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さぶすクラシック日誌。2022年版...

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毎日、1タイトル、スポティファイでクラシックの新譜を聴いてみた。
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#18世紀

12月24日、ミュゼットの田園感に、どこか切なさも覚え... シェドヴィルのソナタ集『忠実な羊飼い』。

ジャン・ピエール・ファン・ヘースのミュゼット、リュク・ポネのオルガン/クラヴサン、ロナン・ケルノアのチェロで、ヴィヴァルディ作として出版された、シェドヴィルのソナタ集『忠実な羊飼い』。 ET'CETERA/KTC1779 フランスのバグパイプ、ミュゼット奏者で作曲家、シェドヴィル(1705-82)が、1737年、パリにて、ヴィヴァルディの"Op.13"として出版してしまったソナタ集『忠実な羊飼い』。あの頃の"あるある"でして、作曲家の許可無く勝手に作品集が発売されてしまう詐

12月23日、それまでのオラトリオの歩みの集大成!ヘンデルの『テオドーラ』、今さらながらに、感服。

マクシム・エメリャニチェフ率いるイル・ポモ・ドーロの演奏と合唱、リセット・オロペサ(ソプラノ)、ポール・アントワーヌ・ベノス・ジアン(カウンーテナー)らによる、ヘンデルのオラトリオ『テオドーラ』。 ERATO/5419717791 オラトリオの大家、ヘンデル(1685-1759)の、最後のオラトリオ(『イェフタ』)のひとつ前のオラトリオ、1749年の作品、『テオドーラ』。ハンブルクで、イタリアで、才気煥発させて、ロンドンに渡って、オペラがイケイケで、オペラがダメなら、オラト

12月22日、18世紀のオペラとして、ホント、侮れない... ネブラのサルスエラ『暴力あって、責任なし』。

アルベルト・ミゲレス・ロウコ率いるスペインのピリオド・オーケストラ、ロス・エレメントスの演奏、アリシア・アモ(ソプラノ)ら、スペインの歌手たちの歌で、ネブラのサルスエラ『暴力あって、責任なし』。 GLOSSA/GCD923535 1701年、王朝交代によって大転換期を迎えたスペインの音楽シーン... フランスからやって来た新王家による改革開放(音楽鎖国政策を執る宮廷、既得権益と化した世襲の宮廷音楽家たちによる独占が、一気に自由化!)が、18世紀、スペインの音楽に大きな活力を

12月21日、ムソルグスキーではなくて、ドイツの、バロックの、『ボリス・ゴドゥノフ』に、びっくり!

イタリアの鍵盤楽器奏者、アンドレア・マルキオルの指揮、EUのユースのピリオド・オーケストラ、テレジアの演奏、オリヴィエ・グルディ(バス)のタイトルロールで、マッテゾンのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』。 cpo/555502 ヘンデル(1685-1759)の友人にしてライヴァル(仲良くリューベックのオルガニストのオーディションへと向かうかと思えば、オペラの上演でどっちがチェンバロを弾くかで決闘までする... )として知られるマッテゾン(1681-1764)、ハンブルクの大聖堂の

12月20日、ドメニコ・スカルラッティの鍵盤楽器のためのソナタをヴァイオリン・ソナタとして弾いてみたら...

バロック・ヴァイオリンの名手、ボリス・ベゲルマンと、彼が率いるアルセナーレ・ソノーロの演奏、ドメニコ・スカルラッティのヴァイオリン・ソナタ(鍵盤楽器のソナタからヴァイオリンも可?をピック・アップ!)。 OBSIDIAN/OBSCD720 ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)といえば、鍵盤楽器のソナタ。なのだけれど、そのソナタには、ヴァイオリンでも演奏可能なものがあるらしい... いや、知りませんでした。てか、ドメニコにヴァイオリンのイメージが無かったものだから、も

12月18日、古典主義の時代の教会カンタータ... 花々しくハッピーなE.W.ヴォルフのクリスマス・カンタータ集!

マイケル・アレクサンダー・ウィレンズ率いるケルン・アカデミーの演奏と合唱、ゲオルク・ポプルッツ(テノール)ら、ピリオドで活躍する歌手たちを揃えての、E.W.ヴォルフのクリスマス・カンタータ集。 cpo/555524 エルンスト・ヴィルヘルム・ヴォルフ(1735-92)。 中部ドイツの小さな街、グロッセンベーリンゲンで生れ、早くから音楽の才能を開花、実家から遠くないゴータとアイゼナハのキムナジウムで学び、学生たちの合唱長を務める。そこでは、C.P.E.バッハ(1714-88)

11月29日、"ロンドンのバッハ"と少年モーツァルトの交歓をつい妄想してしまう、2人の連弾作品...

アレクサンドラ・ネポムニャシチャヤとリチャード・エガーの子弟コンビ、デュオ・プレイエル、ピリオドのピアノの演奏で、J.C.バッハとモーツァルトの連弾作品集、"Mozart's Real Musical Father"。 1763年、ザルツブルクの神童、モーツァルト少年は、一家で、長い長いヨーロッパ・ツアーへと出発する。そうして辿り着いた、18世紀、随一の音楽マーケット、ロンドン... 1764年、8歳のモーツァルト(1756-91)は、ロンドンの音楽シーンの寵児となっていた

11月28日、ウィーン古典派へと至る輝かしさ、魅了されます!トゥーマのテ・デウムとミサ!

ロマン・ヴァーレク率いる、チェコ・アンサンブル・バロックの演奏と合唱、チェコの若手歌手たちをソロに迎えて、18世紀、チェコ出身の作曲家、トゥーマのテ・デウム、シンフォニア、ミサ「貧しき者の父」。 フランティシェク・イグナーツ・トゥーマ(1704-1774)。 チェコ東部、コステレツ・ナト・オルリツィーで、地元教区のオルガニストを父に生まれたトゥーマ。幼くして歌の才能を見せると、プラハに行き、イエズス会の神学校、クレメンティヌムで学び、聖ヤコブ教会の聖歌隊に加わり、本格的に音

10月24日、フランス革命をサヴァイヴした侯爵夫人、ピアニスト、モンジュルー... その数奇な運命が紡ぎ出す音楽の力強さ、深み...

イギリスのピアニスト、いつもおもしろいレパートリーを掘り起こしてくれるクレア・ハモンドの演奏で、モンジュルーの練習曲集『ピアノ教育のための完全教程』から、29曲... エレーヌ・ド・モンジュルー(1764-1836)。 リヨンの法服貴族の家に生まれたエレーヌ... 一家は間もなくパリへと移り、エレーヌはピアノを習い始める。が、その才能は手習いのレベルを越え、デュセック、クレメンティら、革命前のパリを彩ったヴィルトゥオーゾに師事するまでに... 一方で、1784年、モンジュル

10月23日、チーム・ハンガリーによるフランス・バロック、マニアックに攻めつつ、ますます充実!ジェルヴェのグラン・モテ...

ジェルジュ・ヴァシェジ率いる、ハンガリーのピリオド・オーケストラ、オルフェオ管、パーセル合唱団による、オルレアン公爵家の楽長を務めた、ジェルヴェのグラン・モテ集。 シャルル・ユベール・ジェルヴェ(1671-1744)。 太陽王の弟、オルレアン公に仕える従者を父に、パリで生れ、早くから音楽の才能を開花。何でも、12歳の時に、王のシャペルの楽長のオーディションを受けたという伝説があるほど... やがてオルレアン公爵家の楽長となり、2代目、オルレアン公が、ルイ15世の摂政になると

10月22日、何と優美な!ラモーがポンパドゥール夫人のために書いた音楽の、まさにロココな魅惑...

ルイ・ノエル・ベスティオン・ド・カンブーラ率いる、アンサンブル・レ・シュルプリーズの歌と演奏で、ラモーのオペラ・バレ『愛の驚き』からプロローグ『アストレの帰還』と、アクト・ド・バレ『レ・シバリテ』を取り上げる、"RAMEAU CHEZ LA POMPADOUR"。 1734年のオペラ・デビュー以来、次々にヒット作を送り出し、パリの音楽シーンを沸かせてきたラモー... その評判は、やがて宮廷にも届き、1745年、王家の婚礼のために2つのオペラをヴェルサイユで上演。王室作曲家の

10月21日、ロココの時代のトラジェディ・リリクに感慨... ラモーの『ゾロアストル』初演版...

アレクシス・コセンコ率いる、レザンバサドゥール-レ・グランデキュリーの演奏、ナミュール室内合唱団、レイナウト・ファン・メヘレン(オートコントル)のタイトル・ロールで、ラモーのオペラ『ゾロアストル』。 1734年、50歳、『イポリートとアリシ』(新たなトラジェディ・リリクとして賛否を呼んだ!)でのオペラ・デビュー以来、オペラ作家として、パリの音楽シーンを沸かせてきたラモー(1683-1764)が、1749年、パリ、オペラ座で初演したトラジェディ・リリク『ゾロアストル』...

10月20日、バロックからロココへ... うつろう中にこそ魅惑を生む、フランクール兄弟の音楽に聴き入る...

仏ピリオド界を担う次世代、テオティム・ラングロワ・ド・スワルテ(ヴァイオリン)と、ジュスタン・テイラー(クラヴサン)が、フランクール兄弟とその周辺を取り上げる、"LES FRÈRES FRANCŒUR"。 ヴェルサイユの宮廷音楽の一端を担ったアンサンブル、"王の24のヴァイオリン"の一員の父、ジョゼフ(1662-1741)の下に生まれた、ルイ(1692-1745)とフランソワ(1698-1787)のフランクール兄弟に、ルイの子でフランソワによって育てられたルイ・ジョゼフ(1

10月19日、"ソプラニスタ"、デ・サに驚かされた!そのガチなソプラノに圧倒された!

"ソプラニスタ"、ブルーノ・デ・サが、フランチェスコ・コルティの指揮、イル・ポモ・ドーロの伴奏で、女性が舞台に立てなかった、18世紀、ローマにおける女形(?)に注目するアリア集、"Roma Travestita"。 1587年、ローマ教皇、シクストゥス5世(在位 : 1585-90)は、教皇領内で女性が舞台に立つことを禁じる(プライヴェートな上演は見逃されていた... )。ローマ教会の総本山が支配する地だけに、何かと節制が求められる状況がありました。そうして迎える17世紀、