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しましょうね〜「1/22-1/28」

沖縄には2.3年に一度は行っている。

初めての沖縄は仕事だった。当時はスマホなんかなくて、沖縄は冬でも暑いとしか思っていなかったから夏の始まりくらいの服装で行ってしまったら寒くて寒くて、現地でダウンを買った。用意されていたウィークリーマンションはシャワーしかなくて冷えきった身体をあたためることも出来ず、薄い夏掛けしかない布団で寝るのがつらすぎた。何度かスパに行かせてもらえたけれど、泊まった場所も行った場所もハッキリとは記憶にない。多分あのスパは美浜のスパで泊まったのは国際道り近くなんじゃないかと感覚的に思うだけ。

沖縄に行く時、単純に暑いところに行くという南国イメージに対する明るい気持ちがわく。けれど同時に、過去の戦争のことやこれからの戦争への恐怖もわいてくる。複雑な感情のまま街を歩くと、どの地域にもある珍しくないシャッター通りが続くことに危機感を感じはじめてしまう。
コロナ前は、それでも観光客で賑わっていたような気がするんだけれど。

二度目に沖縄に行った時、沖縄の写真家さんのところでお世話になった。お世話になる変わりに、朝からアーサーを拾いに行かきゃいけなかったり、島らっきょうを永遠剥く作業を任されたりと
現地の暮らしを感じる経験をした。その時、沖縄の文化を教えてもらいナナムイのことやハジチのことを知った。言葉も本当に面白い。何言ってるか分からない方言の地域はたくさんあるけれど、沖縄はダントツで何言ってるかさっぱりわからない。



最近気がついたのは、「〇〇しましょうね~」ってって現地の方が言っている「しましょうね〜」について、私はずっと沖縄の人は随分優しい言い方をするなあ、ちょっと子供扱いされている気分にもなるなあ…なんて思っていた。例えば「注文聞きましょうね~」とか「お水持ってきましょうね~」なんて言われるのだけど、標準語感覚だと幼稚園児なんかに言うときの「お座りしましょうね~」みたいな雰囲気の口調なのだ。なんだか調子が狂ってしまうと微妙な気分だとすら思っていたら、まかさの方言だった。難しいのが「しましょうね~」が誰に言ってるか分からない時があること。同じ食卓を囲む時に「テーブル片付けましょうね~」と言われ、私が?あたなが?と疑問がうまれたりして混乱する。「お茶入れましょうね〜」なんて言われると私が入れるべきなのか待つべきなのか、もしかしたら手伝えと言われてるのか、不必要にキョロキョロしたことがある。あ〜、早く方言だと分かっていたかったなあ…。ずっとモヤモヤしながら食卓についていたっけ。


先週、テレビで沖縄出身の女優に方言禁止ゲームをしてテレビ局が批判されていた。
沖縄の方言札の歴史を感じさせるからだということからだけれど、私も気分が良くないと感じた。当時、言葉を奪われた方々の悲しみを思うとテレビ局がやってはならないだろう。沖縄の方々がユーチューブなんかでゲームしていたりするのがあるけれど、それとはやはり違うものだ。過敏では?なんて声もあった、しかしテレビの影響力を考えれば過敏ではない。沖縄の背景を思うと配慮不足だと思う。

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