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先生が先生になれない世の中で(11)教育現場における 「構想」と「実行」の分離①

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)
経済の危機が学校のせいにされ、コンピューター教育など、経済界のニーズに応えることがいつしか教育の目的となり、教員がそれまで培ってきたスキルは価値を失い、「良い先生」像も変化してゆく。多忙化に追われる教員たちは一日の苛烈なスケジュールを乗り切るために、企業によってパッケージ化されたカリキュラムに依存するようになり、自らの仕事に対するコントロールを失った彼らは、強い疎外感に苛まれ、教員としてのプライドを失っていく……。

これを読んだあなたは、何を感じただろうか。

実はこれ、日本の話でも、ましてや今日の話でもない。アメリカを代表する教育社会学者であるマイケル・アップルらによって、1990年に出版された論文(*1)に描かれているアメリカの教育現場の姿だ。

1990年といえば、1983年の『危機に立つ国家(*2)』を機に、アメリカ全土が教育に市場原理を取り入れ、国の競争力を高めようとしていた時代だ。そうしてアメリカは公教育の市場化に邁進していくわけだが、実に30年以上も前に書かれたこの論文を、私は奇妙な新鮮さをもって読み返した。

私がそれを掘り起こすきっかけになったのは、斎藤幸平さんによるマルクスの『資本論』の解説のなかで、労働プロセスにおける「構想」と「実行」の分離というマルクス主義の概念に出会ったからだ(*3)。

資本主義の発達は、大量生産による利益追求へと人々を導いていったが、それを可能にしたのがこの「構想」と「実行」の分離であった。商品の構想の段階から完成まで、生産過程のすべてを担っていた職人から、構想が取り上げられ、一連の流れであった彼らの仕事は徹底的に分析、細分化され、誰でもこなせる単純労働へと変貌し、職人は現場裁量だけでなくスキルもプライドも失っていく……。

自分が大学院時代に、教員のdeskilling(スキルを失っていくこと)について調べたことを思い出した私は、昔のデータを掘り起こし、冒頭の論文と再会したのだ。「この単元は教員じゃなくても教えられる」という教員の言葉をタイトルに用いているその論文は、教育現場が経済界の求める人材育成を強いられるなかで、本来「複雑な労働プロセス」であるはずの教職が、合理化と標準化の歴史を歩んできた他の職業と同様の圧力にさらされたことを指摘する。

そして、まさにその論文には、労働プロセスにおける「構想と実行の分離」という言葉が明記され、1980年代のアメリカの教育現場でもそれが起こっていたことが記されていたのだ。『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)のなかで、アメリカは日本の新自由主義教育改革の20年、30年先を行っていると主張してきた私だが、今回あらためて驚かされることになった。

10年前、私が大学院時代には気にも留めなかったこの「構想と実行の分離」という概念が、今になってこんなにも気になるのは、きっとGIGAスクール構想による1人1台タブレットの配布が進み、企業によってパッケージ化された、操作さえ覚えれば誰でもすぐに教えられるような授業コンテンツが、子どもたちの教室にすごい勢いで入ってきているからだろう。大事なのは、一見便利な教育テクノロジーのイノベーションが、実は教員からスキルを奪い、代替可能な肉体労働者へと変えつつあることだ。

以下は、教育現場における「構想」と「実行」の分離について私がおこなった講演後に寄せられたベテラン教員の感想だ。

ICTで、「スカイメニューというソフトを使用して授業をおこなえば、机間指導をしなくてよいので、教師の負担が減り、働き方改革になる」と32歳の研究主任がプレゼンしました。昭和に教員をスタートした私は、机間指導をしながら、虐待やいじめなどはもちろん、子どもの小さな変化を見取り、寄り添ってきたので、とても違和感があります……。古い教師は去れと言われているような気がしました。こうして、多くの同期は、ICTが入るたびに離職しました。ますます、ベテラン教員の離職は進むような気がします。

全国を講演で回ると、最近はこのような声を多く聞く。先日も石川県のベテラン教員の、「私、コンピューターに弱くてみんなの足手まといなんです。だから早期退職しようかと思って……」という悲痛な声を聞いたばかりだ。

1人1台タブレットのGIGAスクールの時代では、教員が机間指導しながら生徒のちょっとした変化を見取るスキルも失われていくのだろうか。

(続く)

【*1】Apple, W. M. & Jungck, S. (1990)“You don' t have to be a teacher to teach this unit: teaching, technology, and gender in the classroom.”
American Educational Research Journal, vol. 276, no. 2, pp. 227-251.
【*2】米国連邦教育省長官の諮問機関による報告書。グローバル経済におけるアメリカの失墜は公教育の荒廃に起因し、競争力復活のためには劇的な教育改革が必要と打ち出した。
【*3】斎藤幸平(2020)『人新世の「資本論」』集英社新書。

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鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2022年4月号からの転載記事です。


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