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先生が先生になれない世の中で(16)教育現場における「構想」と「実行」の分離(5) ~そして職人が消えていった~

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

「法隆寺最後の宮大工棟梁」と呼ばれた故西岡常一氏が住んでいた奈良県斑鳩町の西里は、法隆寺に仕える職人たちの村だった。彼らの生活は保障され、彼らは法隆寺を守っていた。日頃から法隆寺を見てまわり、悪い所があれば自ら直す。仕事がない時には農業をしつつ、常に寺のこと、先のことを考え、良い木があれば何年も乾燥させて次の修理に備えていた。

昔、宮大工の棟梁は、木を買わずに山を買っていたと西岡は言う。自ら山を歩いてまわり、木が育つ環境をじっくり見るためだ。陽の当たり方、水源、風向きなど、異なる環境で生き抜くために、木々は独自の癖を身につける。だから癖は生命力の表れであり強さであることを、昔の宮大工棟梁は知っていた。逆に、癖のない素直な木は弱く、耐用年数も短いことも。そうして昔の宮大工棟梁たちは木々の癖を見抜き、組み合わせることで木を生かしてきた。

そんな彼らの生活は明治維新の廃仏毀釈で一変、食べていくことすらできなくなった(*1)。その後、急速に分業が進み、設計、積算、材木の調達、組み立てなど、最初から最後まで職人が担っていた建築の工程は分業され、単純労働化と機械化が大量生産を可能にした。時間をかけて良いものを一つつくるのではなく、長持ちはしないが安いものを速く大量に生産する資本主義の時代が来たのだ。職人は生きる場所を失い、やがて消えていった。

手間と時間をかけない機械任せの便利な社会は、生き物を生き物として扱わない社会でもある。「私らが相手にするのは檜です。木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木の癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはなりません。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。これは法隆寺が立派に証明してくれています(*2)。」

仏様が入る大きな伽藍を建てる心構え、樹齢千年の木の尊さを知っている職人ならではの心構えがある、と西岡は言う。千年は生きる建物を造れますように。この木が命をまっとうできますように。自分の精一杯の仕事ができますように(*3)。生命を相手にするのだから「絶対」はありえない。力を尽くし、祈るだけだ。それ以外、何ができよう。

最先端のテクノロジーを駆使しても、1300年以上前の飛鳥時代の職人たちが造った法隆寺を超えることは到底できない、と西岡は断言する。それは、古代建築を扱ってきた職人に受け継がれてきた木を生かす技は、彼らだけの「手の記憶(*4)」だからだ。それは数値ではあらわせず、言葉にすらできない。コンピューターに教え込む術がないのだ。西岡は断言する。職人の仕事は機械やコンピューターでは代われない。

ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん。そんな訓練もせんですむ。それなら昨日始めた大工でもいいわけですわ。(中略)そして逆にこんどは使いやすい木を求めてくるんですな。曲がった木はいらん。捻れた木はいらん、使えないんですからな。そうすると自然と使える木というのが少なくなってきますな。それで使えない木は悪い木や、必要のない木やというて捨ててしまいますな。これでは資源がいくらあっても足りなくなりますわ。そのうえ大工に木を見抜く力が必要なくなってくる。必要ないんですからそんな力を養うこともおませんし、ついにはなくなってしまいますな。木を扱う大工が木の性質を知らんのですから困ったことになりますわ(*5)。

この描写が、今日の教育政策の痛烈な風刺に見えるのは私だけだろうか。「個性を大事に」と掲げつつ学力テストで子どもたちの違いをそぎ落とし、学習スタンダードによる授業の画一化で教員の自由を奪い、規律に従えない子どもはゼロトレランスで排除し、操作さえ覚えれば誰でも授業ができるオンラインコンテンツで教員の脱技能化を進め、教員不足は「即席教員」で穴埋めする……。

「早く安く効率的に」を求める資本主義が職人を必要としなくなったように、「グローバル人材」の大量生産を教育の目的とする社会は、そもそも「先生」を必要としない。もし、人類が本気で「地球の持続可能性」を目指そうと言うのなら、まずは私たちが自然の中に生かされているという原点に立ち戻ることだ。大田堯が言い続けたように、教育を生命の営みの中でとらえ直すことだ。

以前書いた、千葉県・市立船橋高校吹奏楽部の定期演奏会で、かつて部長をつとめた卒部生がこう言っていた。「先生は私の知らない私を教えてくれる。」生命は、一人ひとりまったくちがう子どもの癖を見抜き、無限の可能性を引き出し、その子が命を全うできるよう、生涯に渡って心の支えとなるような、そんな先生を求めている。

【*1】西岡常一(2005)『木のいのち 木のこころ――天・地・人』共著、新潮文庫、17ページ。
【*2】同上、14 ~ 15ページ。
【*3】同上、20ページ。
【*4】同上、15ページ。
【*5】同上、22 ~ 23ページ。


鈴木大裕、近影

鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。Twitter:@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2022年11月号からの転載記事です。


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