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「黒影紳士」season3-2幕〜その彼方へ向かえよ〜 🎩第三章 閉ざされし向かえよ

――第三章 閉ざされしものに向かえよ――

「とは言え、先輩?」
 サダノブが、何か妙案が浮かんだらしい黒影に話し掛ける。
「ん?……何だ?」
 黒影はサダノブに聞く。
「折角張り切っているところを釘差して悪いんですけど、変態薬指野郎は如何するんですか?」
 と、現在進行形の事件を心配する。
「……あ」
 黒影は思わず間抜けな声を出した。
「ほら、やっぱり考えてなかった」
 黒影は何が何でも両方解決せねばならない事態に気付いてしまう。
「……サダノブ、残業代は何が良い?」
 黒影は苦笑いをして聞いた。サダノブは溜め息を吐いて、
「休暇ですかねー。暫く穂さんとツーリングも行けて無かったし」
 と、答える。
「そんなもので良いのか?今回は激務だぞ」
 そう言って黒影は笑った。
「休暇プラス成功報酬で、其のデートにお小遣い10万付けてやる」
 と、黒影は付け足した。
「流石に其の成功報酬10万は怖過ぎるんですけど。一体何をすれば良いんですか?」
 サダノブは予想外の計らいに、何か裏があるのではないかと勘繰って先に聞く。
「寝ずの護衛だ。時夢来を夢に持って行く。現代では無く夢ならば、確実にあのギャラリーの僕の知らない過去を時夢来は見せるだろう。……だが、きっと僕は思い出したくないから記憶が無い。……其の儘ではまた多分発作を起こす。サダノブは、僕が発作を起こした時の記憶を読んで欲しい。そして夜明け迄に僕はまた起きて、予知の絵画を見に行く。意地でも予知の絵画を見せるんだ。サダノブが見たところできっと縮尺までは分からない。起きたら其の儘現場入りする」
 と、黒影は無茶苦茶なプランを言う。
「何を言ってるんですか!今日倒れて影絵まで見て現場入りしたんですよ。無茶し過ぎですよ」
 サダノブは思わず席を立ち、珍しく黒影に反対した。心配しているのだから無理も無い事は黒影にも分かっている。
「じゃあ、僕は今日……此の時点を持って探偵社を辞める!僕は僕の人生を選びたいだけだ。どうせ止めても独りで行く。後釜はサダノブ、お前が社を纏めれば良い。去るもの後を濁さずだな……じゃ……」
 黒影は立ち上がると白雪の部屋に立ち寄り、時夢来本を借りるとリビングを出ようとする。
「ちょ、ちょっと、どんだけ勝手なんですかっ!そんなの絶対許しませんからねっ!」
 サダノブは黒影の去ろうとする背後から腕を引っ張り止めた。
「許さない?誰をだ。僕は元から許しなど乞うてはいない。邪魔するならお前でも僕は許さない。其の手を離さないなら、今直ぐ僕は自分の腕を帽子に隠し持っているメスで切り落としてでも行く。……そうだ、今回の犯人はお前と同じ人体パーツマニアだったな。どうだ、過去の自分と対峙するのも一興だな。……約束通り腕をやろう。もう片腕は時夢来を使ってからだ。此れで文句ないな」
 黒影は真っ黒な影を部屋一面に伸ばし、どす黒く強い殺気で、何時でも攻撃を仕掛けられるだけの臨戦体制に入って言うのだ。……どうも冗談で言っている訳ではないらしい。
「……あんなのと一緒にしないで下さいよ。じゃあ、先輩の腕を切るんじゃなくて、俺の腕を切れば良いじゃないか!冥土の土産なんて要らないんすよっ!確かに先輩なら自分の腕を切るだろう。でも、俺の腕を切って逃げた方が、此れから向かうならばベストな選択だ。でも、そうしないのは……結局、優し過ぎるからで……。言いましたよね?優し過ぎても無理をする羽目になる。白雪さんにだって言われたんですよね?遠慮するから周りを泣かせるって。何時になったら、素直に助けろって言うんですかっ!」
 と、サダノブは怒りつつも殺気は出さず、黒影にあろう事か説教する。
「……あの人に、言えるようになったらだ」
 黒影はそう言うと、影を納め其れ以上は何も言わず、コートのポケットから恐らく睡眠薬の錠剤を出して口に放り込むと階段を上がり、さっさと夢を見に行く様だ。
「どんだけ、我儘なんだか……。本気の我儘恐るべし……」
 サダノブはそう言うと大きい溜め息を一つ吐き、白雪の部屋をノックし、
「すみませーん」
 と、声を掛けた。白雪がドアを開けると、サダノブがげんなりした顔で立っている。
「如何したの?話し合い終わったの?」
 白雪は聞いた。
「ええ、話は終わりました。本気の我儘で死ぬかと思いましたよー。……で、先輩に先を越されたので、睡眠薬一錠貰えませんか」
 と、耳の垂れた仔犬の様に言う。
「ふーん。でも、我儘を言うのは気を許しているからじゃない?本当は他の人に渡しちゃ駄目なのよ。用法用量は守らないと。今日は特別ね」
 と、一粒だけ掌に乗せてくれた。
「すみません。助かります」
 サダノブがしょんぼり言う。
「ほら、黒影みたいな飲み方しないで、お水も」
 白雪はキッチンへ急ぐと、ミネラルウォーターをコップに入れて慌てて渡してくれる。
「お礼を言うのはこっちの方だわ。……我儘な人だけど、あの人を助けてあげて」
 そう言って、白雪はサダノブに優しく微笑む。
 ……ほら、また心配掛けて。全く……困った先輩だ。
「じゃあ、早く寝ないと。……お休みなさい」
 サダノブがそう言うと白雪は、
「行ってらっしゃーい」
 と、軽く手を振った。
 ――――――――――――――

 黒影は夢を見てギャラリーに行くと、回っている火を一瞥する。
 ……もう、子供じゃないんだ。何も怖れはしない……。
 そう思い乍ら此の光景を……懐かしい一瞬を……目に焼け付けた。
 例え悲しい記憶でも、何時か乗り越える日の為にある。
 黒影は真っ黒なコートをバサりと翻し、炎を全身に巻き込む。帽子を其の炎を一箇所に集めると、庭に出て回転させる様に遠くへ投げた。帽子はブーメランの様に、火を天空に飛ばし切り帰って来る。
 火の無くなった帽子を黒影は被り、時夢来を用意した。
「今度こそ……真実を……」
 黒影は懐中時計を本に嵌め込む。ジリジリと小さい音で炙り出されて行く過去。
 サダノブが言っていた、護身用のナイフの事を黒影は知っていた。父の黒田 茂(くろだ しげる)が何時も持ち歩いていた物だ。今思えば、贋作の一大取引の流通を作っていたのだ。保身を考えるのも当たり前だったかも知れない。表沙汰に黒影にも知られぬ様にしていたのだから、用心棒も付けられなかっただろう。
「……此れは……」
 時夢来が出した真実は黒影にとって、悲しくも良い知らせだった筈なのに……何故かまた酷い汗を掻き始めた。何故だ?何故此れで発作が起きる?自由が利かなくなって行く体を支えて、黒影は必死で考える。
 ……全ての記憶が戻れば……。今更、こんな所で立ち止まりたくはない。目の前に、後少しで……謎が解けそうなのに……。
 黒影は大理石で出来たギャラリーの床を思いっきり殴り付けた。拳から血が出たが関係ない。意識を保てれば其れで良いのだ。
「父さんが、美代子さんを刺したんだ。そして僕は冷酷な言葉を吐き、其の儘立ち去った筈。なのに、父さんのナイフを持っていたと言う事は、美代子さんの胸に刺さったナイフを抜いたんだ。何故だ……」
 意識がまた飛びそうになり、再度時夢来を見乍ら床を殴り付け様とした時だった。
 床を突いた筈の拳が温かい……。
「……行かないとは一言も言ってませんよ。……後は引き受けます」
 其の声のする方を見上げると、サダノブが何時もの様に微笑んでいた。少しだけ悲しそうなのは、きっと黒影がまた無理をしていたから。
「すまない。……頼んだ」
 そう黒影は言ってサダノブの肩を掴もうとしたが、安心したのか意識が薄れて其の儘倒れてしまった。
「本当に……無茶ばかりするんだから」
 サダノブは黒影のコートを上に掛け直し、帽子を取ると横に置いた。
「さて……残業、フル活動しますかっ!」
 黒影が倒れた事で意識が浅いだろうと、サダノブは頭の上に手を翳し、出来るだけ近くで読み取ろうと集中して目を閉じた。到着前に黒影が時夢来を見乍ら言っていた言葉を思い出す。人間関係が分からないので、意外と大事な事だ。
「えっと……先輩のお父さんが美代子さんを刺した辺りだな……」
 記憶の配列は悪くない。……途切れているだけだ。時夢来は正しい時に戻れば次を嵌め直せば出してくれる。……要するに、記憶の埋め込み作業をすれば良い。時夢来がある分、幾分か楽な作業になりそうだ。問題は、黒影の心が保つかどうか……其れだけは慎重にならざるを得ない。

 誰かが話している……。
 あれは……若いけど、もしかして風柳さん?
「突っ立てないで早く縄を何とかしなさいっ!」
 此の女が美代子さんか……。
「無理だ」
「何を言ってるんだいっ!今がチャンスなんだよ。折角此の家に潜り込んだのに。今、茂さんとあの憎い勲を殺せば火事に乗じて遺産が入るんだよ!折角あんたを警官にしたんだから、母さんをがっかりさせないでおくれ。此れで、堂々と長男だと世間体を気にしなくても、あんたは自由に生きられるんだよ。分かるね?」
 と、美代子が若き日の風柳に言う。
「御免な、……巻き込んで。早く、逃げろっ!良いなっ!」
 風柳さんが、先輩を先ず逃したんだ。
「縄は外さない。切ったら貴方は必ず勲を殺すから」
 ……勲。先輩の本名か。
 逃げ乍ら此処迄は聞いていたらしい。此れが一つ目の記憶……。
 サダノブは黒影の脳に此の記憶を戻す。発作は続いているが、悪化はしていない。何とか大丈夫そうだ。

 次の記憶を辿ると勲の視界だった。
 ……何で止まっている?もう少し走れば出口なのに何故出ないんだ?
 サダノブは不思議に思った。
 ……えっ?
 ……次の瞬間、勲は振り返り、元来た道を戻っている。
「父さん……っ!」
 勲が言った。
 ……そうか、贋作を広めた男でも、父親を嫌いになれなかったのか。確かに先輩は父親の事をサダノブに話す時、嫌な顔一つした事が無い。
「何しに戻って来たんだっ!時次と早く逃げなさいっ!」
 茂は勲の姿を見ると、そう叱った。
「何を言ってるの!ほら、私の縄を早く解いて一緒に逃げよう、勲」
 勲は二人の前で混乱している様だ。
「勲!駄目だ!美代子さんはお前を殺す!」
 父親は勲に美代子の縄を解かない様に言う。
「じゃあ、父さんは?」
 勲が聞いた。
「父さんは母さんに謝らなくてはいけない。だから母さんの所に行く。其れで罪が償えるとは思えないが、お前や時次を裏切ってしまった。仲良くするんだぞ」
 と、父親の茂は勲に言う。
「嫌だ!父さん早く行こう!」
 そう勲が父親の縄を解き始めた時だった。
「……何よ、偽善者。贋作の帝王が今更捕まるだけよ、時次にねっ。勲だって、そんな美談を信じるの?結局贋作の仲間も裏切り、一人勝ち逃げして藤子(とうこ)と逃げた男だよ、あんたの父親はっ!藤子が死にかけた日、贋作の一大オークションの大成功で大宴会していたよ。どうせ捕まるんだ、其の男は。今、情けを掛けたところで。でも私は違う。ちゃんと遺産を受け取ったら時次と勲を大事に出来る。勲は体が弱いからねぇ……本当に心配なんだよ」
 と、美代子は言う。
「止めてよ……分からないよ……」
 勲は悩み始める。
「駄目だっ!勲、殺されるんだぞ!弱くても生きろ!其れがお前の母さんがお前にずっと言い続けた言葉だろうっ!俺達は良いんだ、逃げなさいっ!」
 其の言葉に、勲は後退りを始めた。
「本当に弱いだけで役立たずな子だね!何時も何でも分かった顔して、嫌味を言っても何一つ返やしない。本当に可愛くないったら。そう言うところが、あの女に似ていて見ているだけで反吐がでる!体が弱い癖に愛されて、顔も声も藤子そっくり!あんたなんかいなければ、私も時次も幸せになれたのに。お前がいた所為だ……全部、全部!お前が代わりに死ねば良いっ!」
 其れを言い終えた瞬間、美代子の凄い剣幕も収まり止まる。父親の茂が後ろ手に持ったあの護身用ナイフで、美代子に体当たりをし胸を刺した。
「あっ……美代子さん……」
 ……自分が代わりに死ねば良かった。時次の為に……そう思った勲の気持ちがサダノブにも分かる。……そんな事ないのに。
 勲は酷く恨みに満ちた美代子の死に顔の瞼を閉じてやり、体を元に戻し着物も綺麗に整えてやる。
「勲……父さんは間違っていたよ。お前も、藤子もあんなに優しくしてくれたのに。きっと甘えていたのだな。御免な。時次を……頼んだよ」
 父親の茂はそう微笑むと、煙を吸い過ぎたのか息を引き取った。
 其の時勲は立ち上がり、確かにこう言った。
「僕は貴方の罪を許すでしょう。でも死んで償って下さい。時次はきっと貴方を許せないと思うから」
 黒影が両親を見捨てた時に言った冷たい言葉とは此れだったのだ。
 黒影は未だ生きていた両親に言い放ち逃げたと勘違いしていたが、もう此の時点で二人とも絶命している。
 此れは、此の場にいなかった時次の為に言った言葉だったんだ。
 勲は美代子の護身用ナイフを抜いた。返り血が未だ若い勲に降り注ぐ。きっと勲は苦しくない様にしたかっただけ。けれど真っ赤に染まって行く己に掛かった血飛沫を見ると同時に、美代子の言った言葉に怒りや恐怖を覚えた。其れが自分が刺してしまったんだと思い込んだ理由だったのだ。
 ……此れが辛かったんだ。如何したら良いんだろう……。戻すべき記憶かサダノブは悩んでいる。
 其の後、やはり誰かが来る。……此処で記憶はまた失われるんだ。
 サダノブは時夢来を嵌め直し、続きの真実を見ようとする。未だ美代子の死んだ前後は危険なので、サダノブは記憶のパズルに嵌めずにいた。
 時夢来が見せた念写に、若き日の風柳……詰まり時次が、黒影を抱き上げ走り出る姿が見える。
 此の記憶を今度は時夢来から引き摺り出す。
「勲っ!何で逃げろって言ったのにっ!」
 時次は警官の格好をして戻って来ると、勲があの血塗れの装飾のある護身用ナイフを手に倒れているところを発見する。
「勲?違うよな?お前じゃないよな?!」
 そう言うと、時次は警官のジャケットを脱ぎ、裏返すと慌てて中庭に連れて行き、其のジャケットの裏で勲の返り血を拭いては中庭の噴水で濯ぐを繰り返す。
「御免ん。美代子さん……助けられなかった」
 酷い熱で真っ黒な煤のついた顔でぐったりとし乍ら勲が言った。
「分かった。分かったから喋るなっ!」
 勲の返り血を取ると、時次は拳銃のケースに濯いだ護身用のあのナイフを仕舞い、ジャケットを元に戻しベルトまできちんとすると勲を抱えて、
「生きろ!勲っ!」
 そう言って此のギャラリーから飛び出して行ったのだ。

 ……もしかして風柳は此の時黒影を庇い、其れを黒影が解き、黒影は風柳を庇い調書と資料の全てを燃やしたのか。
 サダノブはやっと、黒影の言っていた「事件は未だ終わっていなかった」と、後悔した意味に気付く。

 問題は此の記憶を如何黒影の思考に戻すか……だ。
 今も発作に苦しむ黒影を見てサダノブは考えた。
 もし……時夢来の出した風柳が助けに来た後の記憶を先に戻したら、少しは安らいでくれるだろうか……。
 サダノブは最悪の事態も考えていた。
 ……其の時は、あの人を頼るしかないと。

 風柳が助けに来た記憶を、此の途切れたままの事件の記憶の最後に足した。
 黒影の容態は変わらない。一筋の涙が伝う。
 ……少しはほっとしてくれたのだろうか。
 問題は一番大事な、多分……一番黒影にとっては嫌な思い出だ。
「さっきまであんな威勢の良い事を言っていたんなら、大丈夫ですよね?真実を……引き摺り出すのが貴方の仕事だ」
 サダノブはそう言うと、ゆっくりその記憶を戻し繋げた。……変わらない。大丈夫だ。
 そう思われた時だった。黒影は急に苦しみ出し喉を掻き毟る。
「しっかり!しっかりして下さい!大丈夫です、もう過ぎた事だからっ!」
 サダノブは必死で掻き毟る其の手を押さえて言った。
 ……如何しよう……俺が未熟な所為で先輩の心が壊れてしまう!
 そうだ、風柳さんっ!……否、今は暴れていて無理だ。
 呼べない……如何しよう、風柳さんっ!

 そう風柳の顔を思い浮かべた時だった。
 そうだ!風柳さんが何か言っていた。
「火よりも怖いものを探せっ!……そうだ先輩!火よりも怖い物を探すんですよ!」
 ……何だ?先輩にとって、火よりも怖い物は……?
 ……そうか……あった。
 ……目の前にずっと……。
「先輩、真実の丘へ行くんです……直ぐ!」
 サダノブは、黒影の帽子とコートを取ると必死で、出口のサダノブの夢の方へ連れて行く。
 此方ならば、「真実の丘」の世界を読み込める!
「サダ……ノブ。駄目だ。影絵を……見せろ……」
 黒影は、そう言った。
「そんな状態で、無理だっ!」
 サダノブは怒鳴ったが黒影は、
「頼む……。影絵だ……」
 そう力無く言うだけだった。目の前には出口があるって言うのに。でも、影絵からも黒影さえ意識がしっかりすれば出られる。どっちだ?どっちが正解だ?
「……僕を……信じろ」
 サダノブが迷った時、まるで其れに気付いているかの様に黒影はそう言った。
「あー、もうっ!信じますよ、信じますからねっ!」
 サダノブは黒影を担いで時夢来も拾い、無我夢中で走った。
「……よし、覚えた。出るぞ」
 サダノブは影絵を見終えた黒影をゆっくり下ろした。黒影は汗を床に落とし、苦しそうな呼吸を続け黙祷を捧げる。
 ふらっと前に倒れそうになったので、サダノブは慌てて黒影の片手を取り影絵に触れさせた。

  目覚めたら朝の光が木漏れ日に揺れて優しかった。
 ハッとしてサダノブは時計を見た。早めに起きている風柳なら、もうリビングにいる筈。
「……時次……えっ、あっ、違った、風柳さん!」
 サダノブは、何時ものように新聞を広げて茶を啜る風柳を呼び間違えそうになりながらも呼んだ。
「ん?何だ?」
 下の名前が少し出た気がして、不思議そうに新聞から風柳は顔を出す。
「分かったんだ!全部!……でっ、でも先輩が今頃また発作を起こしている筈です」
 と、自分ではなく風柳に二階へ行く様に階段を指差した。
「何だって?……分かった、今行く」
 風柳は新聞を放り投げて、黒影の部屋に駆け上がって行く。
「あはっ……やっと来てくれた」
 黒影は力無く微笑んで言った。
「また知らない間に無茶して!今度は一体何だ!?」
 風柳は心配して怒っている。
「時次……僕は、美代子さんを刺していない。父さんが、僕を守ってあんな事になってしまったんだ。僕は推理を外した。犯人は僕の父だ。……そして、時次は僕を庇って自分に目が行くよう、僕に推理させた。包丁なんて凶器は元から存在しない。あそこにあったのは父の護身用のナイフだけだ。昔、見せてもらった事がある。良く覚えているよ。……旅行、行きたいな……」
 黒影はそう言うと、窓の外の青い空を眺めた。
「ああ、行こう。約束だからな。何時か勲に如何しても見せたい場所があるんだ」
 風柳の其の言葉に黒影は振り返る。
「……え?」
 黒影は久々に勲と呼ばれて嬉しく感じた。
「だから、其れ迄元気に生きてもらわにゃ困る!」
 そう言うと、風柳は昔の無邪気だったあの頃の様に笑った。
「分かった。約束する」
 黒影がそう言ったのを聞くと、風柳は少し笑って部屋を出ようとしたので、黒影は慌てて言った。
「如何しようか……。風柳さん、事件だ」
 と、天井を見て黒影がぼやく様に言った。
 風柳の足がピタリと止まる。
「体に障るぞ……」
 風柳がそう言って振り向く。
「だろうな。でも……大丈夫な気がするんだ」
 と、黒影は言うのだ。
「根拠は?」
 風柳は刑事らしく聞いた。
「あるよ。確かな根拠が。……君が僕を守ってくれるから」
 と、黒影は言う。
「其れは何より確かな根拠に違いない」
 そう言って、風柳はガハハと笑うと部屋を出て行った。

 ――――――――――――――
「風柳さんからのお達しで、此方で作戦会議しまーす」
 と、サダノブが黒影の部屋をノックをすると、ドアを開けてタブレットを見せ乍ら入って来た。
「其の間に、看護しまーす!」
 更に桶とタオルと水と珈琲を持った白雪まで来た。
「おいっ、サダノブ!白雪のトレイ持ってやれ」
 と、黒影はサダノブに慌てて言った。重いのか、ふらふら危なっかしくて仕方ない。
「あっ、はい。持ちますよ」
 サダノブは慌てて白雪のトレイを持って、サイドテーブルに乗せた。
「……影絵の内容だけ忘れないうちに言うぞ。大学の化学、物理、生物の研究室か実験室だと思われる。人体模型があった。仕切りがあって控え室に薬品庫やら実験に使う道具がある。窓の外に建物の煉瓦の外壁が見えた。蔦が手入れされて這っているから、歴史ある大学だな。一階でコの字場に反対側の建物が見えた。縮尺で距離50メートル先だ。多分其方が教室煉。上空からの検索した方が絞れそうだ。犯人は白衣を来た教授、又は助教授。身長165センチ前後男性。髪型は少し古い感じがしたな。被害者は男子生徒ってところだな」
 黒影はサダノブに一気に伝えると、フゥーと長い息を吐いた。やはり未だ少し呼吸が辛いみたいだ。
「ゆっくり息吸って……」
 白雪が毛布の上から黒影の胸をさすった。
「犯人は今迄女性狙いだったのに、男女関係無いんですね」
 と、サダノブは聞いた。
「人体パーツコレクターは男女も拘る輩もいるが、そうではない者もいる。腕枕されたいならサダノブだって女の腕の方が良いだろう?使い道や、欲しい理由によって違う」
 そんな風に黒影は答える。
「……まあ、確かに……」
 と、サダノブは妙に納得した。
「なあに、納得してるのよ!黒影は喋るのも辛いのに、変な事聞かないの!」
 白雪はサダノブに注意したが、黒影は乾いた咳をし乍らも上半身を起こして、
「大丈夫だ。吸入器をくれ。後、水」
 と、自分の呼吸にヒューヒューと言う小さな音が混ざっている事に気付いてそう言った。
「寝てなくて良いんですか?」
 サダノブがそう聞いたが、黒影は黙って手で待てと制止すると、吸入器を吸って水分を摂る。
「……喘息をお越し掛けていた。軽い酸欠だろう。……喘息の時は上半身を起こしていた方が呼吸が楽なんだ」
 と、少し落ち着いてから説明した。
「そうなんですか……」
 サダノブは何も分からなくて、手伝える事も無いので白雪を傍観している。
「サダノブも消防署で一日、人命救助の講義を受けてくると良い。資格としてはあまり使えないが実用的には使える。誰でも習得出来るし、怪我の多い僕等には役に立つよ」
 と、黒影はサダノブに提案する。
「白雪さんも?」
 サダノブが聞いた。
「皆、講習受けてるわ。数時間で取れるけど、教科書はちゃんと読まないと、いざって時に咄嗟に出来ないわよ」
 と、一言付け足した。
「ほら、サダノブは検索を頼むよ。大学の講義時間が分からないから、早めに到着しておきたい。仮眠は移動中だな」
 そう黒影は言う。
「……大学有りました。空からの画像と、さっきの情報を風柳さんに共有しておきます。監視カメラ外に8台、内部17台。同機します。……大学のホームページ案内で、3Dマップがありますが、平面に起こして共有しますか?」
 黒影にサダノブは聞いた。黒影は其れを聞いて、
「待て。大学には其の道の研究者がいる。あまりいじると此方がバレる。……たすかーるの涼子さんにお願いしよう。監視カメラは壊さず、僕が映らない様にだけ帽子とコートの調整をしてから向かう」
 と、慎重に「たすかーる」に外注をする様に言った。
「了解ー。じゃあ、其の間に準備します。先輩は、何か要りますか?」
 サダノブは外注を出すと、出掛けるのに必要な物を聞いた。
「僕は時夢来と調査鞄があれば良い。朝飯はコンビニで何か買って行こう。……ランチは大学の学食が良いなぁー。後は、此れがあれば充分過ぎる」
 そう言って朗らかに笑うと、何時も白雪が作ってくれるモーニング珈琲を飲んで満足そうである。
「充分で何よりです。……じゃあ、先に準備しに下りますね」
 と、サダノブはバタバタと階段を降りて行った。
「今日は私も付いて行くから。貴方、また無理しそうだから監視させて頂きます!」
 と、白雪はツンとして言う。
「監視役がいれば僕も安心だよ。……有難う」
 と、黒影は言って微笑む。
「全く……仕方無い人ね」
 そう言い乍ら、白雪も出掛ける準備をしに一階へ降りて行った。
 するとサダノブが置いて行ったタブレットから音がした。
 黒影はベッドから出て着替え乍ら呟いた。
「やっぱり涼子さんは早いなぁー」
 と。
 ……穂がサダノブから聞いて心配していたよ。無理すんじゃないよ、黒影の旦那……

 備考欄に涼子から一言書かれていた。
 守るものが多いと、無理出来る歳でも無くなるか……と、黒影は其れを見て苦笑いする。
 何時か風柳がこんな事を言ったのを思い出した。

  ……人生の荷物は軽いに越した事は無い……

 風柳さんは時々、見え透いた嘘を吐く。
 だったら僕も白雪も見捨てれば良かった。
 サダノブが来た時だって、断ろうと思ったら出来たんだ。
「怪力だからな……許容量も桁違いなのか」
 と、黒影はボソッと言うと小さく笑った。

 ……本当に、あんなに強くなって……こんな日が来るなんて思わなかった。

🔸次の↓season3-2 第四章へ↓

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