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医学部時代をブラッシュアップするなら。 ⑥なぜ大学受験の結果を成功と捉えてしまったのか。

こんばんは。一昨医です。
今日も投稿読んでいただきありがとうございます。
今日はこのシリーズの続きを久しぶりに書きます。

https://note.com/ototoi_2daysago/n/n26a31edbd627?magazine_key=m8c58357a8a15

この2つの文章の根底にある問題意識を今日は書きます。
なぜ大学受験の結果を成功と捉えてしまったのか。
この入学当時のおごりがいつまでも自分の足枷になっています。
noteにこれまで色々書きましたが、書く作業によって結果的にずっと向き合うことになったのがこの足枷でした。
だから、これは今の自分の最も嫌な部分に向き合うこと。
しんどいけど、逃げてもしょうがないので書きます。


後悔ポイント

失敗ではないけれど、成功ではない

国立大学の医学部医学科に塾なしで現役合格した。
これは事実です。
周りの評価も、自分の評価も含めて、大学受験という観点では決して失敗ではないと思います。
ただ、それが失敗か成功か、どうしてその時点で決めつけてしまったのか。

自分がどんな人生を歩んで、何を人から与えられ、何を人にもたらすのか。
そのトータルバランスが大切だと今は思っています。
ギブがほんの少しテイクを上回れば、いい人生だと思います。
が、それを評価するには長期的な視野で物事を見なくてはいけないと思います。
大学受験の結果一つで判断できることではないはずです。

そもそも、失敗と成功の2つで白黒つけること自体、どうかと思っている自分もいます。

大学入学は手段を得たということで、目的ではない。
恩師が卒業の際にかけてくれた言葉です。
その時もわかっていたつもりでした。
その意味を真に理解したのが遅かった。
わかったつもりが一番愚かだと、当時の自分を反省します。
これは今の自分にも常に言い聞かせないといけない。

塾なし現役で合格したのはすごいかもしれないが、すごくない

塾なしで現役合格した。
これって結構凄くね?と思っていました。
中学生や高校生当時の自分が見たら、すごいねと言ってくれるでしょう。

でもそんなのそれなりにいるって。

自分の周りにあまりいなかっただけ。
塾代が浮いただけ。

それで何か失っているかもよ?
学校生活でそれまでにかけてもらったお金と時間と機会は?

と考えると、高校生当時の自分から見た、狭い価値尺度の話だと気づきます。
これまでの勉強法のnoteも別に自慢できるようなものではない。
まあ、その時々の考え方を切り捨てるのもナンセンスだし、それなりになるほどという事柄も書いてあるので消すことはしませんが。

この勘違い、二重の意味で痛すぎる。

志望校と自分のやりたいことがぼんやりしていた。

18歳時点で知り得た世界が狭すぎたのだなあと今は思います。
大学の特色も、実際に医学部の生活がどんなものかも。
ぼんやりイメージでしかなかった。

当時は大学のパンフレットなどでまあまあ調べたつもりでしたが。
それは上っ面だけの話でしかない。

(高校生当時で知る必要があるのかはともかく)
内情を聞ける相手がいなかった、というのが結構痛手でした。

自己分析も結構頑張ってやったつもりだったんですがね…
今からすると経験値不足をものすごく感じますね。

学歴厨になる環境

受験業界って、学歴で煽りすぎだと思います。
確かに大事な部分ではあるんだけれど、ちょっとやりすぎ。
自分もそれに感化されすぎました。

でもまあ歴史を見ると身分制度ってものが存在する時間が圧倒的に長いから、そことの共通点もあるのかな、なんて思います。
資本主義の原理も近いところにあるのかも。

成功体験の少なさが目標設定を邪魔する

これは自分個人の反省。
自己肯定感のバランスをとる練習が必要でした。
どうせ自分なんかって感情と向き合うのは大切だけど、それに支配される必要はなかったと思います。

オススメ

親の働いている姿をちゃんと見る

一番身近な親の存在を違う視点から見てみると、働くことや自分の進路を決めることの助けになるかもしれません。

電車に乗ると通勤客。
会社にいると会社員。
家にいる時は自分の親。

その時々で親はどう過ごしているか?
意識したことってあまりないのではないでしょうか。
この視点に気づいたのは、コロナ禍でリモートワークする姿を見た時なんですけどね。

誰かのお金と時間と労力を意識する。

学校生活でそれまでにかけてもらったお金と時間と機会は?
文部科学省からやってくる教科書にも、
学校で働いている先生の姿にも、
今日のお昼ご飯にも。
誰かのお金と時間と労力が詰まっている。

逆に自分が相手に与えているものもあるはずですが。

自分の人生が1人で成立していないことを強く実感できる瞬間があれば、自分を見誤らないで済むと思います。
歴史やご先祖様のことを考えると、より気づきやすくなるかもしれません。

長く大きな目標と、目先のことのバランスをとる

どちらか一方だと、どこかでガタがきます。
謙虚に貪欲にいきましょう。

自分に自分が一番期待する

誰かの評価を気にしてもいい仕事はできない、というのが実体験としてあります。
不安ばかりがある時も、あまりうまくいかない。

自己肯定感の話とも重なりますが、自分の人生は自分のものでしかないので、一番の応援者は自分でいてあげるしかないと思います。
家族や友人、恋人などにその役割をいつまでも求め続けるのは酷です。
その人にはその人の人生があるから。
二番目の応援者にはそういう人たちがいてほしいなと思いますけどね。

心身とのバランスは気をつけて!

頑張りすぎても、頑張らなさすぎても、体に良くないと思います。

人生の目的って、生きること以外にないと今は思っています。
生きてるだけで丸儲け、命あっての物種、純粋人生(pura vida)。

だから、今頑張っている人は、頑張りすぎないで。


今と昔の人生観が混ざってまとまりのない文章になってしまいましたが。
向き合いたかったことをやっと言語化できて、ちょっとスッキリしています。
直しが必要なところはちょこちょこ直します。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


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