全にいかなくても話が合うのではないかと思う。
「物」でいえば、出産に必要な「子宮」は女性の象徴的なものであり、人生の「安定期」である30代で結婚して出産する為に確保していたが、
タイミング悪く、この年代にやっと仕事に軌道に乗って多忙だった為にチャンスを逃してしまい、四人目の元交際相手に待ち伏せられてしまった程だった。
挙句、「#高齢出産 」のリスクが高まった年齢になってしまい、 #ハラスメント 被害と仕事のストレスの影響で多発性 #子宮筋腫 患い、悪化した影響により、大量の出血に至る程
「命」を失うリスクを受け、半生の間にやることを全くしていなかったことがあったので、全摘手術を決断した次第である。
子宮を全摘すれば、子供が授かれない現実を受け、
「子供」の話をされても話が合わないと割り切ったことで、それぞれの人生を歩んでいるので、求めている話題の「共有」を求めた人脈作りをしなくなった。
そんなことをするのは
学生時代という若い時の話であり、「 #ぼっち 」を恐れた「所属欲求」で安心させようという精神的苦痛を与えるようなものだ。
子宮を失ったことを機に、
それによる束縛=世相によって相手を尊重していなかったことから、表題の理屈になれなかったことを悔い、そんな「例外」の人生もありだと回顧している。
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只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。