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先生が先生になれない世の中で

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雑誌「クレスコ」に好評連載中の教育研究者・鈴木大裕さんの教育事情レポート。
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#教師

先生が先生になれない世の中で(16)教育現場における「構想」と「実行」の分離(5) ~そして職人が消えていった~

先生が先生になれない世の中で(16)教育現場における「構想」と「実行」の分離(5) ~そして職人が消えていった~

「法隆寺最後の宮大工棟梁」と呼ばれた故西岡常一氏が住んでいた奈良県斑鳩町の西里は、法隆寺に仕える職人たちの村だった。彼らの生活は保障され、彼らは法隆寺を守っていた。日頃から法隆寺を見てまわり、悪い所があれば自ら直す。仕事がない時には農業をしつつ、常に寺のこと、先のことを考え、良い木があれば何年も乾燥させて次の修理に備えていた。

昔、宮大工の棟梁は、木を買わずに山を買っていたと西岡は言う。自ら山を

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先生が先生になれない世の中で(12)教育現場における 「構想」と「実行」の分離②

先生が先生になれない世の中で(12)教育現場における 「構想」と「実行」の分離②

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

1983年の『危機に立つ国家』以降、国を挙げて教育の合理化と標準化の道を突き進んできたアメリカだが、1990年に出版された論文で、アメリカの教育現場における「構想」と「実行」の分離について考察したアップルら(*1)は、「何のための教育なのか?」の定義が変われば、当然「何が良い教えなのか?」も再定義されると指摘する。そして、そのような教育目的の再定義は、日本

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先生が先生になれない世の中で(11)教育現場における
「構想」と「実行」の分離①

先生が先生になれない世の中で(11)教育現場における 「構想」と「実行」の分離①

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

経済の危機が学校のせいにされ、コンピューター教育など、経済界のニーズに応えることがいつしか教育の目的となり、教員がそれまで培ってきたスキルは価値を失い、「良い先生」像も変化してゆく。多忙化に追われる教員たちは一日の苛烈なスケジュールを乗り切るために、企業によってパッケージ化されたカリキュラムに依存するようになり、自らの仕事に対するコントロールを失った彼らは

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