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いまも活きる「上司からの言葉」3つ

お題企画「#会社員でよかったこと」を知り、書いてみることにした。

私は俗に言うJTC(Japanese Traditional Big Company)的な会社で、約20年間働いてきた。

全国転勤もあり、担当した仕事内容も様々。厳しい局面も多々経験。
そんな中で出会った信頼できる上司・同僚・部下との出会いには、今も心から感謝している。

色々あって45歳の時に退職。(…前向きに言えば、早期退職だよね!)
いまは夫、娘(5歳半)との3人暮らし。
私は専業主婦兼自由業。音楽制作や楽譜販売を副業としている。

また娘は知的障害のため、地域での医療や福祉に沢山お世話になっている。

会社にどっぷりと浸かっていたバリキャリ人生の頃とは、
真逆の人生を生きている。
あの頃の私には想像もつかないだろう。

そんな暮らしを中心に生きる毎日の中で、
上司から言われた言葉が、今も思い出される局面が多々ある。
まさに、今回のお題企画「会社員でよかった」と思う瞬間である。

正直幾つもあるのだけれど、今回は「3つ」に絞り、書き留めたいと思う。

1.「完成度7割の精度を上げろ」

仕事には常に「相手」がいる。
自分自身の思う「完璧」を追求して相手にみせるのでは、まず遅い。
そして上司に見せるものであれば、ガチガチに固めたものよりも、意見をもらいやすい段階があるはずだ。
かといって、テキトーではダメ。それが「完成度7割の精度を上げろ」だ。

「自分自身の思う「完璧」ばかりを求めすぎない」という感覚は、音楽制作をする今もとても活きている。

2.「お前が言うから信頼する、っていう風に思われなきゃダメだ」

中堅の頃に言われた言葉。
「最後は根拠やデータじゃない。情熱を持て。お前が言うから信頼する、っていう風に思われなきゃダメだ」と。

「自分のこれまでの経験に自信を持て」と言ってもらったと解釈している。
そして、仕事を通じて「あなただから任せたい」と信頼されることは、仕事をする上でのこの上ない喜びだと思う。

この言葉も、音楽制作に活きている。
私は娘のこと中心に時間を使いたいので、案件受注はしておらず、ストックサービス「Audiostock」にクリエイター登録し、自分のペースで作品を作りマイページに並べている。
季節感や周りのニーズなどを意識しつつ「あなたの作品だから使いたい」と思ってくれる方との出会いを信じてコツコツと続けてきた。
おかげさまで、これを「副業」と呼んでいいと思えるくらいにはなってきた。有難いことだと思う。

3.「『キーマンは誰か?』を意識しろ」

大企業ならではの組織の縦割りを泳ぎながら、仕事を形にしていくために、どこに言えばいいのか?誰に分かってもらう必要があるのか??
と、迷い悩むことも多かった。行くのにも勇気が要ったり。鍛えられた。

こうした感覚は、地域社会でも大いに活きると実感している。

直近では、娘のこと。
言葉が出ないなど「発達遅れ」を認識した時点で、じゃあどうするか。

初動の段階で、我が子の現状を踏まえて医療・福祉・教育・家庭内の間でマネジメント力を発揮できるのは、母親だと思った。
(担当の心理士も「父親は現実を見ないことが多いので」と言ってた(笑))

だから、まずは母親が前向きな当事者意識を持てるかどうか。
次に母親ひとりが抱える問題ではないので、父親の巻き込みが大事。
(※各家庭ごと、父母の役割が逆の場合もあると思います。念のため。)

現状、適切な教育や福祉を受けるためには、当事者側がかなりマネジメントしていかないと難しい。・・・って難易度高いよなぁと思う。
どこか1か所とだけ話をすれば済む、というわけではないので。

先を見据えて、まだまだ知らないことばかり。
娘により良い環境で育ってもらえるよう、色々調べて、知っていかなければならない。

さいごに~心から「ありがとう」~

タイトルで「3つ」と絞ったけれど、最後にあと2つ書きたい。
これは、私個人に対して、私の性格などを見て言ってもらった言葉。

■「無理しない、完璧を求めない、思ったことはすぐに言う」
「あなたは、相手との信頼関係が構築されたと思ってからでないと、自分の考えを言わないでしょう?もっと最初から言っていいんだよ。」との言葉の後で。本当にありがたかった。

■「誰もお前のことを期待していない。会社のことは忘れろ。休め」
これを言われたときには「冷たいな」と思ったんだけど(笑)、
いま振り返ると、こんなに優しい言葉は無いなと思う。
会社から心を引き離そうという言葉がけをしてくれた人がいたことで、いまは諦めて休むしかないと思えたのだから。

実はこれらの言葉は、会社員時代の最後、パワハラで心を病んだ時のこと。
親からは「入院しろ!二度と電話してくるな!」で終わったのに、
会社でのつながりには本当に心救われた。ほかにも温かい言葉を寄せてくれた人たちがあの時、たくさんいた。パワハラに遭った会社なのに、だ。
いま思い出しても琴線に触れる、しみじみ有難いと思っている言葉。

私はいま振り返っても、あの会社で仕事を続けられたことに心から感謝している。大学4年の時に実家の倒産を経験しているから尚更。
だから、たった一度のパワハラで、会社を辞めたくはなかった。そのつもりで産後も過ごしていた。

しかしその後、娘の発達遅れが分かり、熱性けいれんでの入院も経験。
時代はコロナ禍。乳幼児期の娘のことに集中して生きないと後悔するのではないか、と思った。

会社を辞める決断をした夜、声を上げてワンワンと泣いた。
ここまでの歩みを、どうにかできないものだったのか。切なかった。
でも、全てを手に入れることはできないもの。そう思わなければ。

あの会社で、約20年を生きた私は、とても幸せだった。
そして、あの頃の経験があるおかげで、今も幸せに暮らしている。

改めて、心からの「ありがとう」を伝えたい。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

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