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season7-4幕 黒影紳士〜「黒水晶の息吹」〜第一章 雨に独り


二週間の幕間お休み、お待たせ致しました🎩🌹
開幕…第一章

本編を始めます前に、
この度、詩人のkogomeyuki様
Xアカウント→@kogomeyuki16
から、第一章&第二章に五行歌を詠んで頂きました。

イラストは僕で、五行歌はkogomeyuki様の久々のコラボをお楽しみ下さい💐✨

シンプルデザインも御座いますので黒影美術館の方でも、何時でも見れる様にしておきます。
固定ページにあります。

この五行歌は黒影へのエールだそうですので、
勲さん視点では無く、黒影視点でお楽しみ下さい。

kogomeyuki様へ Special thanks
以前は詩を、今回は五行歌を詠んで頂き、誠に有難う御座います。
良き友でもあり、相談相手でもあり、少し違う世界にいても、一つの物を創れる事を、有り難く思っています。
黒影紳士を大切に想って詠んで頂いているのがひしひしと伝わり、感激しております。
これからも更なる発展を祈っております。

    「黒影紳士」著者 泪澄 黒烏


〈これより以下本文〉

第一章 雨に独り

多くを求め過ぎるのだよ
僕は足元に転がる君に云う
こんなに疲れ切って…
使い物にもなりゃあしない
足蹴にしても
身を半分委ねて
天井を凝視している

愛こそ全て
愛無き伽藍堂

だから言ったんだ
死神が魂を掴み笑った

必死に愛を
集めてくれて有難う
僕は最後に……嘲笑(わら)った
屍の君と

「鬼」

 ――――――――

  雨上がりの街。
コールタールの上を靴も履かずに歩いていた。
両手に今の私と同じ、如何でも良い綻びた役立たずのヒールが折れた靴を、ぷらん…ぷらん…と、遊ばせる。
過ぎ行く人はびしょ濡れの私に、憐れみの表情すらくれない。
輝かしい夜…華の様な女と蜜に酔う男。

無気力な…街。

私は高らかに笑った。
この澱みきった底知れぬ夜空に、悲鳴を上げる。

私を殺したのは…この街の全て。

私と言う人間から人間としての感情を奪った此の街。
此の叫びすら、騒がしい雑音と派手な流行りの音楽、呼び子の声で消された。

…何て…ちっぽけな私。
逃げ出した外には、また逃げ出したい世界。

其の時、私は感じたの。
此の真っ黒なコールタールの隙間と言う隙間から目玉が見える。
此の深海の空に手を伸ばしても、吸われ消えゆくだけ。

消滅とは…こんな呆気の無い死であるかと。

……真っ黒な夢を見た。

 私は小さな貧しい閉鎖的な村に産まれた。貧しいとは大人達が談合しては恰好の話のネタとなるのだが、私は貧しさ以外を知らないので興味すら無かった。
 小さな幸せ、井戸の中の蛙は其れで十二分だと思っていた。
 そんな井戸の中の蛙の小さな幸せは、ある日強欲な大人達に壊されてしまうの。
 井戸を潰され、逃げる様に飛び出した先には……

 見た事も無い、夜も光輝く高く四角い摩天楼。
 綺麗だった空を、今にも突き刺さんばかりに……
 将又、大地に突き刺さった槍の様に聳え立つビル群。

 建設は一部の強欲な村人の誘致で、他の村人を欺く様に何も聞き入れず、急ピッチで進んで行った。
 見た事も無い物……光……。
 何処か目の前で起きている事なのに、夢の様に感じたの。
 加担した村人は裕福になり、何も知らされなかった村人は、其の裕福さと己の貧しさを比べ始めた。
 村の半分が潰された。立ち退きには幾らかの金銭を受け取り、此の村から逃げる者も増えて行く。
 勿論、残った村人に相談等は無く、まるで夜逃げの様に朝には消えるのだ。
 残った村人は集まり、逃げた者は血祭りに上げる!村の裏切り者だ!……そう、過疎化を止めるのに躍起になった。
 互いに親しかった者が、今日はいるか監視し合う……そんな恐怖でも、ある程度の流出は阻止される。
 私は何もせずに、其の村の人々の動きを静観し、言われるがままに行動するだけ。
 私には家族がいない。村の有志で何とか生きて来た。だから、此の村を裏切る事は最後迄出来ない。
 此の村が消える事を望むならば、私には消える選択肢しか無いのだ。
 建設会社と争う事になったと聞いた。
 見た事も無い大きな機械を動かし、見た事も無い大きな建物を軽々創って行く建設会社と、桑で田畑を耕す私達村の人々が如何争うと言うのか。
 何を馬鹿げた事をと、私は聞いた当初笑った。
 如何せ未だ私には無関係。大人達が勝手に一揆の様な古い騒ぎを起こすだけだろうと、たかを括っていたわ。
 それでも、私を産むと同時に死んだ母……そして逃げた父……取り残された私を今迄捨てずに、生かしてくれた人達。
 私は敵わない戦い等無意味だと言った。
 けれど、其の時……本当の意味で心の貧しさに捉われた人間を見てしまった。
 会合でそう言った時、其処にいた村人全員の視線が私に集まる。
「寄子(よりこ)……お前は黙っていなさい」
 村の長は静かにそう言った。
「そうだ。お前には関係ない。元より選択肢等ないのだから。黙って村の総意に従っていれば良い!……それで今迄十分幸せにしてやっただろう?後で決定を知らせてやる。大事な話をしているんだ。良いから出て行きなさい!」
 そう、他の村人に言われ、私は何故か悔しさの様な物を感じ乍ら走ってその場から去った。
 雨の中……靴も履くのを忘れて、裸足で飛び出した。
 草臥れて俯くと、びしょ濡れでボロ雑巾の様な服を着た自分が、水溜りに映った。
 井戸の中の蛙は、外に出ても意見すら言えない。
 同じ村人として扱ってもくれない。
 ずっと……大人になんか成らなければ良かった。
 井戸の中の温もりに浸かって居れば良かった。
 外の水は……余りにも冷たいから。
 私だって……大事な話をしていたつもりなのに……。

 見えていたのよ……もしも争った所で、引き時も分からず血を見るわ。
 だって……私には見えるのよ。
 水溜りの中から蛙が目玉だけを出してギョロリと見ている。
 もうお仕舞いだわ……私の小さな幸せは。

 立ち並ぶビルに村人は夜中に集まり、火炎瓶を硝子に投げ付ける。けたたましい、セキュリティの音が鳴り響く。
 中に入った村人は次々にそのセキュリティの音の元を大きなハンマーで叩き壊した。
 暫くするとビルの中から村人が走って出て来る。
 其の後ろで、ビルの窓から火が立ち上って行くのが見えた。
 軈て幾つかの破裂音やガラスが熱で割れる音が、絶え間なく夜の静けさを奪ったのだ。
 たった一夜にしては、一棟のビルを破壊したのだから、村人からしたら相当の覚悟と本気の戦線布告だっただろう。
 翌朝、建設会社側は其れは怒り、村の長に直談判に行ったらしい。
 多額の用意があるから、良い加減村毎立ち退けという話しだった。
 けれど、誰も立ち退きはしない。
 村の長は此の村にある自然を壊すのが許せなかった。
 貧しいとは言え、暮らし慣れた、わかり合えた村人達を最後迄捨てる気は無い様だ。

 ……でもね、人は欲には勝てない。そう思うのは私だけでしょうか。御立派な信念も……毎日毎日崩すよりも先に建てられ、勝機を失っても持っていられるかしら。
 負けを認めない弱虫……そう見えても、おかしくはないでしょうね。
 村人は長の言う事なんか聞かなくなった。
 新しい観光施設の道楽が、村の皆んなを変えたのよ。
 見た事も無かった世界に、夢でも見る様に通い詰めた。
 其れが、村人であれば安価で利用出来ると言うのだから、建設会社も上手く考えた物だと思う。
 餌を撒かれたら、私達は唯の腹を空かした野生の小動物。
 やっぱり……勝ち目なんて無い。
 綺麗事だけじゃ、生きていけない……そう思ったら、いけないかしら。
 貧しい村で何とか循環していたお金も、新しい観光施設や其処に併設するショッピングモール等に吸い込まれて行く。
 村の貧困が加速してくると、村の恩恵だけで生きていた私の生活も圧迫されつつあった。
 来月は村から支給があるだろうか……。
 そんな不安な日々が続く。
 私の様に親を失った子は、村にも他に数人いた。
 施設の様な物は無いが、村の余った広めの平屋に数人で暮らし、教え合い、支え合い生きて来た。
 時々、村の人達が村で取れた野菜を持って来たり、作物の作り方や、勉強を見てくれたりする。
 私達を外で差別する様な村人ぐらい、いてもおかしくは無かったが、そんな不安に思う時は決まって私はこう言う。
「井戸の中の蛙でも、十二分に幸せに生きていけるわ」
 と。其れが私の口癖なの。

 ある程度大人になれば、村の空き家等で独りで暮らし始める。私は未だ井戸の中にいたかった。
 村の資金繰りが観光施設に負け、悪くなって来た頃……恐れていた事が起きた。
 たった一通の手紙よ。
 私の生活を支えた命のお金が途切れたのは。
 もう、村からは出せない。だから、自分で何とかしろと言う。まるで赤紙が届いた様な気分だった。
 私は、育った平屋の未だ若い親なし子達を心配して走る。
 私が行くと、不安そうな顔で皆が如何しようと狼狽えて、或いは私に飛び付いて泣きじゃくる。
「……あの観光施設に生活を奪われたならば、取り返しに行くしかない!」
 私は……妙な正義感に当てられたの。
 だって、自分が大変な時に、同じ境遇とは言え赤の他人と行動を共にする理由も、助ける義理も無い。
 何で見捨てられなかったんだろう……。
 其れは、私から見たらその子達も、結局は井戸の中の蛙に見えていたからよ。
 目玉をギョロギョロと動かし、外に怯えて慣れた水に浸かる……そんな生き物なのよ、私達は。

 ――――――――――
 観光施設の眠らない灯り……。
 恋人達は語り合い、独り身もカジノや酒に興じている。
 煌びやかで幸せそう……。
 美味しそうな物を沢山食べて……羨ましい。
 綺麗なお洋服でピアノを弾き、歌う女が綺麗に見えた。

挿し絵。寄子。

 私は持ってる中で一番良い服……出来るだけ露出の多い服を選んだ。一張羅だから大切にしていた。
 誰かの結婚式に呼ばれたら……と、大人になって買っておいたの。私は此のレジャー観光施設の中のホテルのロビーにいる。独りで来ている男を見つけては、視界に入る席に座る。
 スリットの入ったタイトなロングドレスはボディラインが見えるので、上半身はすらっと定規を背に入れた様に真っ直ぐにして背凭れは使わない。
 行形太腿を見せ付けるものじゃないのよ。
 目が合っても未だ……。チラチラと此方を気にするまで待つ。
 それから、上品に斜めに足を揃えて座り直したかと見せかけて、ヒールの爪先のラインまで美しく真っ直ぐ伸ばして、足を組み変える。
 そして、相手は勿論釘付けで見ているのだから、そこで私はにっこりと照れ笑いをし、小さく手を振るだけ。
 後はハンカチーフを落として去る。
 今時ハンカチーフ?いいえ、それは目立たせるだけのものよ。
 ハンカチーフを取ったら、名刺代わりのメッセージカードがあるだけ。
 其れを読めば気付く。
 嗚呼、ホテルに潜りの売春婦かと。
 確認したのを見計らって、ハンカチーフを忘れたと戻りに行けば良いだけよ。

 ……今日は……
 ほら、鍵を軽く見せてくれた。
 後は部屋へ行くだけ。

 でもね、そんな上手い話しなんて無いのよ。
 愛はそんな容易く手に入らないわ。
 私がそうだった様に。
 先に金を受け取り、シャワーに入ってる間にとんずらするに決まっているでしょう?
 その日だって其のつもりでいたの。
 村からこの観光施設に金が流れたなら、取り返せば良いの。
 私達を裏切った村人からね。
 だから罪悪感なんて無かった。生きる為だもの。
 お腹を空かせた、仲間だって見守ってる。だから怖くなんか無い。
 ……後は逃げるだけ……上手く行ったわ!
 そう思った時、何か下の階の方で爆発音がしたの。
「キャーー!何事!?」
 私は其の爆発音と揺れた振動に恐れをなして、頭を抱えて蹲み込んだ。
 男は慌ててシャワー室からガウンを来て出てきた。
 ……しまった。逃げる機会を失ってしまう……
 私は咄嗟にこう言った。
「怖いわ!一度外へ出ましょう」
 と。そうしたら彼……急いで着替えると、意外にも真面目な顔をして私を抱き締めてこう言った。
「さっき会ったばかりですけど、僕の側を絶対に離れないで下さい!君が詐欺師でも本当に売春婦でも僕は構いません。一目惚れなんです!だから離れないで下さい!」
 と。
 ……何を言っているのだろう……一目惚れ?
 然も売春婦だとしても?……そんな事、あるのだろうか。
 金を持ち逃げされると気付いて、こんな事を言っているのでは無いかと、私は勘繰る。
 けれど、爆発音は鳴り止まず、守ってくれそうなら何でも良いと私は思って、彼の手を取り廊下へ出た。
「村人を全員根絶やしにする気だ!」
 廊下で狼狽える中年の男がそう叫んだ。
「何だって?!今のは本当ですか!」
 彼は狼狽える中年男性の肩をがっしりと掴み、しっかり顔を見せて答えさせようとする。
「ああ……村はとっくに焼き払われた。真っ赤な火の海だよ!今夜は村人だけに特別招待の割引きで此の観光地に……あんたも呼ばれただろう?あの招待券が罠だったんだよ。開発地を村迄広げたくて、こんな事を!」
 と、中年男性は答えた。
 ……村が……焼き払われた?……
 お腹を空かせたあの子達は?……もしかして……もう……
 井戸の中の蛙は外も見ずに、火に包まれ死んだのだ。
 たった一夜の出来事が、全てを狂わせて行く。
「行きましょう!出入り口は正面玄関しか空いてないでしょう。きっと、防火シャッターが降りているに違いない!」
 彼はそう言った。
「でも!もし、根絶やしにしようとしているのなら、其の出入り口は監視されている筈よ。」
 私は何を言い出すのかと、冷静に考える様に言う。
「合ってる!大丈夫なんです、だから僕を信じて下さい」
 何故彼が機転がきくのかなんて、考える余裕も無かった。
 そんなにも自信があるのなら、このまま此のホテルと何もせず消えるより、行ってみても良いと思えたの。
 彼は私をますっ直ぐに見詰めて、返事を待っている。
 少しはタイプだったから、この人を騙そう……そう思った。
 今は後悔してる。
 まさか、其の彼を信用し走らねばならないなんて。
 もし、これで死んでもきっと罰なのよ。
 今度は彼が私を騙しただけ……そう思う事にしよう。
 私は頷いた。
 彼の手は少し汗ばんでいたけれど、ほんの少し強く私の手をしっかりと握っている。
 あの村に生きて……誰かに頼るだけの生活は、何時終わってしまうのかと、何処か不安だった。
 けれど、其の時……其の手に……私は安心感と言う物を覚えた。

 正面玄関……。
 さっきまで彼を誘惑したロビーは真っ赤な火で埋め尽くされる。
 彼は肘に抱えて持っていたコートを突然広げた。
 私と彼の姿をすっぽりと其のコートで包み隠す様に。
 其のコートは妙にずっしりと肩や頭に重く被さる。
 ……水だ。水を吸っている。
 きっとシャワーの水を掛けたんだ。
 あの最初の爆発音を聞いた直後に。

 視界が狭い……。
 けれど、上を見れば……彼が真っ直ぐ何処かを見詰めている。
 私が見えなくても、彼はきっと大丈夫な方を見付け、私を連れて行ってくれるだろう。
 さっき逢ったばかりなのに、そう思えた。
「走りますよ……」
 彼は私にも伝わる緊張感のある声で言う。
 私は無我夢中で走った。
 右も左も前すら良く見えないけれど、もう彼を信じて走るしか無いと思った。
 ……ガタン!……
 真上から大きな金属音が聞こえた。
 怖くて、私は思わず止まり身を屈める。
 何か崩れて来たのかと思ったけど、何処も痛くは無い。
 大丈夫だ……良かった……。そう安堵し息を吐いたが、私が体制を上げようとしても、彼はそうしない。
 彼が身長が高いから、先に体制を直してくれないと、真っ直ぐ立てない。
「……如何……したの?」
 私は、狭いコートの中、彼の顔を覗き込んだ。
 …………えっ…………。
 口から鮮血が滴り、私を守る様な体制のまま息を上げている。
「ねぇ!あんた、大丈夫?!さっきは大見栄切って付いてこい何て言ったじゃない!」
 明らかに大きな怪我でもしたであろう彼に、私は縋る様にいった。
 そして……
 守るって……大丈夫だって……言ったじゃない!
 悲壮感に打ちひしがれ乍ら、そう……願う様に思った。

挿し絵。寄子の思い出。


「今のうちに……早くっ!走って!」
 彼はコートの中から私を押して言う。
 コートから出た時、上から落下したであろう大理石の天井の大きな割れた壁が、彼の背中に見えた。
「ねぇ、あんたは如何するのよ!?」
 私を……確かに守ってくれた。
 大丈夫にしてくれた。
 だけど……!
「後で行く……。大丈夫だ。行け!」
 考える何て余裕は無かった。
 周りの景色はみるみる崩れて行く。
 彼の言葉通り……走るしか無かった。
 産まれた時から、何一つ持ってない私は、この身一つで走るしか無かった。
 命辛々飛び出して振り返った時……
 ホテルの正面玄関に上の階からの崩れた外壁が落下し、塞いだ……。
 私は其の外壁が落下した時の凄まじい砂埃と風で軽く飛ばされた。
「未だ中に生きているかも知れない。周りを囲むぞ!」
 そんな声が聞こえる。
 ……逃げなくちゃ……!……逃げたく無いっ!……逃げたく無いよ……初めて私を守ってくれた人……。
 私……貴方の名前も……名前すら聞いていないのにっ!
 泣きながら走った。
 只管に走り、繁華街へ逃げ込んだ。
 靴はボロボロ……雨が私の顔に付いた砂埃を醜く曝け出す。
 それでも構わなかった。
 涙の跡を雨の所為に出来るのだから。

 私の手には……彼の財布。

 免許証を見れば、名前ぐらい分かると思った。
 写真がある……。
 敬礼をして、笑っていた。
 彼は……高梨 光輝(たかなし こうき)……警察官だった。
 私を捕まえるつもりだったのよ、きっと。
 一目惚れなんて信じない。
 貴方の言った言葉……全部……全部信じて上げない。

 だって……だって私……今も
 貴方に……守られていたい。

 泣き腫らした頃、雨が霧雨となる。
 貴方の最後を知っているのは……私だけ。

 ねぇ……光輝って呼んでも良い?
 ねぇ……光輝、私……初めてだったの。

 ……私も……一目惚れだったのよ。

 ――――――――――

「……誰?」
 あの日繁華街から呆然と行く当てもなく朝迄歩き続けた。
 雨は止んだが、行く当てが見つかる訳では無い。
 村へ戻ると曇天の空……静まり返った、無機質な焼けた家々が出迎えた。
 数人の村人が声も無く、頽れて遠い目をして泣いている。
 誰も私を見る者もいない。
 目の前の現実を受け入れるだけで精一杯なのだろう。
 私は所詮井戸の中の蛙。
 こんな時でさえ、自分だけの居場所を自然と探し始める。
 全焼はしていない……村外れの小さな家を見付けた。
 中に誰かが住んでいた形跡はあったが、気にも止めない。
 だって……煤に塗れて転がって死んでいる。
 一目瞭然のその空き家に棲もうと決めた。
 状態が他より良かった。住人は見事に死んでいる。
 私には其れが単純に好都合だった。
 私は人知れず其処に棲みついた。
 繁華街でまた……男を騙しては逃げる。
 ハイヒールだけは、何時も手に取って逃げた。
 どんなに足がボロボロになっても。
 直ぐに靴のヒールや飾りに傷が付く。消耗品にするには高い出費だ。
 また誰かを騙す為に……必要な物だから。
 観光地から少し離れた繁華街は、それでも羽振りの良い街だ。誰も私を守ってくれない。愛してもくれない。
 そんな街だから……居心地が良かった。
 光輝だけ……そうで在って欲しかった。
 そう今だに願ってしまう私には……丁度お似合いよ。

「……誰か……いらっしゃるんですか?」
 逃げ疲れて布団を丸め込み、眠っていた。
 気の所為かと思ったが、こんな所に誰か来たようだ。
 其れでも私は井戸の中の蛙。
 外になんか興味は無いの。荒屋の隙間の光が昼頃だと教える。
 私は気力なく、入って直ぐのタタキに転がったハイヒールを眺めるだけ。
 男の声だった。
 警察か、昨日財布を擦った男が仕返しに来たかも知れない。
 疲れきって走る気力も無いのに、逃げる時に何時も持っていたハイヒールだけが気に掛かった。
「……上がらせて貰いますよ」
 私はろくに声も出ない。
 やっと昨日の仕事の帰りで久々にご飯にありつき、もう草臥れて何も出来ない。
 建て付けの悪い引き戸が開く。
 昼の眩しい日差しが私を照らし、その光の中には逆光で真っ黒な姿のロングコートの男が立っている。

挿し絵。謎の黒い影。


「金だったらもう無いわよ!用が無いならさっさと出て行って!」
 私はそう言って、其の男を追い払おうとした。
 なのに男の影は去るどころか、中へ入ってくるではないか。
 怖いと思って、布団を引き上げぎゅっと握りしめた。
 けれど、其の男は私を見ても、追い払おうとする訳でも無く、仕返しに来た様でもなく、襲うでも無い感じなのだ。
 ゆったりとコートの裾を広げて屈むと、投げ出された私の大事な商売道具のハイヒールを丁寧に揃え置き直す。
「取って捕まえに来た訳ではありません。気にしないで下さい。私(一人称は此方で良いのですよ、今……あれ?と思った読者様)は黒田 勲(くろだ いさお)。村の人達には「勲さん」と、呼ばれています。ただの村の寺の居候ですよ。……少し、伺いたい事がありましてね」
 と、其の「勲さん」なる男が言うのだ。
「……なっ、何でしょうか。私……あまり人と話すのが苦手なの。手短にしてくれる?」
 私はその「勲さん」と言う人間がどんな人かいまいち分からず、そう言った。
 それに今……この「勲さん」なる人物は「村の人達」と言ったの?殆ど誰もいない此の村に、何の用だと言うのか。
「私はある人物を探しています。この村にいたと言う、高梨 光輝と言う警察官です。彼のご遺体が未だ見付かっていません。警官殺しにでも遭ったのか……事故、事件に巻き込まれたのか……誰も知らない。今は他に暮らしてるご遺族に頼まれて、こうして探しているところなのです。それより……」
「キャッ……」
 勲と言う男がゆっくりと手を私に伸ばして来たので、私は何かされるのでは無いかと気付いたら、声を発していた。
「失敬。……脅かすつもりはありませんでした」
 勲は手を引き、更に言葉を続ける。
「貴方……お名前はお伺いしても?」
「……羽瀬(はせ)……羽瀬 寄子……」
 私の名前を聞くと、しかと覚えたと言う様に深く頷く。
「良いですか?寄子さん。……貴方はご自分で気付いていらっしゃらないかも知れないので、不躾ながら私が言いますが……少々衰弱されている様に見受けられます。目の下の毛細血管が白く貧血気味でもある様です。一度、お時間がありましたら病院へ行きませんか?話しは其れからでもゆっくり出来ます」
 と、勲は提案するのだ。
 最近、ターゲットにする男を引っ掛けるのも難しくはなっていた。
 其の理由ぐらい、私だって分かってる。
 その日生き延びるだけの身体はガリガリに痩せ細り、ふらつく事も多くなった。
 家に転がった割れた鏡を磨いて見ても、其処に映るのは目の下が隈だらけの、青白い顔の……まるで井戸の中の蛙どころか幽霊。
 必死で安物の化粧品で誤魔化してきた。夜のネオンはそんな私の顔色さえ隠してくれるから、何とかなった。
 痩せた女が身を売っていると言えば、可哀想にと同情で金をくれる羽振りの良い男だって時々出会した。
 だから何も問題ないと思っていたのよ。
 其の方が得している気分にもなった。但し、盗みがバレて逃げ出す時には身体が悲鳴を上げそうな程、難儀にはなってはいたけど。
 一度は捕まって、立てないほど殴り蹴られた事もある。
 其れでも生きる理由が分からない。
 何度も何度も死にたくなった。
 だけど……光輝に出逢った夜だけが、忘れられなかった。
 こんな事でも、続けて生きていたならば、また何処かから私を助けてくれる……そう思いたかったのかも知れない。
「分かっているわ、そんな事。……ご親切に言って下さったのに悪いけど、私は此の儘で構わないの。話しは終わりよ」
 ……もし、此の儘息絶えても、私はきっと幸せ。
 井戸の中の蛙と一緒。
 光輝以外……何も知らずに、貴方の元へ行けるのだから。
「……今、病院へ行けば治ります。治るのを治さず死に急ぐのはおやめなさい。寄子さんは其の儘でも一生を全うしたと思うかも知れませんが、「精一杯出来る限りの事をして尽きる」事が出来なければ、全うしたとは言えません。費用なら私が出します。もう動くのもお辛いのでしょう?……そう言う時は、素直に甘える物ですよ」

挿し絵。お姫様抱っこが羨ましくなる…。


 そう言うなり、勲は私を軽々とお姫様抱っこして、病院へ連れて行くつもりだ。
 身体は痩せ細り、降りようとしても到底健康そうな男の勲の力には勝てそうも無い。
「待って!」
「……?」
 勲は私を見下ろし、不思議そうに見詰めた。
 青いサファイアブルーの、透き通った目をしている。
「靴を!……私の大事なハイヒールなの!」
 私はそう言った。

 ……光輝と出逢った時も、履いていたこの靴。
 ……私とずっと逃げる人生を生きて来たこの靴。
 ……涙も痛みも知っている。
 私だけの思い出の靴。

「綺麗なワインレッドですね……」
 勲はそう言って靴を褒めると、器用に私を持ち乍ら屈んで、指先にハイヒールの踵を引っ掛けて持った。
 決して守るとは言わない。
 愛してもくれない。
 けれど……この真っ黒なコートの出立ちの男は、何処か光輝と似ている気がした。
 光輝の失踪を知りたがっていたと言う事は、私を疑うかも知れない。
 私は最後迄光輝といた。
 あの夜……から私の逃亡は少し変わった。
 もういないと分かっていても、貴方が来るかもと思って夜毎逃げるのは、気分が違った。
 其の走っている時だけ、私は貴方に応えられている気がしていたの。

……今のうちに……早くっ!走って!……
……後で行く……。大丈夫だ。行け!……

 あの言葉が聞こえて来るのよ。何度でも走るから……何度でも……逃げ切ったら来た道を振り返るから。
 ……後でも良い……ずっと後でも良いから……会いたい……。

 勲は光輝みたいな事は言わなかったけれど、きっとまた私を全速力で走れる様にしてくれるだろう。
 聞きたい事があると言うだけで、私を助けようとする。
 大切に抱えて歩く一歩一歩は、知らない筈の揺籠の様で……。
 今だけは……安心して眠って良いのだと思えた。
 井戸の外にも、影が優しく揺れている。

続きです、どうぞ🎩🌹↓
予告日よりも早く出します。
其れは、あの人が未だ登場していないからです^ ^

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読書感想文

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。