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[日録]個性はいかにして殺されたか

June 13, 2021

 いつも何かに急き立てられて生きてきた。その何かが自分であることを知ったのは、焦燥感という言葉を立体的に理解できたときであったと同時に、感覚というものを自身の裡に於いて捉え直したときでもあった。感覚を捉え直した感覚を手に入れたのであれば、あとはするすると感覚に付き纏う問題は解けてくる。感覚とは外部入力を起因とするものではなく、どこまでも内的な裡なるものであるが、私たちはそれを剥ぎ取って人と人とのあいだに立たせることばかりを考えているだけでは飽き足らず、やがてはプライベートという言葉を掲げ挙げるなどして、果てはその言葉自体に縛られ人との関わりを持たないことを一人の時間であると強く意識付けさせられてしまうようなことが起こり得るのであれば、私は今、一人であるから自分のことを考えなくてはならないと思ってしまうことに繋がり、却って他者から見た私とは何であろうかと、自らの裡に外部からの入力を勝手に定義付けてしまい、内の裡なるものから発せられるものこそが感覚の本質であるということをついつい忘れがちになってしまっている。それが個性の喪失と関係があるのか、そもそも個性の喪失ということが起こっているのか、はたまた個性というもの自体が存在しているのかどうかすら私には分からないため、改めて考えてみようと思い至った次第であるが、正直、個性を巡る問題など私はほとほとどうでもいい。個性自体に興味はあるが、問題とされる個性には一切の興味がない。全体主義的な思想が蔓延しているこの社会で暮らすことの是非を問われても、この命が続くまで何も言えることはない。私のようなものが全体に混ざろうなど烏滸がましいことこの上ないと自分でも思うので、終わりがいつになるのかは神のみぞ知るそれが終わるその時まで、私は彼らから川を挟んで向こう岸の淵に立ち水面を詰るように足をぶらぶらとして待つほかない。向こう岸を率先して見ることもない。たまにちらりと目につくことはあるが、バーベキューをするなどキャンプをするなどボーリングをするなどしてはSNSにこれ見よがしに上げてきゃあきゃあと話すかと思えば私の後ろ側から——つまり、彼らからすれば前方から——ぱんぱんと弾ける花火を穏やかに晩酌でもしながら見たりもしているだけであり、そんな様子を見ていると皆が私と変わらないように思えるが、一方ではずいぶんと変わっているようにもじいっと見ている私も確かにいた。それを私たちは理解している。その事実に落ち込むこともあったのかもしれないが、割合に図太い性格であるので、今思い返そうと努めても頭の中には全く情景が浮かび上がらず、宵闇が広がるばかりである。宵闇が川の水をも染める私の足先が水面を詰る動きに沿ってちゃぷちゃぷと水音を立てているようだが、その音は遥か先のなだらかな崖から落ちて滝になった音に掻き消され、この耳に届くことはなく幽玄の世界へと去っていった。私の存在もこのようなものにほかならないのだろうなアと虚ろな目をしている理由は、哀しみから来るものではなく単なる睡魔から来るものであり、その日の私が涙を浮かべることはついぞ無かった。翌朝、晴れやかな朝陽が宵闇を消し去り、爛々と全てに陽光を惜しみなく与え、その圧倒的な存在感に逆らうことなど以ての外、遠慮することすらできない私は眠気眼を擦っては寝転びながら欠伸をし、不可抗力から目に溜まった涙の滴を拭い取るのであった。私の存在など太陽に比べれば小さなものであり、いっそ太陽に呑まれてしまえばどんなにか楽だろうと皆が考えるのであれば、全体は皆をにこやかに迎え入れてくれるであろう。彼らは皆を享受してくれているのではない。ただ何も考えていないだけなのである。そこにいるならここにおいでよと、年寄りのお婆さんに席を譲る程度の優しさを持った呼びかけにほかならない。優しさが向けられた時に優しさがそのまま優しさのままで届くのかは誰も知らない。どちらがプラスでどちらがマイナスなのかも分からず、その電極の狭間を認識することは誰にもできやしない。神でさえも。光子がスリットを通過するとき、観測しない場合と観測した場合とでは動きが異なるという二重スリット実験が示唆することは私には到底理解し切れないが、是非とも聞いてみたいことは "神がスリットを通る光子を観測した場合の結果はどうなると予想されるのか" である。この質問は、そもそも神に答えられるのであろうか。光子を観測する神を観測する私たちが居て初めて白日の元に晒される事実となるのではないだろうか。我々が観測していない時には確率の世界を縦横無尽に駆け巡る光子は観測されたときには一つの物体として一つの確率の中を揺蕩うが、この一つこそが個性なのだと神は言ってその場を凌ぐのだろうか。私の用意している問いは異常であるが、これが誤りだという結論が出ているのであれば是非ともお教えいただきたい。私が個性について興味を抱かないのは、そもそも興味を抱く対象が個性であってはならないと考えているからではなく、個性とは観測されて初めて存在することが当たり前である一方で、当人が観測されないままでも構わないのであれば確率の世界で——当人の人生から捉えたならば、無限にも見えるその世界で——生きていくことができるのかどうかを知りたいだけなのである。私が個性というものを認識したのがいつだったのかは、幼稚園の卒園式で練習をした日のことを一切覚えていないことと同様に全く記憶として存在していないが、私は卒園式当日のことを部分的であれ今でも鮮明に思い出すことができる。一人一人が、どうしてだか舞台に上がらされ、何かをしていたように思うが、その何かが何かは分からないまま、誰かが言葉に詰まったり、緊張からか、挙動が不振になったりしていたことを、ありありと思い出せる。幼い私は、それを一つの光景としてぼんやり見ていたのだが、次第に父兄がずらりと並んでいる背後からくすくすと笑い声が聞こえ始めてきた。彼らは眼前にいるその子らが可愛いくて、あどけなさすら愛おしくて、そうした笑いを向けているのであろうことは子どもながらに理解していた。私や周りの子らも、それに釣られて口角が上がっていたとも思う。そういった冷笑と微笑のあいだで個性を享受し合うじんわりと押し殺した笑いが広がるこの空間で、前に座っていたまーくんというお調子者が突如として叫んだ。「笑わないでくださーい」。その瞬間、場内にどっと笑い声が広がった。緊張の糸がぐるぐると張り詰められた決して朗らかではない空気で満たされた空間の邪なものを、まーくんが一言で見事に切り裂いたのだった。笑顔の私たちは、暫し声を上げて笑うとすぐまた居直り、まるで何事もなかったかのように、式の続きを淡々と進めていった。それから私たちが何をしたのか、何をしていたのかの記憶は一切ないが、ともかく卒園式が終わると、最後のひとときとして私も含めた園児と先生がそれぞれの組に戻り、先生のお話を聞くという定番ではあるが冷静に考えてみるとこういった状況は人生において片手で数え上げられる程度の回数しか訪れないであろう貴重な機会が設けられていた。私は "さくら組" で、この組が好きだった。仲の良い園児がいたからだとか、先生が桜の花言葉に違わぬ優美な女性であったからだとかが理由ではない。年長組は二組しかなく、どちらも三階建ての園舎の最上階に位置していたのだが、一番奥にある部屋だけが他の教室と比べて五割ほど大きく、どういうわけか、さくら組はその部屋に割り当てられていたのだ。同じ年長組である "ゆり組" はすぐ隣に位置していたが、彼らも暇があるとさくら組に来ては広いなあいいなあと羨んで、自由時間が終わるとしょんぼりとした足取りで隣の教室へと帰っていった。翻って、私と私たちは帰らなくても良いのだという優越感であるのか安心感であるのかは分からないが、ともかく私は広くて大きいこの教室を誇りに感じていたのである。この誇りを自分の個性だとすら思っていたのかもしれない。幼き私の小さな世界であるこのさくら組に通うという大きな個性を与えられた日々も、とうとう終わりを迎えるのだ。私は悲しい感情など微塵もなく、涙もついぞ出なかった。先生がやって来るまで、皆とわいわいと明日もここに来るかのように、自然に話をしていた。私たちは終わりを理解していなかったのではない。明日からここに来ない事実があることこそ、いつも通りを日常として進んだ証であり、その証として卒園式が設けられたというだけでなく、証を人生の点とする日々がこれからも続いていくのだなあということ、つまりは人生とは別れを連れて回るものなのだなアということを肌で認識できていたため、無邪気に振る舞っていただけなのである。まーくんもさくら組であった。誰に対しても気さくで、運動神経もすこぶるよく、毎日ふざけてばかりいるが、他人に迷惑をかけることは絶対に望んで行わない彼は、私たち子どもたちだけではなく先生方からも好かれていた。彼は過去の今その時でも、絶えず晴れやかな子どもらしい笑顔を私たちに振り撒いている。
 その笑顔を引き裂くかの如く、建て付けの悪い引き戸がガタガタと音を立てて開いた。すらりとした優美な女性は二三歩、歩みを進めてさくら組に足を踏み入れては後ろ手に引き戸を閉め、私たちの目線を奪うと真っ直ぐつかつかと歩き、彼女の背後の壁を二次元的に水平に捉えたならばその中央に位置する卓の前で止まると、そこが私たちの眼前となることを見越していたのか、ともかく私たちは先生を見ることとなった。生唾を飲み込む音が聞こえた気がした。皆、緊張していたわけではない。私たちはきっと、先生は何を言うのだろうと昂る気持ちを抑えられなかっただけであり、また、何を言おうともその全てを受け入れるつもりでさえいた。先生はまだ口を開かない。その頭上には、いかにも事務的なアナログ時計がかちかちと音を鳴らしていたが、それは私たちの衣摺れに掻き消されるほどの音量に過ぎず、それを注意して聞いていたのは私だけだったのもしれない。そんな私の耳に、あの川のちゃぷちゃぷとした音にも似た、物体的とも液体的ともつかない音を聴いた——それは、啜り泣く音だった。私たちは仰天した。先生が泣いているのである。あんぐりと口を開けているものまでいる始末であるが、そんな私たちが何よりも驚いていることは、彼女の涙が哀しみや喜びの入り混じる清流のように澄んだ涙ではなく、どこか怒りを含んだ態度が見て取れる濁りを感じたことだった。私たちは咄嗟に身構える。怒られるときの張り詰めた空気は緊張感と似ているが、その些細なニュアンスを嗅ぎ分けられるほどお利口ではない私たち——これまた、私だけたったのかもしれないが——は、こうするしか術がなかった。今のように歳を取れば、このように文章で綴る術なども身につけられているのであろうが、何の役に立つのかは分からないため、幼稚園の私にMacBookを与えるかと問われたらノーと答えるだろう。心配せずとも、この時の私は、感覚の世界をまだ楽しむことができていたのだから、それを無駄だったなどといちいち過去を否定するのももう疲れてしまった。そんな私の声を、この啜り泣く優美な女性に告げたらどういう反応をしたであろうか。桜の花言葉は "優美な女性" だけではなく、 "精神の美" というものもあるが、その二つの看板がこの震える小さき肩に乗っかっているのだと、私たちが理解できるはずもない。このあとすぐに、彼女が卒園式でまーくんが叫んだことを直接的に責め立て、私たち年長組はともに卒園式を台無しにしたのだと泣きながら糾弾されることになるなども、予測すらしていなかった私たちは呆然とした表情から見る間もなく顔の筋肉が強ばり遂には泣き出してしまう女の子までいるではないか。前に座しているまーくんはどうだろうと気にかけるも、組で一番背の高かった私は後ろの方に座っていたため、彼女の方を向いている彼の表情を覗き見ることはできなかった。まーくんは微動だにしていない。しかし、彼の表情を——あるいはただ、彼そのものを——彼女が時折ぎらっと睨みつけるように見ていることは、この空間を光景として眺めるともなく眺めていると否でも応でも感覚で捉えられたのである。その最後の感覚に映る光景だけが、時間とともに遠ざかっていき、私が続きを思い出すことは金輪際無いのであろう。思えば、個性とはこうして殺されていくものなのかもしれない。彼女にとっては、ロミオもジュリエットもハムレットもリア王もマクベスも劇が終わるまでに必ず死んでくれなければ——それもできるだけ仰々しく、壮大に——殺し殺されなどして死んでくれなければ、気が済まないのであろう。だからこそ、宇多田ヒカルはシェイクスピアが驚くような展開とは日を跨ぐ度にきみに恋していくことだけの世界に終始する者の物語だと考えたのかしらんなどと思いを馳せつつ、かの曲は紛うことなき彼女の個性的な作品の一つであろうと認めざるを得ない私は、ここでようやく考え込んでしまう。個性とは何であろうかと。個性が叫ばれ、その延長線上としては多様性などとも言われるようになった昨今であるが、私からすれば、こういった現象はいずれも "個性/多様性の同一化" をしている本末転倒な進化、あるいは退化と言っても良い問題であると切り捨てたい気持ちもあるが、どうもそうは言ってられないらしい。私も他人もどう生きようと勝手だろうといった態度で私が存在することが赦されないのであれば、私はここらで口を噤み、いつもの焦燥感は、全体に怒られて殺されるかもしれないことから来る緊張感にも似たあの感情に起因するものなのだと結論付けた。

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